60話 骨とボディタッチとジト目
サルマータ港ギルド。
潮と汗と鉄の匂いが混ざる、いつもの昼下がり。
その中で――明らかに場違いな匂いがひとつ。
「……やっぱギルドにはコーヒーだな」
違いのわかる剣聖レイ(58)は、剣聖特性ブレンドをひと口。
精神が落ち着く。胃は落ち着かない。いつものことだ。
カウンター前。
レイは“討伐依頼の証明”を出すために、麻袋をドン、と置いた。
ジャラジャラジャラ……。
骨が鳴る。
いや、骨が挨拶してくる。
受付のマーガレットは、慣れた顔で麻袋を覗き込み――眉をひそめた。
「……骨、多くないですか?」 「多い」 「“多い”で済ませないでください。床、鳴くんですよ」 「骨が?」 「床が!」
マーガレットは苦笑して、帳簿を引き寄せる。
その瞬間、彼女はレイの腕に軽く触れて、位置を直した。
「ちょっと失礼。袋、こっちに――」 「……あ、うん」 「はい、よし。で、討伐地点は“グラス教会墓地”で間違いないですね」
マーガレットは言いながら、今度はレイの指先をつまんで向きを変える。
「証明の印、ここに押すので……手、貸して」 「……お、おう」 「ふふ。相変わらず指、でっかい。剣振ってる人の手だなぁ」
そして、自然に。
ごく自然に。
マーガレットはレイの手を握り込んだまま、話を続ける。
「レイさん、今回の討伐、C級って聞いてたのに、規模が完全に“骨祭り”じゃないですか。町の人、泣いてましたよ」 「泣くな。骨は片付けた」 「片付けたって言いながら、袋から骨がはみ出てる!」
会話はテンポよく進む。
ボケとツッコミも噛み合っている。
そして、マーガレットの“ボディタッチ”も、妙に噛み合っている。
レイはコーヒーを飲みながら「まあまあ」と笑っている。
……笑っている。楽しそうに。
その光景を、少し離れた場所から見ている視線があった。
ニベア・カーター。
エンシェントハイエルフ。エルフ女王。世界の美の双璧。
そして――レイの妻。
ニベアは微笑んでいる。
微笑みは、美しい。
だがその目は、ぜんぜん笑っていない。
(……ふーん?)
ジト目。
嫉妬という名の魔法が、無詠唱で発動していた。
その背後。掲示板の前では、三人娘が依頼書を見ながら相談している。
マイは紙をバシバシ叩き、目を輝かせていた。
「これ!“古代遺跡の合金破片回収”!絶対お宝!鍛冶脳が叫んでる!」 アーモンドが即ツッコミ。 「それ、鍛冶脳じゃなくて物欲脳だろ」 「ドワーフの物欲は才能です!」
クリームは汗をぬぐって、別方向の地獄を見ていた。
「……“日陰のある依頼”はありませんか」 「あるか!」 「……“涼しい魔物”は……」 「魔物に涼しさ求めるな!」
そんな平和な(?)やり取りの奥で、空気が少しずつ冷えていく。
原因は、ひとりの美しい女王の視線だ。
ニベアはゆっくり歩いて、カウンターに近づく。
歩くたびに“圧”が増える。
ギルドの冒険者たちが、理由もなく姿勢を正しはじめる。
マーガレットは気づかない。気づいてないフリかもしれない。
「レイさん、ここに署名――あ、手、こう。うん、そう。……はい完璧」 「……ありがとう」 「ふふ、私、仕事できるでしょ」
そして、また。
マーガレットはレイの手をぎゅっと握ったまま、にこっと笑った。
――その瞬間。
「……レイ」
ニベアの声は柔らかい。
柔らかいのに、逃げ道がない。
レイが固まる。
コーヒーが喉で止まる。
「……は、はい」 「楽しそうね」 「……えっと、これは業務で」 「業務で、手を握るのね」 「……印を押す都合で」 「印はもう押したわよね?」 「……押した」
ニベアの視線が、マーガレットの手に落ちる。
まだ握っている。
がっちり握っている。
まるで「討伐証明」ではなく「所有権」を発行するみたいに。
マーガレットが、ようやく“氷河期”に気づいて顔を上げた。
「あ、ニベア様。お、お迎えですか?」 「ええ。うちの夫を」 「……うちの、おとこ……?」 マーガレットが言葉を噛む。
ニベアは、にこり。
「ええ。うちの。夫。です」
“夫”の二文字が、ギルドの天井に突き刺さる勢いだった。
レイは、胃のあたりをコーヒーで撫でるように飲んだ。
(……やばい。嫉妬モードだ)
ニベアはレイの横に立ち、レイの腕に指を絡める。
甘い仕草だが、握力は剣士のそれではない。エルフ女王のそれだ。
そして、マーガレットへ、さらっと言う。
「マーガレットさん。今後、レイ宛ての手紙は、私が受け取るわ」 「え?」 「夫の管理は、妻の仕事よ」 「ぎ、ギルド規定が……」 「規定に“妻はダメ”って書いてある?」 「……書いてないです」 「じゃあ、問題ないわ」
職員が負けた。
規定が負けた。
世界が、ニベアの正妻権限に負けた。
背後で、弟子三人が小声で盛り上がる。
マイ「女王様、強い……!」 アーモンド「強いっていうか制度を折るタイプだ」 クリーム「……私、日陰よりこっちが怖いです……」
レイは、咳払いして話題を変えようとした。
「えーと、討伐証明は?」 マーガレットが慌てて紙を差し出す。 「こ、こちらです! 骨の重量査定もつけました! あと……」 「あと?」 「骨、袋の口、縛ってください。床が泣きます」 「すまん」
ニベアは、レイの顔を覗き込み、ジト目のまま囁いた。
「レイ」 「……はい」 「帰りましょう」 「……はい」
そして、優しく付け足す。
「帰ったら、パンケーキを焼くわ」 「おおっ」 弟子三人の目が光る。 「……でも、パンケーキ以外も……」 クリームが言いかけると、 「焼くわ」 ニベアがにこり。 「……はい」 即落ち。
レイは、証明書と骨袋を抱え、弟子三人を振り返った。
「依頼は家で決める。まず撤収だ」 「了解です!」 「了解!」 「……日陰……」
ギルドを出る直前、レイはコーヒーの残りを一気に飲み干した。
精神安定剤、投与完了。
ニベアは腕を絡めたまま、さらっと言う。
「ねえ、レイ。あなた、私の前で……誰と楽しそうに話してたの?」 「……えっと」 「数えるわよ?」 「……数えるのやめよう?」 「やめないわ」
弟子三人が、同時に空を見上げた。
(あ、これ今日の夜、修行より地獄だ)
剣聖は、今日もコーヒーで生き延びる。
そして、ジト目で責任を取らされる。




