二人の世界
僕は、この世界の真実を知った。
つまり、この世界は誰かによって書かれた文字情報でしかないということ。
他の世界のことは知らない。
ただ、この世界に関しては、これが真実だ。
その「誰か」がいったい誰なのかは僕は知らない。
それが誰なのかというのは、いろいろな想像ができるともいえるし、全く結論が得られない問題ともいえる。
僕のことを「かわいそうな人」と同情しない少数の人たちのうち、何人かはこの文字情報の書き手を「神様」という概念にあてはめようとする。でも、僕が思うに、彼らが頭に思い描く「神様」というものは、この世界の「書き手」よりも高い次元の存在だろう。「書き手」は、そんなに偉いものじゃない、と僕は推測している。
僕が知ることのできる「書き手」の情報は、まさに今、この世界を構成している文字だけだ。
そして、その文字が構成するこの世界は劇的に素晴らしいものでもないし、逆にいえば僕の存在が危うくなってしまうほど支離滅裂でもない。
だからきっと、「書き手」はどこにでもいる凡庸な人間の一人にすぎない、と僕は思う。
……「書き手」のことはもういいだろう。まさか僕の友達に「うちの世界の書き手です、どうもよろしく」と紹介できるような機会もないだろうし。
問題は、他の人がこの単純な真実、この世界は文字情報でしかないということを理解していないことだ。理解しないどころか、ちょっと憐れみの表情でこんなことを言う。
「…いったい何を言ってるのですか?」
僕だって最初からこんなこと知っていたわけじゃない。ほんの一週間前のことだ。できれば僕も知りたくなかったのだけれど、知ってしまったからには仕方がない。
もちろん僕は、世の中がいろんな人・モノ・カネ・情報その他etc…で動いていることは否定しない。
ただ、それとはまったく別の位相で、この世の中が文字情報であることを理解したという話だ。
そして、そのことが分かれば、恐ろしい事実にも気付くだろう?
「いいえ」
え? そんなことはない。気づくはずだ。
書き手が書くことをやめたら、この世界は終わるということに。
このことを知ったとき、僕はいろんな人にこの話をし、説得をしてなんとか世界を終了させない方法を考えようと呼びかけた。…そしてあきれられた。同情された。
両親が病院に電話した。僕はこの話をするのをやめた。
でも、同時にあせった。この凡庸な書き手が文字情報を並べることをやめたら、それはこの世界の終わりを意味する。そしてそれは、かなりの確率ですぐに実現しそうなことだと僕は確信した。
どうして高校二年生という、少なくとも僕にとっては最良の時期に世界が終わることになるのだろう。
理不尽だと僕は思った。
僕は嫌な気持ちを振り切ろうと、前向きな想像をしてみた。つまり、「書き手」がいるのならその文字情報の受け取り手、つまり「読み手」がいるはずだと考えた。「読み手」がいれば、ひょっとしたら僕はずっと彼/彼女の想像の中で生きることができ、世界は続くのではないだろうか、と。
しかし、それは考えにくいことだった。この平凡な「書き手」の並べる文字情報を読む人がいたら、それはよほど物好きな人だろう。あるいは、そんな「読み手」がいたとしても、すぐにこの世界のことなんか忘れられてしまうに決まっている。なにせ凡庸な「書き手」の文字情報がこの世界のすべてなのだから。
この世界は終わる。高い確率で。
そして、誰もそのことを信じない。当たり前だ。一週間前の僕だったら同じように信じない。
僕はパニックになった。頭がクルクルと回った。そしてこうなったら、世界が終わるときまで悔いの残らない生き方をしようと思った。
「だから…?」
そう、だからまず、これまで後悔していたことをすべてあらためようと思った。
僕は昔から、思ったことを口に出せないタイプの人間だった。それをまず直す必要があると思った。
そして、六条さん。
僕はずっと前から六条さんが好きだった。
「いつから?」
なんて聞かないでほしい。とにかくずっと前からだ。
一週間前の僕なら、世界が終わりでもしないかぎり六条さんに告白する勇気など出なかっただろう。
しかし考えてみてほしい。今や高い確率でもうすぐ世界が終わるのだった。
告白するよりほかの選択肢なんてあるのだろうか?
「つまり…」
単刀直入に言おう。
好きだ。
「私も…」
え?
「ずっと前から好きでした」
これは世界が終わるよりも驚くべき展開だった。僕は玉砕覚悟だったのに。
「私も、まさかあなたがこんなに話す人だとは思いませんでした。
しかも妄想も含めて思ったこと全部。
…こんな変わった告白、はじめて。
でもそういう不思議なところも、好きです」
本気ですか、六条さん。
「ところで、世界が終わるとかどうとかって話なんですけど。
具体的にどんな風に終わるの?」
今の僕にとっては、世界が終わるか終わらないかということは、全くどうでもいい事柄になってしまった。なぜなら、六条さんと両想いだとわかったからだ。しかし、六条さんが望むことならなんだって答えよう。なぜなら、六条さんと両思いだとわかったからだ。
「間が空くともっと恥ずかしくなるから話を変えようとしたのに……なんか……」
僕のテンションのせいで、六条さんの気遣いが無駄になってしまったようだ。
「それで、世界の終わりは…?」
六条さんの気遣いを二度も無下にするような僕ではない。とりあえず六条さんの質問に僕は答えることにする。
この世界の終わりというのは、僕にとってみれば明白なことだった。次の文字が書かれないこと。あるいは、次の文字はもう書かれないという意思表示があること。たとえば…
「あの…」
なんですか、六条さん。
「名前で呼んでもらえませんか」
と言って照れる六条さんは、とてもかわいい。……もっと照れる六条さん。
もっと照れる六条さんは、もっとかわいい。……すごく照れる六条さん。
「あの、そろそろ勘弁してください。あと、名前でお願いします」
さやかさん。
「さん付け、なしでお願い」
…さやか。
最高に照れるさやかと僕。顔を伏せる僕とさやか。
「あの、私も呼んでいいかな?」
もちろ…ん?
ああ、そういうことか。
結局、僕の予感は当たっていたということか。
まあ、これはこれでいいか。僕は覚悟を決めた。
「? どうしちゃったの」
いや、僕らの運命というやつをちょっと考えていただけ。
…世界が終ったとしても、僕たちは一緒だよ、さやか。
「そんな、大げさよ。世界は続くし、これからも私たちは一緒よ。
ね、
了」