64話 冬山装備で行く、C級ゴブリン案件
定期船サルマータ号。
サルマータ港の桟橋は、朝の潮風と、魚の匂いと、旅立ちのざわめきでいっぱいだった。
荷揚げの掛け声、ロープの軋み、カモメの鳴き声。
そして――異様に目立つ四人組。
師匠と弟子三人。
全員、冬山登山に行くのかというレベルの巨大リュックを背負っている。
しかも、ニコニコ。
「先生、これ絶対、遠征じゃなくて引っ越しですよね?」 アーモンドが真顔で言った。
「引っ越しじゃない。冒険だ」 レイは涼しい顔で答え、コーヒーを飲む。
剣聖特製ブレンド。
潮風の塩気すら、コーヒーの香りで打ち消す勢いだ。
「師匠、今朝から何杯目ですか」 クリームが、魔道書と筆記具をきちんとリュックに括りつけながら聞く。
「数えるのをやめた」 「やめた、じゃなくて……」
マイはというと、巨大リュックの上にさらに工具袋を縛り付け、カチャカチャ音を鳴らしている。
「マイ、その金属音、船の乗客に不安を与えるぞ」 「安心してください先生。全部、生活必需品です」 「鍛冶道具が生活必需品なのはドワーフだけだ」
周囲の乗客が、ちらちら見てくる。
「ねえ……あれ、剣聖様じゃない?」 「ほんとだ……え、荷物どうなってるの……」 「弟子、三人? 増えたの?」
そんな囁きが飛び交う中、レイは平然と乗船名簿にサインした。
修行。
遠征。
冒険。
そして――現実逃避。
ニベアがいない“しばらく”の間に、できるだけ遠くへ行く。
理屈は簡単だ。
「先生、顔が軽いです」 クリームが淡々と言う。
「軽いのは荷物じゃないですか?」 アーモンドが突っ込む。
「私の荷物は軽いです! オリハルコン以外は!」 マイが胸を張る。
「オリハルコンが一番重いんだよ!」
レイはコーヒーで一息つき、船内へ歩き出す。
サルマータ号は、サルコジ島と周辺の港を巡る、ありがたい定期船だ。
ただし「ありがたい」の意味はこの世界では少しズレている。
サルコジ島が――ほぼA級ダンジョンだから。
高額素材が採れる。
危険も採れる。
ついでにドラゴンも採れる(採れない)。
だから船は来る。
冒険者も来る。
そして剣聖も、たまに出ていく。
船が離岸する。
桟橋が遠ざかり、港の喧騒が潮風に溶けていく。
海は青く、空は高い。
島影が小さくなるほど、レイの肩もわずかに軽くなる。
「……平和だ」 レイがしみじみ言った。
「先生、それ、“奥さんがいない”の意味ですよね?」 アーモンドが即座に刺す。
「違う。海が美しいって意味だ」 「今、目が泳ぎました」 クリームが事実だけ述べる。
マイは甲板の端で、依頼書の束を一枚ずつめくっていた。
大事そうに、宝物を選別する目だ。
「……よし。まずこれです」 マイが一枚を掲げる。
レイが覗き込む。
「イベル地方の村長から――“ゴブリンコミュニティが可笑しい。小麦畑を襲い、収奪していく。駆除と調査希望。C級”」
アーモンドが首をかしげた。
「C級、ですよね?」 「うん」 「なのに、“コミュニティ”って書いてるのが嫌ですね」
クリームが冷静に言う。
「村長さん、“群れ”じゃなく“社会”として認識してます。規模か統率者がいる可能性があります」
マイが、さらに小声で付け足す。
「ゴブリンが小麦を収奪……。パン作るんですかね」 「パン作るゴブリンとか、嫌すぎるだろ」 アーモンドが顔をしかめる。
レイはコーヒーを飲み、ゆっくり息を吐く。
「……まず低い等級から、だな」
言いながら、レイは船尾の手すりにもたれた。
潮風が顔を撫で、コーヒーの香りが一瞬だけ風に負けそうになる。
それでも、負けない。
「先生、ちゃんと調査しますよね?」 クリームが念押しする。
「する」 「切り捨てて終わり、じゃないですよね」 「するって言ってる」
アーモンドがにやりと笑う。
「師匠、最近“調査”って言葉を覚えましたね」 「お前ら、俺を何だと思ってる」
マイが満面の笑みで言った。
「コーヒー飲みながらだいたい解決する人です!」 「それは否定しにくい!」
レイは苦笑し、依頼書をマイから受け取った。
イベル地方。
小麦畑。
ゴブリンの“収奪”。
そして、村長がわざわざ“コミュニティ”と呼ぶ違和感。
C級――だが、匂いはする。
面倒な匂いが。
レイは、コーヒーを飲み干した。
「よし。着いたら下見だ。村長から話を聞く。畑も見る。足跡も見る。ゴブリンの数と動線を割り出す」
三人が目を見開く。
「先生が……真面目だ」 「怖い」 「何か起きますよ」
「失礼だな!」
サルマータ号は、波を割りながら北上していく。
船の軋む音が、遠征の始まりを告げる鐘みたいに鳴った。
師匠と弟子三人の、修行と遠征と冒険。
まずは――冬山装備で挑む、C級ゴブリン案件から。
レイは手すりにもたれ、静かに言った。
「……パン作るゴブリンだったら、許さん」
「そこが地雷なんですか!?」 アーモンドが突っ込んだ。
マイが笑い、クリームがため息をつき、レイはコーヒーで心を整えた。
遠征は、始まったばかりだ。




