69話 スパイスの匂いは命取り
森の奥は、静かすぎた。
静かというより――
削られていく音が、聞こえないだけだ。
オークは鼻がいい。
血の匂い。脂の匂い。腐敗の匂い。
そして――食べ物の匂い。
「……鼻が利く種族は、厄介です」 クリームが小声で言う。
レイは軽く頷いた。
だからこそ、血は地面に吸わせる。
音は落ち葉に沈める。
呼吸も浅く。
クリームが両手を静かに広げた。
「――スリープ」
低く、息のような詠唱。
視界の端で、淡い闇が広がる。
「――ダークネス」
焚き火の明かりが、じわりと鈍る。
視界が落ちる。
オークの目が、戸惑う。
「……なんだ?」
「火、消えたか?」
混乱の隙。
そこに、アーモンドが滑り込む。
剣が横一閃。
喉を裂く。
倒れる前に支え、静かに寝かせる。
マイは反対側。
低い姿勢から、膝裏を払う。
体勢が崩れた瞬間、首元に刃。
迷いはない。
「一体」 レイが小声で数える。
周囲を警戒しながら、弟子の動きを見る。
目は四方。耳は森。
気配の揺れを拾う。
「二体」
クリームがまた呪文を落とす。
暗闇の中で、オークが眠る。
アーモンドとマイが、順に仕留める。
「三体……四……」
潜入戦。
確実に、削る。
十八体目を落とした頃だった。
広場の中央。
ブン太が、転がされていた。
「……くっ、くそ……」
鍋がずれ、土がつく。
オークの足が、踏みつける。
「勇者様だろぉ? なんとかしてみろよ」
嘲笑。
周囲で笑い声。
リコが涙をこらえる。
ゴンが歯を食いしばる。
ブリ夫が拳を震わせる。
四人は、それを横目で見た。
助けたい。
だが順番がある。
レイは、視線で合図を出す。
奥だ。
広場のさらに奥。
ひときわ大きい、粗雑だが壁の厚いあばら家。
「……ボス部屋だろうな」 アーモンドが囁く。
マイとクリームが隙間から中を覗く。
次の瞬間、二人の呼吸が止まった。
「……先生」
「……でかい」
レイも覗く。
そこにいたのは――巨大なオーク。
他より一回り、いや二回りは大きい。
筋肉の厚みが違う。
背中に刻まれた傷跡。
座っているだけで圧がある。
「……メス?」 マイが小声で言う。
レイは静かに答えた。
「クィーンだろ」
「最悪ですね」 クリームが息を飲む。
「オークは、女王が頂点だ」 レイは淡々と続ける。 「王より上だ。つまり……」
「ラスボス」 アーモンドが短く言った。
その瞬間。
クィーンが、鼻をひくつかせた。
クンクン。
もう一度。
クンクン。
広い鼻孔が、空気を吸い込む。
「……スパイス?」
低い声。
「……なんだ、この臭いは」
四人の背筋が、同時に凍る。
クィーンが立ち上がった。
「……豚?」
もう一度、吸う。
「……豚の臭い」
怒気が、膨れ上がる。
「だれだぁぁぁ!!」
壁が震えた。
「豚を食ったやつは!!」
四人、同時に目を見開く。
「……やべぇ」 マイが呟く。
「先生」 アーモンドが睨む。
「朝からカレー食べるからですよ」 冷静なツッコミ。
「最低です」 クリームが追い打ち。
レイ、沈黙。
「……すまん」 素直だった。
「豚で怒るとは、思わん」
「イベルのオークですよ!?」 アーモンドが小声でキレる。
「豚は神聖枠でしょうが!」 クリームがさらに刺す。
「先生の胃袋が事件です」 マイが真顔で言う。
あばら家の扉が、蹴破られた。
クィーンが出てくる。
右手に凶悪な戦斧。
刃の幅が異様に広い。
血と脂が染みついた鉄。
怒りで、目が赤い。
鼻が、また鳴る。
「……いた」
視線が、一直線にレイへ向く。
「みつけたぞ」
森の空気が、凍った。
「貴様らか」
四人、同時に視線を交わす。
「……ポークカレー」 マイが小声。
「罪が重い」 アーモンドが断言。
「最低です先生」 クリームが三度目。
「すまん」 レイ、再度謝罪。
クィーンが地面を踏み抜いた。
地響き。
「豚を喰った匂い……!!」
戦斧を振り上げる。
「覚悟しろォォォ!!」
暗殺潜入、終了。
正面戦闘、開始。
レイは木の棒を構える。
「……弟子は、下がれ」
「いやいや」 アーモンドが即答。
「ポークカレーの共犯です」 クリーム。
「連帯責任です」 マイ。
レイが小さく笑った。
「……よし」
クィーンが突撃する。
怒りに満ちた一撃が、振り下ろされる。
森が、裂けた。




