66話 鍋兜の勇者と、森の搾取
月明かりに照らされた小麦畑は、金色の海のように静かだった。
――本来なら。
ざっ、ざっ、ざっ。
刈り取りの音が、不規則に波打つ。
レイたちは革装備で身を固め、金属音を徹底的に殺していた。
手に持つのは、いつもの武器ではない。
木の棒。
「先生……ほんと、その棒好きですね」 アーモンドが小声で言う。
「音が出ない。軽い。あと……落ち着く」 レイが平然と返す。
「精神安定が、コーヒーだけじゃない……」 クリームが真顔で納得してしまう。
「剣聖あるあるです!」 マイが嬉しそうに言った。
「あるあるなの!?」
前方。
刈り取りをしているゴブリンの動きが、やけに統率されている。
ただの略奪ではない――“作業”だ。
そして、その集団を指揮する四つの影がいた。
四人……いや、四匹?
言葉が出そうになるのを、アーモンドが飲み込む。
クリームが小さく頷いた。
「……人間語、使ってます」
ゴブリンの声は低いが、はっきりしている。
「束をまとめろ。北側は終わった。
撤収は十数える間に――急げ」
指揮官格の一体は、赤いマント。
そして頭に――鍋。
鍋を、兜のように被っていた。
「……お鍋……」 クリームが思わず呟く。
「実用性あります。煮炊きできます。防具にもなります」 マイが評価する。
「戦場で料理の話をするな」
その赤マントは、小さな剣を握り、指示を飛ばしている。
隣には斧持ち。
長い刀のようなものを携えた個体。
そして、魔道士帽子を被り、杖を握る個体――髪が長い。女性にも見える。
「……女の子、なのかな」 アーモンドが、つい言ってしまう。
「髪だけで断定は危険。でも可能性はある」 クリームが即答した。
四人は距離を保ち、慎重に追跡を始める。
相手に気づかれない角度、風向き、足場。
それを当たり前のように計算するのが、剣聖一行だった。
森へ入った瞬間、空気の匂いが変わる。
湿った土と腐葉土。
そして、獣の臭気――重い。
小麦を抱えたゴブリンが百体ほど。
その中心に、赤マントの指揮官と三人。
マイが、妙に楽しそうに囁いた。
「……先頭のあれ、ゴブリン勇者ですね」
「は?」 アーモンドが振り向く。
「赤マント! 鍋兜! 剣! 仲間三人!
完全に“勇者パーティー”じゃないですか!」
クリームが小さく頷く。
「……いい得て妙」
「じゃあ名前は、ゴブリン勇者パーティーで」 レイが即決する。
「先生まで軽い!」
だが、しっくり来すぎていた。
やがて、森の奥に開けた広場が見えた。
そこはゴブリン集落の中心。焚き火、粗末な小屋、干された穀物――生活の匂い。
しかし、中央にいた“それ”が、すべてを壊していた。
オークが五体。
筋肉の塊。牙。濁った眼。
魔物としての格が、ゴブリンと桁違いだ。
ゴブリン勇者が、小麦の束を差し出した。
「……約束通り、持ってきた。これで――」
オークの一体が、鼻を鳴らす。
「たりねぇなぁ」
次の瞬間。
オークは、ゴブリンの“メス”――髪の長い魔道士帽子の個体を、ねちねちと指先で弄んだ。
顎を持ち上げ、顔を覗き込み、笑う。
「もっと持ってこい。ほら、泣けよ。泣けるだろ?」
空気が凍る。
斧持ちのゴブリン戦士が、歯を食いしばって前に出かけた。
「……ッ!」
長刀のゴブリンが、刀に手をかける。
剣聖――いや、“剣聖っぽい”動き。背筋がまっすぐ、抜刀の気配が鋭い。
魔道士が杖を握り、詠唱を始めた。
「――火よ、我が怒りに応えよ……!」
ゴブリン勇者は、一歩前に出て仲間を庇うように身構える。
鍋兜の下の目が、震えている。
「やめろ……! 今やったら――!」
しかし、もう止まらない。
ゴブリン魔道士が放つ。
「初級火炎呪文――ファイアー!」
火球が、夜の広場を赤く染める。
――だが。
オークは、笑った。
腕を振り払うだけで火球を散らし、逆にゴブリン戦士の腹へ拳を叩き込む。
鈍い音。
斧持ちが地面に転がる。
長刀のゴブリンも、突っ込んだ瞬間に叩き落とされた。
刀が弾かれ、体が吹き飛ぶ。
勇者も飛びかかった。
小さな剣で、必死に切りつける。
しかしオークは、まるで子どもをあやすように、軽く受け止めた。
「かわいいねぇ。勇者ごっこか?」
拳が落ちる。
赤マントの体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
魔道士の杖も折れる。
火は消え、詠唱も途切れる。
四人のゴブリンは、ぼこぼこにされた。
オークは小麦を抱え上げ、吐き捨てる。
「次は倍だ。食い物、もっと持ってこい。
持ってこねぇと……次は、そいつらを“食う”」
ゴブリン勇者は、膝をついた。
鍋兜が傾く。
赤マントが泥に汚れる。
そして、涙。
「……強くなりたい……」
震える声。
必死に絞り出す。
「強くなりたい……! みんなを守れるくらい……!」
魔道士帽子のゴブリンが、泣きながら勇者の手を掴んだ。
「ブン太さんは悪くない……! ブン太さんは、悪くない……!」
「リコちゃん……!」
血と泥と涙の中で、二人が手を握り合う。
だけどそれは、恋の盛り上がりじゃない。
“折れないための支え”だった。
オークは笑いながら供物を抱え、森の奥へ消えていった。
広場に残るのは、倒れたゴブリンと、踏みにじられた静けさ。
レイたちは、木陰からじっと見ていた。
アーモンドの拳が、震えている。
「……先生」
クリームが小さく息を吐く。
「……調査、終わりましたね」
マイは、目が笑っていない。
「オーク、許せないです」
レイは木の棒を握り直し、淡々と言った。
「うん。条件変更だ」
一歩、前に出る。
「……取引の相手、変えてやる」
月明かりの広場へ。
剣聖と三人娘が、影から姿を現した。




