61話 機嫌という名の難易度Sクエスト
――ニベアの機嫌が、悪い。
これは空気でわかる。
天候でも、魔力濃度でもない。
長年剣を振ってきた男の勘だ。
違いのわかる剣聖レイ(58)は、庭先でコーヒー豆を挽きながら、静かにそう結論づけた。
(……完全に、悪い)
理由は、わかっている。
わかっているが、納得はしていない。
マーガレットと話した。
それだけだ。
――だけ、なのだが。
マーガレットが、レイに好意を持っている。
それは、どうやら事実らしい。
そして何より厄介なのは。
(……俺が無自覚だ)
レイは、コーヒーの粉をフィルターに入れながら、内心でため息をついた。
ニベアは、怒っていない。
怒っていないからこそ、機嫌が悪い。
レイが悪いわけではない。
そこが、さらにややこしい。
ニベアは理性的だ。
エンシェントハイエルフであり、女王であり、剣聖の妻である。
だからこそ、
「あなたが悪い」と言わない。
言わないが、
「状況は気に入らない」と全身で表現してくる。
それが、今だ。
家の中。
ニベアは黙々と台所に立っている。
パンケーキを焼いている。
だが――
焼き音が、強い。
鉄板が「ジュウ」ではなく、「ジュワァァァ」と鳴っている。
明らかに、感情が火力に反映されている。
弟子三人は、食卓で背筋を正していた。
「……今日は、静かに食べよう」 アーモンドが小声で言う。
「うん……音が怖い……」 クリームがうなずく。
「この火力、鍛冶場級……」 マイが真顔で分析する。
ニベアは振り返らない。
「……レイ」 「はい」
呼ばれただけで、即返事。
剣聖の反射神経は、家庭内でも有効だった。
「コーヒー、飲む?」 「……いただきます」
差し出されたカップは、完璧な温度。
完璧な香り。
だが、どこか“距離”がある。
(……これは、重症だ)
レイはコーヒーを一口飲み、精神を落ち着かせる。
ニベアが機嫌を損ねている理由。
それは“嫉妬”ではあるが、単純なものではない。
エルフという種族。
特に、エンシェントハイエルフ。
マナの結びつきが、愛そのものだ。
マナを交換するという行為は、
人間で言えば「魂を重ねる」に等しい。
軽い好意。
軽い接触。
軽い感情。
――それが、存在しない世界。
エルフにとって「好意を向けられる」という事実は、
すでに“関係の発生”を意味する。
だから。
モテる男は、誇りだ。
だが、同時に――危険物だ。
(……エルフ業界的には、アウト判定だな)
レイは内心でそう整理しながら、ニベアを盗み見る。
ニベアは、パンケーキを皿に盛りつけ、無言で差し出す。
完璧な焼き色。
完璧な香り。
完璧な味。
だが、言葉がない。
レイは覚悟を決めた。
「……ニベア」 「なに?」
声は柔らかい。
だからこそ、難易度が高い。
「俺は……マーガレットと、ただ話してただけだ」 「知ってるわ」 「……」 「あなたが悪いわけじゃないのも、知ってる」
それを言われるのが、いちばんつらい。
ニベアは、ふっと息を吐いた。
「だから、機嫌が悪いのよ」 「……」 「あなたが悪くないのに、状況が気に入らない。
それって、どうしようもないでしょう?」
正論だった。
剣では斬れない。
弟子三人は、パンケーキを食べながら、全力で視線を逸らしている。
(……修行よりキツい) アーモンドが思う。
(……日陰、ほしい……) クリームが現実逃避する。
(……鍛冶なら殴れるのに……) マイは別方向で詰んでいた。
レイは、しばらく考え――そして、思い出した。
昔のこと。
二人きりで旅をしていた頃。
まだ、弟子も、王国も、責任もなかった頃。
パーティーは、いつも二人。
ニベアはよく、無茶をした。
中二病みたいなパーティー名をつけては、翌日恥ずかしがっていた。
あの頃は、
世界に二人しかいないみたいな感覚だった。
レイは、静かに言った。
「……なあ、ニベア」 「なに?」
「久しぶりに……二人で、出かけないか」 「……」 「短いのでいい。
弟子も、仕事も置いて」
ニベアは、手を止めた。
「……今さら?」 「今だからだ」
レイは、真っ直ぐに言う。
「俺は、今も昔も、パーティーメンバーは一人だ」 「……」 「マーガレットがどう思ってるかは、俺の管轄外だ。
でも、俺が誰と組んでるかは、はっきりしてる」
ニベアは、少しだけ目を伏せた。
そして、小さく笑った。
「……ずるいわね、あなた」 「そうか?」 「そうよ。
そういうところが、モテるの」
パンケーキの皿を下げながら、ニベアは言った。
「……今夜、少し歩きましょう」 「おお」 「昔みたいに」 「……ああ」
弟子三人が、一斉に顔を上げる。
「え、夜修行は!?」 「ないわ」 「やった!」 「……よかった……」
ニベアは振り返り、三人に微笑んだ。
「今日は、お留守番ね」 「はい!」
レイは、コーヒーを飲み干す。
(……クリアだな)
難易度Sクエストは、
正面突破と、思い出バフで攻略する。
剣聖は今日も、
剣ではなく、人生で戦っている。




