第二話 (七)
大陸南部に位置する聖王国ルスト。
少年王ラディウスに反発して建国された国である。建国された当初はすぐにでも本家と言っても過言ではない、聖王国ストレインによって吸収されるかと皆は予想していた。
だが、立ち上がった王はあまりにも幼く、それでいて兵を率いる事が可能な将軍がアイザックのみという状況で兵を動かす事は事実上不可能だった。将軍が動けば国の守りを務める者が誰一人として存在しないのだから当然であろう。
幼き王は聖王国ルストに勝てる事は分かっていたが、自国が第三国によって侵攻される事を恐れ、自身が成長するまでの時を耐える事を選んだのだ。
そして、もう一つ。侵攻する事が不可能であった理由がある。
兵力でも、土地でもない。
聖王国ルストに所属する二人の騎士の存在が侵攻を躊躇わせるのである。
その内の一人の名は、アルフレッド・オーディル。
軍法衣と呼ばれる、所々に金糸をあしらった真紅のロングコートに近い衣類を身に纏った長身の人物で、年齢は三十代後半。引き結ばれた口元は固く、どこか堅物な印象を受ける男だ。
一見するとただの年配の騎士に見えてしまうこの男ではあるが、剣の腕は他に並ぶ者がいないとまで言われるほどの強さを誇り、一人で百人までなら相手に出来るとさえ言われている。
数千から数万の規模で争う戦争において、彼一人が奮起した所で戦局が傾くという事は決してない。しかし、一人で百人を斬る男を恐怖しない訳はなく、躊躇してしまう事は至極当然であるだろう。
味方にいれば頼もしい事この上ないが、聖王国ストレインにとっては恐怖の対象でしかない騎士。そんな彼が現在歩いているのは、王城二階の通路。
王であるオーギュスト・ストレインの私室へと唯一繋がる通路を進んでいるのである。
「あの話は本当ですか?」
誰にも会わないかと思っていたアルフレッドを呼び止めたのは、どこか爽やかな声。
声を掛けたのは、壁にほっそりとした体躯を預けている黒髪の男だった。
名をシオンといい、今は失われたロスティアに所属していた騎士である。年齢は二十代後半でアルフレッドと同じく真紅の軍法衣を身に纏っている。その姿から想像出来る通り、剣の腕はアルフレッドに並ぶほどに高く、聖王国ストレインが恐れるもう一人の男だ。
「聖王国ストレインが……リシェス共和国と同盟を結んだ件か?」
「それは真実ではありませんね。カーマインと名乗る男が手引きした……騙し討ちに過ぎません」
表向きに公表されている事を述べたアルフレッド対して、シオンは真実を述べる。
両国の同盟はカーマインによって作られた偽りの同盟関係。リシェス共和国が真に同盟を結んでいるのは、ここ聖王国ルストなのだ。
聖王国ストレインが、聖王国ルストと戦争状態に突入すれば、リシェス共和国はすかさず王ラディウスを消すために動く事だろう。その手引きをするのはカーマインと名乗る貴族の男だ。
騙し討ち。確かにシオンが述べた言葉は正しいだろう。
「戦争においてはこれも常套手段。卑怯と罵られたとしても……王が選ぶというのであれば従うのみだ」
一人の騎士としては真っ向勝負で勝ちたい所ではある。しかし、それは自国または敵国共に甚大な被害が出る。それを是とする事も、また悪であるとも思えた。
ならばこのような謀略に近い策を行い、早々に戦争を終結させる事も必要だとアルフレッドは思っている。それに元々は同じ国だ。速やかに力を統合させて北の強国に備えるべきだろう。
今は北西に位置するフィーメア神国が隣国と幾重にも渡る小競り合いをしているおかげで動きを見せないグシオン連合国も、いつ再び動きを示すのか分からないのだから。まさに混沌として戦時下。何が起ころうともいちいち驚いている暇はない。
「それもそうでしょうが。ストレインはこのような戦時下でも平和的に収めるために使者を用意しています。そのような国を騙し討ちとは……」
腕はいいが、まだまだ考えの甘いシオン。
いや、違う。考え方が綺麗過ぎるのだろう。彼のような者は戦争が終結した世には必要な人材だが、戦時下では仲間を殺すだけの存在。生かして次の世を支える柱となってもらいたいが、それと共に危険因子としても考えておかねばならない難しい存在である。
「理想を追うのはいい。だが、覚えておけ。敵国に情けをかければ……自国の兵が死ぬのだ。それも想像していたよりも……ずっと多くのな」
アルフレッドは理想を追う彼の心に釘を刺すために、そっと彼の肩へと手を置くと共に語り掛ける。分かってもらえるとは思ってはいない。
だが、彼の中に言葉が残るように。そう願って。
「アルフレッド殿……私は……」
シオンは表情を曇らせ、磨かれた通路へと視線を落とすだけだった。
「開戦は近い。ただの前哨戦程度の戦になるだろが……それまでに答えを出せ」
悩む彼に向けてこれ以上言葉を掛けたとしても、混乱するだけだと判断したアルフレッドは肩へと触れた手を除けて再び歩き出す。
ただ自国の繁栄のみを願って。