74話 港町イベル、自由時間とポークの誘惑
イベル港の夕暮れは、黄金色だった。
穀倉地帯の西端。
海と麦畑の境目にある港町は、風まで香ばしい。
小麦と葡萄と、焼いた肉の匂い。
レイは桟橋で潮を眺めながら、船の入港予定を確認していた。
「サルマータ号は、明日の夕方入港。
出航は明後日の朝」
三人が横に並ぶ。
「つまり?」 マイ。
「あと二日、イベル滞在だ」
「やった!」 アーモンドが拳を握る。
「イベル自由探索ですね」 クリームが冷静に微笑む。
レイは頷いた。
「今日は解散だ。自由時間にする」
三人の目が輝く。
「ただし」
「はい」
「夜は宿に戻れ。門限は日没後一刻」
「先生、厳しい」 マイがぶーたれる。
「ここは帝国領。油断はするな」
「はい」
アーモンドが真面目に応じる。
「お土産買ってきます」 クリーム。
「木工細工見たい!」 マイ。
「葡萄酒は未成年だからだめですよ」 アーモンド。
「わかってるよ!」
わちゃわちゃと三人は港町へ散っていく。
その背を見送りながら、レイは一人呟く。
「……静かだ」
静かすぎる。
そして、腹が鳴った。
(イベル豚……)
違いのわかる剣聖は、静かに歩き出す。
港町の中央通り。
石畳。
白壁の家々。
軒先には干し葡萄。
そして、煙。
鉄板で焼かれる音。
じゅうううう。
レイは足を止める。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声。
看板には、
【炭焼きイベル豚専門 黒麦亭】
レイは入った。
店内は木造り。
梁が太い。
壁には大きなオークの牙が飾られている。
(……オーク肉も売れる地域)
イベルらしい。
「おひとりですか?」
「ああ」
「何にします?」
メニューを見る。
炭焼き厚切りポーク
ポークステーキ
ポークカツレツ
ポークシチュー
ポークの香草ロースト
ポークカレー
レイの目が止まる。
「……ポークカレー」
店主が笑う。
「やっぱりか!」
「やっぱり?」
「イベル来たらみんな頼む!」
しばらくして出てきた。
濃い。
重い。
脂が美しい。
スプーンを入れる。
肉がほろりと崩れる。
一口。
……。
「……」
レイは静かに目を閉じた。
(脂の甘み。
小麦のとろみ。
スパイスは控えめ。
イベルは素材勝負か)
もう一口。
「うまい」
ぽつり。
店主が胸を張る。
「イベル豚は、ドングリと胡桃で育つ。
脂が違う」
「わかる」
「わかるのか!」
レイは淡々と食べ続ける。
隣の席では、地元の男たちが話している。
「最近、森が静かだな」
「オーク減ったらしい」
「誰か大物やったんだろ」
レイは無言。
コーヒーを頼む。
「コーヒーもあるのか」
「港町ですから」
出てきた。
一口。
……。
(浅煎り。酸味強め。
帝国西部はこうか)
「違いがわかる顔してるな」 店主が笑う。
「ただの好みだ」
窓の外を見る。
港。
夕日。
弟子三人はどこだろうか。
マイは露店で鍛冶道具を物色しているに違いない。
アーモンドは防具屋で新作盾を眺めているだろう。
クリームは書店か教会図書館だ。
ふ、と口元が緩む。
(自由時間も修行だ)
会計を済ませ、店を出る。
通りの先で、聞き慣れた声。
「先生!」
マイが走ってくる。
「見て見て、イベル産ナッツ!」
「食い物か」
「素材だよ!」
アーモンドも来る。
「新型の盾、軽量型ありました!」
「買ってないな?」
「我慢しました」
クリームは小さな包みを抱えている。
「葡萄の砂糖漬け。ニベア様に」
レイが一瞬固まる。
「……持ち帰るのか」
「当然です」
三人がにやり。
「先生、一人でポークカレーですよね?」
「……」
「顔に書いてあります」
「書いてない」
「書いてます」
マイが覗き込む。
「脂の光」
「やめろ」
四人で笑う。
空は紫色に変わる。
「宿に戻るぞ」
「はーい」
歩きながら、レイは小さく呟いた。
「……あと一軒、行きたい」
「先生」
「何だ」
「イベル滞在、あと二日あります」
「……そうか」
違いがわかる剣聖は、静かに微笑んだ。
イベルの夜は、まだ長い。




