71話 怒れる女王と、未熟な一撃
森が唸っていた。
オーククィーンの怒りは、もう理屈ではなかった。
誇りでもなく、縄張りでもなく、種族の問題でもない。
――ポークカレー。
それが引き金だった。
「ぶたぁぁぁぁああああ!!」
咆哮と同時に、赤い月光がその巨体を照らす。
筋肉が膨張する。血管が浮き上がる。
明らかに魔力の流れが変わっていた。
「先生……強くなってません?」 アーモンドが冷や汗をかく。
「怒りバフだな」 レイが淡々と言う。
「怒りバフの名称、ポークカレー効果でいいですか?」 マイが真顔で言った。
「よくない! 絶対よくない!」
だが冗談を言っている余裕は、もうなかった。
クィーンの戦斧が、地面を抉る。
土が吹き飛び、衝撃波が走る。
レイは一歩踏み込んだ。
世界樹の棒が、淡く光る。
「……一発、入れる」
振り下ろす。
ガツン――!
乾いた衝撃音が響いた。
確かに、入った。
クィーンの脳天に、真っ直ぐ。
だが。
「……いてぇぞコラァ!!」
折れない。
倒れない。
むしろ――
怒りが、増した。
「……先生」 クリームが小さく言う。
「わかってる」
レイは、内心で舌打ちした。
手を抜いた。
弟子にとどめを譲ろうと、力を抑えた。
それが、最悪の選択だった。
中途半端な一撃は、怒りを煽るだけ。
「下がれ!」
レイが叫ぶ。
クィーンが戦斧を振り回す。
暴風のような連撃。
マイが前へ出た。
オリハルコンの丸盾を構え、体をひねる。
「遅い!」
斧が通り過ぎる瞬間に、懐へ滑り込む。
魔神の戦槌が唸る。
一撃。
ドン。
二撃。
ゴン。
三撃目――
「これが、会心!」
全身の回転を乗せた一撃が、クィーンの左手に叩き込まれた。
メキィィ――!
骨が砕ける音。
巨腕が、不自然な方向へ折れ曲がる。
「ぐあぁぁぁ!」
クィーンの絶叫。
そこへ、迷いなくアーモンドが飛び込んだ。
「形――一の大刀!」
上段に振りかぶる。
呼吸を合わせる。
「両断!」
斬る、ではない。
叩き割る。
バスターソードが、折れた左腕を根元から切り裂いた。
肉が裂け、腕が宙を舞う。
「やった……!」
だがクィーンは止まらない。
右手で戦斧を握り直し、なおも振り下ろそうとする。
「止めます!」
クリームが両手を掲げた。
魔力が一気に膨れ上がる。
「氷結上級魔法――クリスタルランス!」
空気が凍る。
透明な氷槍が、空中に数十本。
次の瞬間、雨のように降り注いだ。
ドドドドドドドッ!
胸板に突き刺さる。
肩に、腹に、喉元に。
氷の杭が、クィーンの体を縫い止める。
怒りに満ちた目が、揺れた。
ぐらり。
膝が折れる。
地面に、巨体が崩れ落ちた。
森が静まり返る。
息が荒い。
焦げた匂い。血の匂い。
スパイスの匂い。
「……先生」
アーモンドが振り返る。
「倒しました」
レイは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ああ」
中途半端な一撃だった。
それでも、弟子がやり切った。
マイが戦槌を肩に担ぎ、にやりと笑う。
「先生、さっきの一撃、手抜きましたね?」
「……バレたか」
「バレますよ。58歳でもバレます」
「年齢言うな」
クリームがクィーンの残骸を見つめ、静かに言った。
「最後は、私たちの力でした」
「そうだ」
レイは頷いた。
「それでいい」
森の奥で、ゴブリンたちがこちらを見ていた。
ブン太が、震えながらも前に出る。
リコが支え、ゴンが拳を握り、ブリ夫が誇らしげに鼻を鳴らす。
ブン太が、小さく言った。
「……すごい」
レイは世界樹の棒を肩に担ぎ、軽く笑った。
「いや。今日はな」
横目で弟子を見る。
「俺は、あんまり役に立ってない」
「そんなことないです」 アーモンド。
「先生の一撃で、流れができました」 クリーム。
「怒らせたのは余計でしたけど」 マイ。
「そこは言うな」
森に、風が吹く。
ポークカレーの匂いが、まだかすかに漂っていた。
「……朝飯、反省だな」 レイがぼそりと言う。
「明日は何にします?」 アーモンド。
「カレー以外」 三人同時。
レイは、遠い目をした。
世界樹の棒が、月光を返す。
師匠の一撃は未熟だった。
だが弟子の一撃は、確かに未来だった。
森の戦いは終わった。
だが、物語はまだ続く。




