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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第三話 (一)

第三話 不協和音


「カナデ! アリシア! ゼイガン!」

 悲鳴にも似た叫び声を上げたのは、戦いから離れていたイリス。

 離れていたといっても微かな戦いの音は届いており、優勢であろう事は薄々感じていた。そもそも三人が倒れるなどという事は最初から頭にはない。

 ――だが。

 さすがに歌声が聴こえた時は、何か特殊な状況が起きたと判断し、ここまで駆けつけてきたのである。その直感が正しかった事は、周囲を見渡せばすぐに分かるだろうか。

 今までイリスが退避していた、木目が比較的真っ直ぐに伸びた木々が無造作に立ち尽くす、緑溢れる場所とは明らかに世界が異なっているのだから。まるで銀の森に足を踏み入れたかのように世界は色を、そして生命を失い凍りついていたのである。

 その中心にいるのはカナデ。

 そんな彼女に駆け寄るようにしてアリシア、そしてゼイガンが立ち尽くしていた。まさかカナデが何かをしたとでもいうのだろうか。蒼白な表情で立ち尽くすカナデの様子は、明らかに常軌を逸脱しており、イリスでなくてもカナデを中心にして何かが起きたと予想するのは自然だ。

「姫様。何とか……皆、無事です」

 放心する二人の少女とは違い、老齢なる騎士が振り向いて言葉を発した。

 しかし、発した声はどこか覇気がない。まるで何か大切な物を喪失したような、そんな印象すら感じさせるほどだった。

(いったい……何が?)

 イリスは心中で問うと共に、自身が戦えない事に歯痒さを覚える。戦えるのだとすれば、全てをこの目で見て判断出来るというのに。それが成せない事に、どうしようもない憤りを覚えるのだ。

「真っ白な少女が……ううん、何でもない」

 ゼイガンの言葉を受けて、ようやく正気を取り戻したアリシアが、振り向くと同時にか細い声で呟く。しかし、その内容は理解可能なものでは決してなかった。ますます謎が深くなったと言ってもいいくらいか。

「真っ白な少女?」

 イリスは謎の核心へと触れるために問う。

 だが、アリシアとゼイガンは答えてはくれない。言葉に出来ないほどに危険な存在だったのだろうか。この生命を失った景色を見れば、述べる事を躊躇う気持ちも分からないでもないのだけど。

 しかし、イリスは共に歩む者として全てを知りたいと思った。二人は望まないかもしれないけれど。それでも、この気持ちを曲げるつもりはないのである。

「カナデ。何があったの?」

 だからこそイリスは迷いのない意志を込めた、深緑の瞳を場の中心に立つ少女へと向ける。彼女であれば答えてくれると信じて。

「アリシアの言葉通りだ。髪も、肌も、服装まで真っ白に統一された少女がここに現れた。そして、一つの歌を。そうしたら……この景色になった」

 イリスの想いが通じたのか、カナデは正面に視線を向けたまま、おぼろげに呟いた。凍てついた世界の中心に立ち尽くすカナデは、その少女に一番近い所で歌を聴いたのだろう。

 ――全ての生命を奪う歌を。

 汚染者だとしても恐怖するのは当然の事だろう。

「そう。でも……もういないのね?」

 イリスは、体は震えずとも、心を恐怖で震わせているだろう彼女に向けて、包み込むような柔らかい声を掛ける。そして、それと共に一歩、二歩とカナデとの距離を縮めていく。

 振り向いてイリスを見つめるアリシアとゼイガンの二人は、横をすれ違う時でさえ何も言わなかった。どうやらイリスの好きにしていいらしい。

 仮に何かを言われたとしても考えを曲げるつもりはないのだけど。普段の何気ない事であれば素直に聞くが、ここぞという場面では聞くつもりは一切ない。心に浮かぶ真っ直ぐな気持ちを伝えるのが、イリフィリア・ストレインなのだから。

 そんなある意味では独善的なイリスの言葉を受け取ったカナデは――

「ああ。もういない。時間もない事だから……先に進もう」

 ようやく左側、つまりはイリスの方向へと疲れたような笑顔を向けて言った。

 浮かべた疲労は真っ白な少女への恐怖なのか、戦いの疲れなのか、それとも人外の力を使用した対価たる代償のためなのか。その理由は分からない。

 ――しかし。

 どうしてカナデは疲れ果てているというのに、笑うのだろうか。

 辛そうな顔だってしてもいい。姫である事など気にせずに、寄りかかってもいいというのに。なぜ身だけでなく、心まで遠ざけようとするのだろうか。

 カナデを見ていると、数多の感情が、疑問が心中に溢れ出てくる。だが、それらを言葉には出さずにイリスは飲み込む。今は言うべきではないような気がするからだ。

「少し休みましょう」

 だからこそイリスは、当たり障りのない言葉を儚く笑う少女に向けて掛けると共に、一歩手前まで歩を進める。

 これ以上近寄ってほしくない事は何となく分かっているのだ。本当は頭一つ小さい彼女を抱きしめて、その恐怖を綺麗に消し去ってあげたい。しかし、カナデは望んでいないのだ。あんなにも小さな体で懸命に前へ、前へと進もうとしてしまうのだ。

 これがイリスとカナデの距離。彼女が心を開いてくれるまでの、絶対的で不変の距離だった。

 それを証明するかのように。

「そうはいかない。朝までには国境を越えた先にある……カストア砦に辿り着く必要があるのだから」

 カナデは素っ気なく言葉を吐いて、マベスタの森を南の方角に向けて歩いていく。やはり寄りかかってはくれなかったのだ。代償のせいで痛む左胸を、右手で掴むようにして握って、国のためでもなく、自身の将来のためでもなく、ただイリスのために。

「時が来たら……寄りかかってくれる?」

 そんなカナデを放っておける筈がないイリスは、小さな背中に声を掛ける。以前であれば答えてくれなかっただろう問いを。

「悪いが……そんなに弱くはないつもりだ。でも、全てが終わった時ならいいかもな」

 しかし、カナデは振り向いて答えてくれた。彼女の漆黒の瞳は、どこか嬉しそうな光を帯びているのは気のせいではないだろう。

「約束よ。絶対に――あなたを抱きしめるわ」

 イリスは輝く瞳に微かな希望を抱いて微笑む。

 汚染者と呼ばれ、差別を受けた者とも心を通わせる事が出来る。ならばいつかイリスの望みも叶えられるような気がするのだ。

「こんな所で止まれない!」

 心に溢れる希望を感じたイリスは、寒空を吹き飛ばすような元気な声を上げて、早足に進む。イリス自身で進み、皆に道を示すために。

「元気な姫様だな」

 すると呆れたような、嬉しそうな声がイリスに届く。気づいた時にはカナデはイリスの左側に控えるようにして続いてくれた。

「それでこそ……我らが姫君です」

「そうそう」

 そして、ようやく立ち直った二人が先頭を進むイリスへと声を掛けてくれる。どうやらようやく元の状態に戻ったらしい。

 そんな三人の様子に安心したイリスは、一人密かに安堵の息を吐いた。


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