58話 女王の手紙、三つの天秤
ハイネ王国、王城の執務室。
夕刻、窓から差し込む光はすでに赤みを帯び、石床に長い影を落としていた。
女王マルガリータ・ハイネは、静かに羽根ペンを走らせていた。
机の上には、軍報、外交報告、密書――
どれも一国の命運を左右する重みを持つ紙束だが、彼女の視線はただ一通の手紙に向けられている。
宛名。
カーター王国 エルフ女王ニベア・カーター殿。
マルガリータは一度ペンを止め、深く息を吸った。
(……勇者パーティーの仲間、という言葉では、もう足りない)
王配ウォーレンは勇者だ。
それは今も変わらない。
だが、彼のかつての仲間たちは――
剣聖レイ、エンシェントハイエルフの女王ニベア、そしてその周囲に集う存在たちは、
もはや「一国の戦力」という尺度では測れない。
(魔道国家……いえ、魔道“勢力”ですらない)
カーター王国は、静かだ。
だがその静けさの下にある力は、凡百の国など比較にもならない。
マルガリータは、書き出しを整えた。
――拝啓
エルフ女王ニベア・カーター殿
ご健勝のことと存じます。
形式的な文面を書きながらも、彼女の脳裏には、北の大地の情勢が浮かんでいた。
金狼ゴールドマン。
剛欲の名を冠する魔将。
差別撤廃を掲げながら、北の人類国家を次々と飲み込みつつある存在。
(理念は理解できる。方法が、過激すぎる)
ハイネ王国単独では、抑止は困難。
ジャンヌ帝国は、まだ防衛線を保っている。
内部には“暴欲”“騙欲”“貪欲”が染み込んでいるとはいえ、国家としては健在だ。
だが、北の大地に関して言えば――
もはや「時間の問題」だった。
マルガリータは、筆圧を強める。
――さて、北方情勢につき、貴国と率直な意見交換の場を設けたく存じます。
とりわけ、金狼ゴールドマンの動向については、
我が国のみならず、世界秩序そのものに関わる問題と認識しております。
一瞬、視線が揺れた。
(……あなたなら、どう見るのかしら、ニベア)
力を持つ者。
寿命も、価値観も、人とは異なる存在。
それでも、ニベアは“女王”だ。
世界の均衡を理解する者だと、マルガリータは知っている。
王配ウォーレンが、かつて語った言葉を思い出す。
『ニベアはな、感情で動くけど、最後は必ず世界を見る』
マルガリータは、小さく微笑んだ。
(あなたの選んだ人たちは、本当に厄介ね、ウォーレン)
彼女は続ける。
――つきましては、私自らカーター王国を訪れ、
女王陛下と直接会談の機会を賜りたく存じます。
これは同盟の強要ではありません。
未来を秤にかけるための、対話の提案です。
書き終え、ペンを置く。
封蝋を手に取り、ハイネ王家の紋章を静かに刻印した。
そのとき、背後から穏やかな声がした。
「……随分、重たい手紙だね」
振り向くと、王配ウォーレンが立っていた。
いつものように柔らかな笑みを浮かべているが、目は真剣だ。
「ゴールドマンのこと?」
「ええ。あなたの“古い縁”が、世界を揺らしているわ」
ウォーレンは肩をすくめた。
「母さん……いや、マリア先生も動いてる」
「知っています。だからこそ、今なのよ」
マルガリータは、手紙を差し出す。
「あなたは、どう思う?」
「ニベアが来るかどうか、じゃない。――どう転ぶか」
ウォーレンは少し考え、正直に答えた。
「……話し合いには、来るよ」
「ただし、答えは一つじゃない」
女王は、深くうなずいた。
「ええ。それでいい」
彼女は窓の外、沈みゆく夕日を見つめる。
北の大地。
ジャンヌ帝国。
カーター王国。
そして、魔将たち。
(この会談で、世界の歯車が一段進む)
マルガリータは静かに宣言するように呟いた。
「これは、戦争のための会談ではないわ」
「“選ばないために、選ぶ”会談よ」
その手紙はやがて、海を越え、森を越え、
エンシェントハイエルフの女王のもとへ届く。
世界が、また一歩、動き出そうとしていた。




