後編 (四)
煌めいたのは金色の剣閃。
元鍛冶師のセドリックによって鍛えられた特注の剣は、扱う者の技量と合わさる事で全ての物体を易々と切断せしめる。どんなに硬質な物体でも、視認する事が困難な程に高速で移ろう物であっても。
「これくらい出来なければ……最強の騎士と名乗る事は出来ませんからね」
射出された弾丸すら切り裂いたシオンは、自身の腕を誇る事無く疾走を続ける。
それもその筈だ。最強の名を背負ったまま戦場で倒れたアルフレッドは、攻城兵器が放った矢でさえ切り払って見せた。その名を継いだ者がこの程度の事で軍法衣を朱色に染める訳にはいかないのである。
だが、所詮は気持ちの問題だ。接近すればする程に速度を増す弾丸に追いつける筈もなく、時を経る度に反応が追いつかなくなっている。
それを如実に表しているのが、付近で聞こえる苦渋に満ちた声。シオンとは違い剣で対応する事が出来ない騎士達は左手に持った小盾で懸命に防いでいるように見えるが、それは放たれた銃弾に合わせているというよりも、偶然防ぐ事が出来たと表現する方が正確だろう。
(……私が前に出るしかありませんね)
一閃、二閃。
右と左に握る剣を横薙ぎに走らせたシオンは、地を駆ける両足へとさらに力を込める。
すると、どうやらこの場において最も危険だと判断されたようで、向けられる銃口の数が明らかに増えたように思う。真紅の軍法衣に金色の長剣。
例え影に隠れていても、将軍か隊長という兵を率いる立場にいる者と分かってしまう恰好をしているのだ。それ程までに目立つ人物が最前線に躍り出たというのだから、狙うのは当然の事だろう。
しかし、ここまではシオンの狙い通りだ。
自身へと銃口を固定させ、それを防ぐ事が出来れば眼前にいる小銃部隊を切り崩す事が可能。賭け事などした経験はないシオンではあるが、明らかに分が悪い事は分かっている。
それでも、仮にシオンが倒れたとしても。その意思は後続へと引き継がれ、難なく敵部隊を殲滅してくれるだろう。どちらにしても勝ちが見えているならば、迷う必要はない。
心の中で決断したシオンは、持てる力の全てを両腕に込める。
数秒か、数分か。一体どれだけ剣を振るえるのかをおぼろげながらに考えた瞬間。
全く予想もしていない事態が目の前へと展開された。
もしかしたらここは死後の世界ではないのかと思ってしまう程に現実から遠ざかった光景。ただの人の身では成し得ない神々しさすら多分に含んだ煌めきは、まるでシオン達を守るように立ち塞がって、触れた物全てを凛とした音色を鳴り響かせて破砕せしめる。
「……シュバルツ王なのか?」
軍団規模を守る氷壁を展開可能な人物は、現状では彼以外には有り得ない。
だが、彼は遥か東で戦闘中だ。こちらの動きまで把握して援護するのは難しいように思える。それもルストを裏切った不忠の将を守る必要はシュバルツにはないのだ。
それでも、彼はシオンとその部下を救ってくれた。
口は悪いが性根は真っ直ぐな王へと返す言葉が見つからないシオンは、黙して地を蹴りつける。
その瞬間、まるでシオンが地面を力強く蹴る事を知っていたかのように氷壁が砕け散る。
宙へと舞った細やかな破片を一閃にて、文字通りに吹き飛ばしたシオンは鋭い視線を眼前へと注ぐ。
同時に上がったのは息を呑むような微かな音。
しかし、その程度の事で剣を鈍らせる程にシオンは甘くない。普段は出来る限り柔らかく人と接する事を心情としているが、ここは戦場だ。自身の甘さが仲間を殺す事となるのであれば、手を抜く訳にはいかない。
仮に銃弾さえ切り裂く騎士に睨まれて、小銃を握った兵が震え上がっていたとしても。
何の躊躇も迷いもない金色の煌めきは、輝く度に鮮血色の液体を宙へと舞わせる。
数にして五千の部隊による突撃。だが、先頭を駆け抜けるシオンの剣に導かれたストレインの勢いは止まらない。
目の前で狙いすらつけずに銃弾を放った兵を斬り捨てたシオンは、素早く周囲を確認してみたが、この様子ならば数十分あれば殲滅出来るだろう。
シュバルツ王の助けがあった事も大きいのだが、この手応えの無さには違和感を覚えてしまう。それは周囲にいる騎士達も同じなのか、このまま突き進んでいいのか判断に困っているようだった。
このまま進むか、それとも一部の兵を残して退くか。
しばし逡巡したシオンではあるが、結局は前者を選ぶ。小銃部隊の内側まで食い込んだ状態で背を向けるのは明らかに危険過ぎるからだ。おそらく十人いれば八人はシオンと同じ判断を下すと思われる状況。
だが、それは同時に敵の大将であるドレスティンも容易に想像出来るという事だ。否、敵国の王はその時を待っていたと言っても過言ではないのかもしれない。
「――まさか囮だというのですか?」
グシオン連合国の、特に中央に位置する歩兵部隊が取った行動一つで囮に引っ掛かったと判断するシオン。軽率だと言われるのかもしれないが、倒れる味方すらも視界に入れず、絶えず戦場に響き渡る絶叫も聞こえた様子のない彼らは、明らかに前に進む事しか頭にないのではないだろうか。
つまりは、新兵器である小銃をちらつかせて主戦力である聖王国を誘き出し、本命の歩兵部隊が中央突破を図る。それがドレスティンの作戦だったのだ。
しかし、中央突破という手段は一つの可能性として視野に入れていたもの。小銃部隊を放置するのは危険ではあるが、ここはシュバルツ王の部隊と連携して挟撃するべきだろう。
「将軍! 小銃部隊が――突撃してきます!」
だが、そんなシオンの考えを「予想済み」だと述べるかのように、グシオン連合国の行動が突如変化する。シオンの側近でもある壮年の騎士の報告通りに、今の今まで小銃で応戦していたグシオンの兵達は銃を投げ捨てて、腰にある剣を抜き放ったのだ。
元小銃部隊の行動を一言で説明するならば、無謀な突撃。兵の損失など脳内から消し去った愚策と表現するのが適当だと思える行動だ。しかし、今まさに挟撃の態勢を整えようとしているシオンは、前方からの突撃に対応せざるを得ない。
とてもではないが目測で残り五千程はいる部隊の突撃を放置出来る程の戦力は持ち合わせていないからだ。としても、中央突破を図る部隊を放置出来ないのも事実。
「将軍。二千の兵を私に」
八方塞がりの思考に飲み込まれそうになっているシオンを見かねたのか、側近の男は小盾を投げ捨てて一つの提案をしてくれた。たかが二千では五千を有する部隊の突撃を抑える事は出来ないのは分かりきっている。
しかし、彼は自らが盾となって道を切り開いてくれるというのだ。
――一秒、二秒。
数秒の暇さえ許されない時間を、固く瞳を閉ざして思考に集中するシオン。
「また会いましょう」
しかし、答えは一つしか存在しないと悟ったシオンは、剣の柄を握り締めている右手を掲げる。再び会う事は叶わない事は分かっているが、こうして紡がれた約束は特に奇跡を起こすものだから。
それは甘さなのか、優しさなのか。その答えはシオンには分からない。
「ええ。必ず」
だが、ストレインで将軍を務めてから共に戦い続けてくれた男は、後者だと判断したようで。まるで子供を見送るような柔らかで、寂しそうな微笑みを浮かべながらシオンが掲げた右手に自身の右手を重ねてくれた。
刹那の時を奏でたのは、金属通しがぶつかった澄んだ音色。
甲冑が重なり響いた音色は、シオンの心に確かに溶け込んで。一人の愚直な騎士の心に報いるためにも自身が手本となるように方向を転換して駆け抜ける。
その背中に届いたのは、どこまでも温かな眼差しだった。




