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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第二話 (六)

 メイン通りによって左右に分断された城塞都市シェリティアの居住区。

 その中でも比較的収入の少ない者が住まう、都市の南西部に位置する一軒家で。

「まったく」

 溜息交じりにぽつりと呟いたのは、先ほどクリームシチューの調理を終えたカナデだ。彼女が溜息を吐いた原因は、木製のテーブルを囲むようにして座る三人組みである。

「まさかこの歳で……うら若き乙女の手料理が食べられるとは。なんたる幸せ」

「カナデ……これはすごいよ!」

「お嫁にもらいたいわねぇ」

 三人組みとは、瞳を輝かせてどこか嬉しそうなゼイガン、完成した料理も感慨深く見つめるアリシア、そして一口食べて夢心地な気分を味わうイリフィリアだ。

 アリシアが一人暮らしをしている家ではあるが、彼らがよく遊びに来るのか、椅子は人数分用意されていた。この反応を見ると誰が料理をしていたのか疑問に思うが、この際は気にしないで置く事にする。

 それよりも気になる事といえば食事を終えた後の事だ。

 今いるメンバーだけで隣国へと交渉に行く。まるで厄介払いをされているかのような命令である。実際に、身元が不明な騎士、異国の騎士、そして汚染者などという不穏な存在は消したいと思う者がいる事もまた自然なのかもしれない。

(それでも――希望はある)

 指定されたた三人で行くならば絶望的な道程だっただろう。だが、自分達には姫がついていてくれる。閉ざされて道に再び光を燈してくれる事だろう。

 カナデの心に光を燈してくれたように。

 言葉で言う程に簡単ではないとは思うが、照らされた心は微笑みとなって外へと現れる。

「カナデ? 何かありましたか?」

 浮かべた微笑みを素早く見つけたのは、やはりイリフィリアだった。

「いや。何もない」

 緩んだ表情を見られるのが恥ずかしいカナデは、テーブルに背を向けて腰を降ろす。新参者であるカナデには座る椅子がないのだ。行儀が悪いと突っ込まれるかと思ったが、特に気にはならなかったようで、彼らはカナデを注意する事なく食事を続けていた。

「料理を褒められて嬉しいんじゃないかな?」

 変わりに向けられたのはどこか茶化す様なアリシアの言葉。

 正直な事を言えば皆が美味しそうに食べてくれる事は嬉しかった。この一年間は一人で食べる事しかなかったのだから。こうした食事は久しぶりだ。

「悪い気分ではない」

 久しぶりに触れた温かな雰囲気のおかげか、カナデは素直に心の内を語る事ができた。もしかすれば同じように理不尽な差別を受けている彼らに対して心を開きかけているのかもしれない。しかし、そうは思うがカナデ自身も己の心が分からない所もあり、断定は出来ないでいる。

「若い内は素直でいるのが一番です。それはいいのですが……そう時間もかけられませんよ。早朝には国境付近に到達しておきたいですからね」

 どこか和やかな空気に満たされつつある中で、現実的な空気に戻したのはゼイガンだった。彼の言うようにそうゆっくりする事は出来ない。

 現在は城壁の見張り、そして城門の門番はゼイガンの部下が務めているが、いつ姫を狙う者の監視が入るか分からないのだから。

「そうだな。すぐにでも片づける」

 誰かが動かねば重い腰は上がらないと思ったカナデは、素早くテーブルから腰を浮かせて、振り返ると共に各々の器へと手を伸ばす。

「待って。カナデ……あなたに渡す物があるわ」

 すぐにでも洗い物に移行しようとしているカナデを止めたのは、以外にもイリフィリアだった。

(渡す物?)

 静止の声を掛けられはしたが、何か受け取る物があっただろうか。首を傾げて姫の瞳を見つめていると、一度深緑を思わせる瞳が揺れた。

 まるで渡す事を恐れているようにも見える姫の様子に、カナデはさらに疑念を深くさせる。同時にそれほどの物とは一体何なのかと思う。

「これを……」

 囁くような控え目な声で呟いたイリフィリアは、肩から吊り下げているポーチから一つの丸みを帯びた物体を差し出した。物体としか判断出来ないのは赤い布きれによって包み込まれているからだ。

「何だ?」

 差し出されたのはいい。だが、それが何なのかはまるで分からないカナデ。

 こんな丸みを帯びた物体をどう扱えというのだろうか。

 カナデが理解していない事を感じ取ったのか、姫はようやく重い口を開く。

「これは氷装具。汚染者専用の武器です。一度触れれば、身に宿る力と結びついて力を増大させます。その代わりに……払う代償も」

 だが、言葉は途中で途切れてしまう。

 自身が渡した物でカナデの命が縮む事を恐れているのだろう。

 代償を払う事で人外の力を扱える汚染者。その力を増大させる氷装具。

 イリフィリアは、ただ二つを結びつけただけ。カナデに新しい力を与えただけだというのに。

(姫は優しすぎる)

 カナデは揺れる瞳を優しく見つめて、右手を差し出す。彼女の迷う心を晴らすために。

 触れたのは、固くて、冷たい何か。そして、布越しで伝わるのは化け物と恐れられる力だった。

「カナデ。あなたはこの力を……あなたの思う通りに使って」

 カナデの意志を受け取った姫は氷装具を包む布を開く。

「離れて」

 短く、それでいて鋭い言葉を発したカナデは、水晶色をした氷装具を掴み取る。

(私は……力を何に使う?)

 そして、一度心中で問う。答えなどすでに分かっているというのに。

 ただ心に光を燈してくれた人のために、この穢れた力を使うと決めたのだから。

「イリフィリア……ただあなたのために」

 迷いのない言葉を、守りたいと願う人へと届ける。

 そして――

「たとえ失ったとしても」

 揺らがない意志を氷装具へと伝えていく。

 意志を受け取った氷装具は瞬く間にその姿を変貌させる。カナデが求める、想い人を守るための刃へと。

「氷の……大鎌?」

 呆然と呟いたのは離れて様子を窺っていたアリシア。

 彼女が呆気に取られてしまったのは形状のせいだろう。カナデ自身もまさか大鎌とは思ってもいなかったのだから。てっきり使い慣れた剣だとばかり思っていたのだ。

「それがカナデの氷装具。綺麗で……とても頼もしいわ」

 イリフィリアは巨大な鎌を見つめて、一つ頷く。

「ありがとう。イリフィリア」

 道を示してくれた彼女に、自身の心が形となったと言っても過言ではない刃を認めてもらえたのは身が震えるような思いだった。しばらくその余韻に浸っていたいと思っていると。

「イリスと呼んで。アリシアみたいに」

 イリフィリアがどこか窺う様な瞳を向けて呟く。

 どこか遠慮がちなその姿は、まるで友達を求めている少女のようだった。

「しかし……それは」

「呼んで」

 さすがに姫を略称で呼ぶ事に抵抗を感じるカナデが一度躊躇すると、イリフィリアは一歩詰め寄って澄んだ瞳で覗き込んでくる。

 心を鷲掴みにするような深緑の瞳。まるで見つめた者を虜にしてしまう魔法の力を宿したかのような瞳だった。

「分かった。だから……これ以上私に近づくな。危険なんだから」

「私は何も恐くない」

 体が触れる事を恐れたカナデは一歩を後退するが、彼女は恐れる事なく一歩を進む。

 まるでカナデを恐れない、イリフィリア。

 彼女を見ていると嬉しくて仕方がない。差別されている事を一瞬だけでも忘れていられるから。そんな彼女の心に一歩でも近づきたいとカナデは思う。

「イリス……あまり困らせないでくれ。私は恐い。恐いんだ」

 近づきたいとは思う。だが、これが二人の距離の限界。触れる事は決して許されない。

 例え衣服越しならば力が発動しないとしても。万が一という事があるのだから。

「……ごめんなさい」

 イリスはカナデの心境を理解してくれたのか一歩下がる。

 ただの一歩。

 しかし、その一歩がカナデの心を締め付ける。この身にこんな力が宿っていなければ触れられるというのに。彼女の表情を暗くさせる事もないというのに。

「……イリスと呼んでくれてありがとう」

 言葉を返さないでいると。イリスは沈む心を晴らすような笑顔を浮かべた。

 汚染者という呪われた体を恐れて震えるカナデへと。彼女は笑顔を向けてくれたのだ。

「ありがとう……イリス」

 彼女によって救われたカナデは、自身の分身と言ってもいい刃を内に収めると共に呟く。もう沈んだ心も、悩む心もありはしなかった。

 後は進むのみである。

「では、参りましょうか。洗い物は……この通り終わらせておきましたよ」

 新たな決意を心に刻んだカナデに掛けられたのは、老齢な男性の声。

 そういえばすっかり洗い物をする事を忘れていた。

 声に導かれて視線を向けると。台所には綺麗に洗われた小皿が重ねて置いてあった。

「さすが、ゼイガン。いい仕事をするわぁ」

 イリスも無駄のない臣下に感心したのか両手を胸の前で合わせて、感嘆の声を上げる。

「お互いに補い合って進む。それが大切だよ」

 そう言って全員分の荷物を背に背負うのはアリシアだ。

 明らかに彼女よりも重量がある薄茶色のリュックを顔色一つ変えずに背負う姿は驚愕に値する。しかし、誰も突っ込まない所を見るとこれが彼らの自然の姿なのかもしれない。

「そうだな。そうして進んでいくんだ。私達は」

 彼らとなる何をしても上手くいく。そう信じたカナデは晴れやかな笑みを浮かべて一歩を踏み出した。


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