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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第一部 たとえ失ったとしても
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第二話 (四)

 耳へとこびりついて離れないのは、囁くような声だった。

 意識を研ぎ澄ませなければ聞こえない囁き声ではあるが、カナデにはまるで耳元で囁かれているようにはっきりと聞こえてくる。特別に耳が良い訳ではないというのに。

 ただ言葉が胸に深く、深く突き刺さるのである。

「あれが……汚染者?」

「そう。触れただけで人を殺す化け物だ。何であんなのが平気な顔して……」

 どれだけ拒絶しても声はカナデへと届く。耳を塞げばいいだけの話なのだが、それは出来ない。再び心を閉ざしたならばここにいる意味はないのだから。

「私は……彼女のために」

 折れそうになる心を彼女を、イリフィリアを想う事で持ち直したカナデはそっと頭上を見上げる。

 ようやく景色を見つめる余裕が出てきたのだ。

 見上げた空はいつの間にか赤く染め上げられていた。あと一時間もすれば日が落ちて寒さがより強まるだろう。

(早くしないとな。今夜……この国を出るのだから)

 見上げた空で大よその時刻を把握したカナデは視線を落とすと、緩めていた歩を早めていく。目的の物を手に入れるため、そして囁かれる声から逃げるために。

 カナデが求めているのは夕飯の食材である。それもなぜか二人分必要なのだ。

 当然、一人はカナデの分。そして、もう一人はアリシアの分だ。なぜ必要かと問わればカナデが彼女の家に厄介になっているからだ。

 今までは一時間をかけて銀の森まで帰っていた。だが、本日はついにお節介な彼女に捕まってしまったという訳である。触れれば氷の結晶となってしまう相手と同居するなど正気の沙汰とは思えないが、アリシアは「だからこそ」と言っていた。

 大方、鍛錬の様子を見かねての事だと思っている。

 アイザックによって連れ出された事を契機に参加した鍛錬。

 アリシア、そしてアイザックと汚染者である事を気にもしない者達がいるこの国ならば自身を受け入れてくれるかもしれない。そう淡い期待を持って参加したカナデではあるが、その期待はものの数秒で崩れてしまった。

 ――囁かれる言葉によって。

 囁かれた言葉は街の住民と同じだった。

 共に命を掛けて戦場を駆ける相手だというのに同じだったのだ。カナデにとっては同じ騎士に拒絶される方がより深刻であり、沈んだ心は過去の消え去る事はない記憶を呼び起こす。

 化け物を見るかのような恐怖に満ちた瞳を。

 呼び起こされた瞳は、カナデの全身を震わせて呼吸を荒くさせる。だが、こんな都市の真ん中で立ち止まる訳にはいかず、とりあえずは何事もなかった様に前へ、前へと進んでいく。

 考え事をしながら進んでいたためかカナデが気づいた時には、メイン通りの左右に立ち並ぶ住居は独創的な趣へと変化していた。

 城塞都市シェリティアの北部に位置する商店街は統一性という言葉からは縁がない。その理由はこの国が、北、東、南と三つの国に囲まれているからだ。元は各国を繋ぐ商人の国であり、その名残が今もこうして残っているのである。

(何なんだろうな……ここは)

 カナデは心中で呟いて、左右へと視線を走らせる。

 右を向けば祖国ロスティアの文字である画数の多い角張った文字が書き殴られた軽食の店が。左を見ればおそらくリシェス共和国の文字だと思われる、文字と文字が繋がれた記号のような文字が記された、小奇麗な看板が掲げられている洋服のお店があった。

 他にも進めば進むほどに変化する景色はカナデの頭痛を加速させる。文字だけでなく、建てられている住居さえ統一性がないからである。丸太を組んで作った雑な作りもあれば、メイン通りと同じ赤茶色の岩を組んだ住居もある。中には本当に岩を組んだのかと疑いたくなるような継ぎ目がまるで見当たらない、そんな不思議な家まである始末であった。

 この自由な雰囲気の商店街が、人を呼び、他国の商人を呼び寄せるのだろう。賑わいを見せる商店街の収益によってこの国が潤っている事は言うまでもない。この辺りが王ラディウスが軍事だけの王と呼ばれない所以でもあるのだ。

(さっさと終わらせよう。疲れる)

 不慣れなカナデは疲労による溜息を吐き出す。そして、唯一読む事が可能なロスティアとストレインの文字を探していく。

 今夜は何を作ろうかと考えながら歩いていると、ふと懐かしい匂いを感じたカナデは歩む足を止める。

 どこか甘い、ミルクやバターのような匂い。そして、この甘さにはどこか覚えがあった。

「セナおばさんのクリームシチュー……まさかな」

 カナデは一年前に近所に住んでいた恰幅のいいおばさんを思い出して、頬を緩める。もしかすれば過去の温かい日常を思い出す事で己を保とうとしているのかもしれない。

 ――情けない。

 素直にそう思う。今でもカナデは現在ではなくて、過去を見ているというのだから。

 一度、緩んだ頬が再び引き締まろうとした時。

「カナデちゃん?」

 沈むカナデに声を掛けてくれたのは、恰幅のいい三十代後半の女性だった。比較的ゆったりとしたセーターに、ロングスカート。そして、トレードマークの真っ白なエプロン。一年前と変わらない姿の女性がカナデを見つめていたのだ。

「おばさん。本当に?」

 カナデは幻ではないかと思う。

 だが、一年前までは毎朝挨拶を交わしていた相手なのだ。見間違える訳はない。

 そして、彼女は変わらず金属製の鍋に入ったシチューをかき混ぜていたのだ。彼女自慢のクリームシチューを。一年前と同じ移動式の屋台の中で。

「銅貨一枚で一杯。週末に変わらずやってるよ」

 彼女はもう何度聞いたかも分からない、宣伝を元気な事でした。

「この屋台、儲かるのか?」

 カナデはもはや挨拶と言ってもいい問いを返す。これが二人のいつものやりとりだった。

「全然。でも、カナデちゃんみたいに毎週通ってくれる子もいるんだ。だから何とか……生きていけるよ。副業もしているしさ」

 彼女はそう言って笑う。そんな彼女の背には自家製の新鮮な野菜が置かれていた。確かにこれなら何とか食べていけるのだろう。売った野菜が美味しければ屋台の宣伝にもなるのだから。

「野菜を貰えるか?」

 久しぶりに会った彼女を見て、カナデは今夜のメニューを決定する。

「はいよ。人参、ジャガイモ……」

 カナデが何を作るかを理解した彼女は、紙袋に手際よく必要な野菜を入れていく。ここまでは至って自然だった。

 しかし、ここからが問題である。

「御代はここに置く。私には触れるな」

 カナデは何とか震える声を絞り出して、屋台のテーブルにそっと銅貨を五枚置く。これだけで彼女にも意味は伝わった事だろう。

「漆黒のローブを身に纏った汚染者……カナデちゃんが」

 彼女は常に浮かべている笑顔を消して、そっとテーブルに野菜を置いた。

 馴染んだ彼女でさえ事実を知ればこれだけ冷たいのだ。他の者ならばなおさらだろう。カナデは込み上げてくる涙を堪えて、テーブルに置かれた紙袋を抱きしめる様にして持ち上げる。入っている野菜は予想よりも多かった。おそらくサービスしてくれたのだろう。

 彼女の優しさが逆にカナデの心をさらに追い詰める。それと同時にこの身に宿る力が憎くて堪らなかった。涙など見せる訳にはいかないカナデは素早く彼女に背を向ける。

 すると。

「またおいで……。すぐには無理だけどさ。徐々に慣れる様にするから」

 彼女はどこか寂しそうな声でそう言った。

「ごめんなさい」

 カナデはそう呟く事しか出来なかった。

 何に対して謝ったのかは自分でも分からない。それでも言葉は自然と出た。

「またね」

 彼女の言葉が背に届く。しかし、これ以上はこの場にいる事が辛かったカナデは早足にその場を去った。


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