63話 つやつや女王と、封蝋の匂い
サルコジ島、サルマータ港町。
朝の潮風は気持ちいい――はずなのに。
「……まぶし……」 クリームがまた目元を押さえた。
原因は一つ。
ニベア=カーター。
昨日の“朝帰り事件”を経て、エルフ女王は、さらに――つやつや、にこにこ、ぷりぷり(※幸せ方向)である。
笑うだけで、周囲の光量が上がる。
深呼吸するだけで、花が咲きそう。
一方の剣聖レイはというと。
港のギルド前で、コーヒーを飲みながら、魂だけ先に帰っている顔をしていた。
「先生……まだ細いです」 「……コーヒーで、世界は回る……」
「回ってるのは先生の白目だけです」 アーモンドのツッコミが冴える。
「目の焦点が……ちょっと死んでます」 マイが真顔で追撃する。
「うるさいわね。レイは元気よ?」 ニベアが胸を張る。
「元気の定義がエルフ基準なんですよ」 クリームが静かに言った。
ギルドの受付。
木のカウンターの奥から、職員のマーガレットが顔を出した。
「剣聖様、女王様。お待ちしてました」 笑顔。丁寧。だが――手元の荷物が、分厚い。
手紙。手紙。手紙。
束だ。
「……また増えたのか」 レイが遠い目になる。
マーガレットはため息を一つつき、仕事の顔で言った。
「まず女王様宛て。転送分がこちら。封蝋が豪華です」 「当然ね」 ニベアは受け取る手が軽い。ご機嫌である。
「次に、剣聖様宛て。――こちらも転送分です」 「……」 レイは、受け取る前から胃が痛そうだった。
マーガレットは、ちらりとニベアを見て、咳払いをした。
「女王様。念のため、申し上げますが……」 「なに?」 「剣聖様宛ての手紙を、女王様が全部お持ち帰りになる件……」 「当然よ」 「当然って言い切りましたね?」 マーガレットの声が、ほんの少しだけ低くなる。
ニベアは、にこにこしたまま、まったく譲らない。
「夫婦なのよ? マナも交換したのよ? 私が管理して何が悪いの」 「ええ……その理屈は、法律の外側ですけど……」
「法律は私が作る側です」 女王の“圧”が、さらっと出た。
マーガレットは、職員として負けられない。
「剣聖様のプライバシーも……」 「剣聖のプライバシーは、私の安全保障です」 「なにそれ怖い」
アーモンドが腹を抱えそうになり、クリームが肘で止めた。
レイはというと、コーヒーをすすり、現実から目を逸らす。
「……コーヒーが、逃げ場……」
マーガレットは、最後の一通を取り出した。
封蝋が赤い。
紙が、妙に香る。
封筒の角に、金の紋章。
「剣聖様宛て。ジャンヌ帝国、カレー公爵――ミレインド=ジャンヌ様からです」 「……ミレイか」 レイが小さくうなずく。
ニベアの笑顔が、ほんの一ミリだけ固まった。
「……へえ」 にこにこ。つやつや。
しかし、声の温度が下がった。
マイが、封筒に鼻を近づける。
「これ……スパイス系の匂い。あと、蜂蜜。あと、なんか……恋の匂い」 「お前、鼻だけSSS級だな?」 アーモンドがつっこむ。
「恋の匂い……?」 クリームが困った顔をする。
ニベアは封筒を見つめ、にこやかに言った。
「恋文? まさかね」 にこやかに。 にこやかに。
――目が笑っていない。
レイは、反射でコーヒーを飲む。
「……あれは多分、礼状だ……多分……」
「多分って言ったわね?」 ニベアが優しい声で聞く。
「……確率論だ……」 「剣聖、急に学者ぶらないで」
マーガレットは、仕事を切り上げるように手を合わせた。
「それでは、お気をつけて。……剣聖様、祈ってます」 「何をだ」 「生存を」 「やめろ」
四人はギルドを出た。
港の石畳。
海鳥の声。
潮の匂い。
平和――に見せかけて。
ニベアは、手紙の束を抱え、つやつやのまま言った。
「帰りましょう。話し合いが必要ね」 「……ゴールドマン問題か?」 「それも。あと、恋文問題も」 「恋文じゃない可能性も――」 「可能性は私が潰す」
言い切った。
レイの家。
居間のテーブルに、手紙の山が築かれる。
ニベアはまず、封蝋の重い一通を開けた。
「ハイネ王国、女王マルガリータからの書簡ね」
女王同士の文章は、丁寧で硬い。
だが内容は重い。
――ゴールドマン問題。
北の大地の陥落。
差別撤廃を旗印にした統一。
そして、次に何を狙うのか。
レイはコーヒーを淹れ直し、静かに隣に座った。
「……マルガリータは、動くか」 「ええ。彼女は国のために動く。あなたの幼馴染は、昔から責任感が重いもの」
ニベアは文面を指でなぞり、少しだけ眉を寄せる。
つやつやのまま、女王の顔になる。
「会談の打診ね。カーターに来い、と」 「……カーターに戻るのか」 「戻る。必要なら、すぐにでも」
クリームがぴくっと反応した。
「お母さん、内閣と議会……」 「会談の準備は命令一本で進むわ。魔法官僚国家を舐めないで」 「こわい……格がちがう……」 アーモンドが小声で言う。
マイは、別方向を見ていた。
テーブルの端に置かれた、例の封筒――ミレイからの手紙。
「先生、あれ開けないの?」 「……今は、開けない」 「開けないと、逆に怖いのでは?」 クリームが火に油を注ぐ。
ニベアは、にこにこして言った。
「開けるわよ?」 「今!?」 レイが反射で立ち上がる。
「何? やましいの?」 「やましくない。だが、心の準備が――」 「心の準備が必要な時点で、怪しいのよ」
アーモンドが、マイに耳打ちした。
「先生、詰んでない?」 「詰んでる。コーヒーでも解けない」
ニベアは封筒を取り上げ、封蝋を――
ぱき、と割った。
部屋の空気が、一瞬で張る。
レイはコーヒーを握りしめ、祈るように天井を見た。
(頼む……礼状であれ……)
ニベアは手紙に目を通し、ふっと微笑む。
「……ふうん」
「ど、どう書いてある?」 クリームが身を乗り出す。
ニベアは、淡々と要点だけ読んだ。
グラスの件の謝意。
町の復旧状況。
そして――
「……“剣聖殿に、次に会う機会があれば、正式に礼を”……ですって」 「礼状じゃないですか!」 レイが即座に叫ぶ。
「礼状ね」 ニベアはにこにこする。
「じゃあ問題ない――」 「問題は、次に会う機会が前提なことよ」
「仕事で会う可能性が――」 「仕事で会う可能性を、私が減らす」
言い切った(二回目)。
レイは、コーヒーをすすった。
「……世界は均衡している……俺の胃以外は……」
ニベアは手紙を丁寧に畳み、マルガリータの書簡の上に置く。
「よし。ゴールドマン問題を話し合いましょう。
その次に――」
にこやかに言った。
「あなたの手紙は、全部、私が読むから」
「それはちょっと――」 「夫婦です」 「夫婦でも人権は――」 「マナ交換は、エルフ業界で最高位の契約です」
「ここ人間の世界なんだが!?」 アーモンドがつっこんだ。
マイがうなずく。
「先生、がんばって。生きて」
クリームはため息をつき、真面目にまとめた。
「……会談の準備も、家庭内の均衡も、課題が山積みですね」
ニベアは、ふわっと笑う。
「大丈夫。全部、私が整えるわ」
その笑顔が眩しすぎて、レイは目を細めた。
「……コーヒー、追加で淹れるか……」
こうして。
つやつや女王の機嫌の良さは、世界を救い――
剣聖の胃だけを、確実に削っていくのだった。




