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氷結の歌姫  作者: 粉雪草
第三部 戦場に咲いた小さな花
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エピローグ

 エピローグ


 遥か先まで見通せる程に透き通った花が咲き誇るのは銀の森。

 城塞都市シェリティアから西側へと数時間歩く事で辿り着く森は、元は氷雪種が出現した場所でもあり、特別な理由がある者以外は立ち寄る事はない。

 そんな寂しさを感じさせる静かな森にて。

「もう少しだからね。足は疲れてない?」

 優しげに問いかけたのはアリシア。

 現役で騎士を務めているアリシアは平気だが、隣を歩く少女は今年で五歳とまだ幼い。今も手を握っていなければ地面を走る木の根で足を取られないか、心配で仕方がないくらいだ。

「フリエは母様のように強い子だから大丈夫」

 しかし、当の本人はアリシアの手を強く握り締めると同時に『大丈夫』だと語る。

 その様はもう立派な姫様だった。姫様という言葉で検討はつくかもしれないが、今連れ出しているのはイリフィリア・ストレインの愛娘。フリエリーチェ・ストレインことフリエだ。

(やっぱり似るんだなぁ。将来が楽しみ)

 友人イリスの娘の強さに内心で感心したアリシアは、表情を綻ばせて前方へと視線を送る。

 ちょうどその時に、視界に映ったのは白い花弁を有した小さな花だった。周囲を氷結花で覆われた中で、一輪だけ寂しく揺れる可憐な花は、正体を知っている者でなくても自然と目が移ってしまう事だろう。

「あれは……カナデの花?」

 それを証明するように、母親と同じ深緑の瞳を見開いたフリエは空いた右手を真っ直ぐに伸ばした。どうやら説明せずとも、カナデの花については知っているらしい。

「そうだよ。国にいる人の大半は知らないんだけど、とっておきの秘密を姫様には知っておいてほしいの」

 ならば、話は早いと思ったアリシアは歩みながらも静かに語っていく。

 フリエとは呼ばずに、あえて『姫様』と呼んだのは場の空気を変えるためだ。年齢の割には聡いフリエであれば気づくだろう。

「とっておきの秘密……ですか? それは王として知らなければいけない事という事ですね」

 その目論見はどうやら正しかったようで、表情を引き締めたフリエは教え込まれた丁寧語を澱みなく扱ってみせた。さすがにここまでくると友人の子であっても寒気を感じるが、同時に誇らしいと思うアリシア。

「そうだよ。知っておかないといけない事。この国が……ううん、この大陸がなぜ平和な日々を過ごせるのかを知ってもらわなければいけないの」

 としても、今は必要な事のみを語るべきだろう。

 素早く切り替えたアリシアは歩む足を速めていく。いち早く知って欲しいという気持ちもあるが、実際はアリシア自身が一秒でも早く『彼女』と再会したいのだ。

「彼女達もそうなのですか?」

 アリシアに手を引かれながらも、忙しなく両足を動かしているフリエは小首を傾げて前方で待っている二人を見据えた。

 その視線を追うと真っ白なワンピースを着た幼げな少女と、淡い金髪が印象的な大人しそうな女性と目が合う。片方は氷結の歌姫と呼ばれる氷雪種の代表で、もう片方は一年前の戦いで記憶の全てを失ったクロエだ。

 元は団長まで務めたクロエではあるが、記憶を失ってからは常に歌姫の影に隠れている。見る影もない、という言葉が存在するが正にその通りで、彼女の変わり様は痛々しいという言葉が似あうのかもしれない。

 しかし、歌姫自身はクロエが寄り添う事は許しているようで、当人達の間では何の問題はない。としても、アリシアはどうにかしてクロエを立ち直らせたいとは常々思っている。

「……アリシア?」

 言葉を返さなかった事を不審に思ったらしいフリエは、一度アリシアの手を強く握った。

 どうやら思考に没頭し過ぎてしまったらしい。これでは元近衛騎士の名が泣くと思ったアリシアは心を引き締めると。

「うん、そうだよ。真っ白な子の方が『歌姫』で、影に隠れている方がクロエかな。そして、氷結花の中心に咲いているのが――」

「私の一番の友人である、カナデよ」

 順に名前をフリエに教えていったが、言葉は途中で遮られる。

 そんな予定は全くと言っていい程になかったアリシアは、蒼い瞳を彷徨わせていく。

 すると、氷結花が咲き誇る広場のさらに奥の方から、淡い緑色の法衣を身に纏った一人の女性がゆっくりとした足取りでこちらへと向かってきた。

 言葉の内容だけで誰であるのかは分かったが、その姿を見間違える事はない。

「――母様!」

 いち早く反応したフリエは嬉しさのあまりに空いた右手を、取れてしまうのではないかと心配になる程に激しく振った。

「遅かったわね、二人とも。待ちくたびれてしまったわ」

 対するイリスはにこやかな笑みを浮かべて、胸の前で右手を軽く振っているご様子。

 なぜここに、というような野暮な質問はするつもりはないけれども、来るなら来ると最初から言っておいて欲しいとアリシアは思う。

「これで役者は揃ったからいいのかな」

 こんな所で愚痴を述べても始まらないと悟ったアリシアは溜息交じりに呟く。

 そうこうしている内に目的の場所。地に咲いた真っ白な花の目の前にフリエを連れてきたアリシアは、一度イリスの深緑の瞳を見つめる。

 何か言うのかと思ったのだが、イリスは何も語らずに一つ頷くだけだった。どうやら今回はアリシアの思う通りに進めていいらしい。

「フリエは汚染者という存在を知っているよね?」

「氷雪種に触れても氷の結晶にならず……その力を扱えるようになってしまった人達ですよね」

 としても、いきなり確信に触れる訳にはいかないアリシアは一度言葉を濁す。

 だが、真面目なフリエは遠回しに述べていると気づいていながらも話を合わせてくれた。

「そう。氷雪種と同じ力を使える代わりに、多大な代償を支払わなければならない人達が汚染者。先ほど紹介したクロエも汚染者で……最後の戦争で記憶の全てを失ってしまったの。今のクロエを見て、元は傭兵団を率いていた団長だと言ったら信じられる?」

 話を聞いてくれるという安心感はアリシアの口を滑らかにして、一つの真実をフリエへと伝えた。

 予想はしていたけれど、言葉は返ってはこない。自身の事が話題として出ているというのに、クロエは怯えた様子で歌姫の背に隠れてしまったからだ。とてもではないが傭兵団の団長をしていたと言っても信じられないだろう。

「本当だよ。クロエは千を超える銃口を……私の代わりに引いてくれたの。だから、私はずっと彼女の側を離れない。何があっても」

 代わりに応じてくれたのは歌姫。

 怯えるクロエの手を強く握った彼女は「大丈夫だよ」と言いながらも、どこか居たたまれない表情をしていた。フリエのためを思ってこの場に二人を呼んだのだが、もしかすればそっとしておいてあげるべきだったのかもしれない。

 クロエは平和を勝ち取るための犠牲者の一人なのだから。死んではいないのに『犠牲者』という言葉を使うのは問題だとは思うけれども、記憶を全て失い、別人のようになってしまったというのであれば死んだも同然だ。

 だが、フリエに伝えなければいけない痛みはクロエだけではない。

「賢いフリエならもう分かっていると思うけれど、あえて言うわね。この地に咲いている『カナデの花』なんだけど……とある平原から移したものなの。そして、件の花が元は一人の少女だったと言ったら……聖王国ストレインの姫君は信じる事が出来る?」

 伝えなければならない痛みを、フリエの母である女王は容赦なく述べた。

 完全に任せてくれると思った事がそもそも甘かったようだ。こういう部分は容赦しないイリスが、幼いフリエを想って言い澱むなどという事を許してくれる訳がなかったのである。

「元は人だと言うのですか? とても信じる事は出来ませんが、それは私があまりにも世界を知らないからなのですね」

 さすがと言うべきか。

 容赦のない痛みすら受け止めたフリエは、母と同じ瞳を地に咲く花へと注いでいた。

 その瞬間。

 風など吹いていないというのに、一度カナデの花が揺れた。

 そう。

 まるでフリエに認めてもらえた事を喜ぶかのように、カナデが応えてくれたのだ。もしかすれば、そう思うのはアリシアがカナデを愛しているからなのかもしれない。

 だが、アリシアは気のせいではないと思いたかった。今もカナデはここで、この場所で生きているのだと思いたいのだ。

「……カナデ。私達がストレインを、この大陸を平和にするからね」

 フリエの前では立派な隊長でいたいけれども、もう限界だった。

 力を失った両膝を地へと付けたアリシアは頬を涙で濡らして、そっと手を差し伸べる。カナデが汚染者であった頃は触れる事がなかなか出来なかったけれど、今は自由に触れる事が出来るから。

 だから、今はカナデの温もりの一端に触れていたいのだ。

「私が述べた事が嘘か、真か。その瞳でしっかりと見つめなさい」

 しかし、数秒の後に悲しんでいる者はアリシアだけではない事が分かった。

 厳しいところは、とことん厳しいイリスの声が震えていたからだ。今はカナデの花から視線を外す事が出来ないアリシアではあるが、強き女王が涙を流している事は分かる。

 カナデはアリシアだけでなく、イリスにとっても大切な人なのだから当然だ。

「母様とアリシアを泣かせる程の人。フリエは一度会ってみたかったな」

 そんな二人に届けられたのは、拙さを感じさせる声。

 姫様から年相応の少女に戻ったフリエが、地に咲いた花へと興味を示してくれたのだ。彼女の様子はアリシア達が語った内容を疑問に思っている様子はなくて。

 むしろ、世界の裏側を必死で見つめようとしてくれているように見えた。フリエが実際に女王になるのは、まだ数十年先の事。しかし、これからも聖王国ストレインは安泰であるとアリシアは強く実感する。

 それと共に。盤石な基盤を作ってくれた歴史書に名前すら残らない一人の騎士に深く感謝して。

「ありがとう、カナデ。私はずっとあなたを愛しています」

 一つの約束を結んだのだった。


今回のエピローグにて「氷結の歌姫」は完結となります。

ここまで読んでいただきありがとうございました。何か感じた事などありましたら、感想欄に書き込んでいただければ幸いです。


それでは、重ねてありがとうございました。

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