第二話 (八)
城塞都市シェリティアから東の方角に三時間ほど進んだ先に、一つの森がある。
マベスタの森と呼ばれている森林地帯は、比較的木目が真っ直ぐに伸びた木々と、生茂る葉が針や鱗のように鋭い事が特徴的な場である。それ以外は森の中央に湖がある事くらいしか特別に語る事はないだろう。
ついでに、この森を東に抜けた先がフィーメア神国と呼ばれる国であり現在は戦時下に置かれている。しかし、この森を進む四人組は東へと抜けるつもりはない。
森の途中で南へと進路を取り、聖王国ルストの国境へと向かうのである。
その道中で――
「さすがに森を越えるのは……楽ではないな」
沈黙を破ったのはランプを片手に先頭を進んでいく、漆黒のローブを纏いし少女。
時刻はとうに深夜を越えており、まるで闇に溶け込むようなその姿は、後に続く者からすると見失いそうだ。しかし、それをよく理解しているカナデは後方を、特にアリシアに手を引かれながら歩く姫の歩幅を確認しながら進む事で、はぐれる事を未然に防いでいる。
仮に距離が開いてしまったとしても最後尾にはゼイガンがいる。一声掛ける事でカナデを静止したり、姫達のペースも調整してくれる事だろう。
「ストラト平原を直進すれば……もう少し早く着くのですがね」
細かな気配りの延長なのか、ゼイガンはカナデの何気ない言葉にも返答を返してくれた。
彼が言うストラト平原とは城塞都市シェリティアを出て、南西に進んだ先にある平原だ。聖王国ルストの国境線まで広がる広大な平原であり、現在進んでいる森とは違い進路を塞ぐ物は見当たらない。言葉通り直進する事が可能だろう。
ならばなぜその道を進まなかったかと言えば、何者かによって姫が狙われているからだ。姫が城を去って三時間も経っている現在では、すでに城内にいない事はその何者かも把握している事だろう。ならば新たな刺客を放つ事は時間の問題であり、直進などしようものなら必ずその網に引っ掛かる。
その網を回避するための迂回である。だが、迂回路を進むとしても決して気を緩める事はできない。
ゼイガンが言うには姫を連れ出す程度の事であれば、すでに予測している可能性があるというのである。ならば、当然迂回する事も計算しているだろう。
この暗闇を味方にして出会わないか、それとも出くわしてしまうのか。それは神のみが知る事だ。
「出会うなら……そろそろか?」
カナデは高まる緊張を、一度深呼吸する事で沈めてから背に問う。
問いを向けたのはアリシアとゼイガンだ。アリシアには姫を守るように、ゼイガンには背後の警戒を強くするように伝えるためだ。
「でしょうね」
ゼイガンの返答は思っていたよりも短かった。おそらく彼は長年の経験から何かを感じ取っているのだろう。
「明かりを消す。目が慣れたら進むぞ」
カナデは彼の経験を信じてランプの明りを消すと、すかさず背へと固定する。右には騎士剣の鞘が、左にはナイフホルダーがあるために背にしか固定出来ないのだ。
「また氷雪種も……出るの?」
同じくランプを消したアリシアが問う。
以前の戦いにも姿を現し、アリシアに触れようと試みた氷雪種。何の目的があるのかは理解できないが、戦いに惹かれて現れるとするならば再び出会う事だろう。
「その時は私が何とかする」
メンバーの中で唯一氷雪種に抗う力を持っている汚染者たるカナデ。ならば自身が対処する他はない。それにこんな穢れた身となるのはカナデ一人だけで十分だと思う。
「――行こう」
徐々に闇へと瞳が慣れた事を感じたカナデは一歩を進む。
「ここからは二手に。カナデ殿は左回りに――側面か、背後に回って下さい。何事もなければ合流を」
地面へと散在した葉のかさついた音に混じって届いたのは、ゼイガンの指示。戦力を分ける事に対していささか抵抗はあるが、この服装であれば闇に溶け込む事も不可能ではないだろう。
しばし逡巡したカナデは片手だけを上げてゼイガンへと応える。戦場ではゼイガンの指示に従って動くことになるのだ、今のうちに彼の作戦に体を馴染ませておくのも悪くはないだろう。
自身の心を固めたカナデは、左回りにゆっくりと歩を進めていく。出来る限り音を立てずに、気配を殺して。
そして探る。ランプの光を。そして人の気配を。
何事もなければそれでいい。だが、姫を狙う者がいるというのであれば容赦するつもりはない。カナデもイリスもまだ自らの道を進んだばかりなのだから。
そんな状態で光を失う訳にはいかないのである。自身が戦う理由を再び心に刻んだカナデは鋭い瞳を前方へと向けた。
*
「また……戦うの?」
独語するように呟いたのは真っ白な少女。
そんな彼女が見つめているのは、漆黒のローブを身に纏う少女である。以前、天へと送った氷雪種を殺した少女だ。殺してしまった事に対して真っ白な少女は怒ってはいない。
悲しいすれ違いがあっただけなのだと理解している。ただ悲しいのは、また再び戦おうとしているからだ。同じ人という存在でありながらも。
「なぜ?」
少女は再び問う。
だが、答えは返ってこない。だからこそ知りたいと思う。同じ大陸に生命を得た者として彼らの事を知りたいと思うのである。
たとえどれだけ拒絶されようとも。
いつか分かってくれる存在がいるのだと思うから。それがあの漆黒のローブを身に纏う少女なのかは分からない。それでも真っ白な少女は可能性を捨てようとは思わない。
彼女は自身に触れても死す事はないのだから。その理由は今でも分からない。それでも世界に偶然というものがないのだというのなら、必ず意味がある筈なのである。
氷雪種に触れられる少女にも、氷雪種にも、そして自身にも。
「答えを……私に示して」
真っ白な少女はその言葉を最後に、再び白き霧へと霧散した。