54話 重さを知る帰還
ハイネ王国の王都に、久しぶりに平穏な鐘の音が響いていた。
朝霧の中、街道の先からゆっくりと近づいてくる一団。
王家の紋章を掲げた馬車――外交使節団の帰還である。
馬車の中で、ビア=ハイネは背筋を正したまま、両手を膝の上で固く組んでいた。
窓の外に流れる見慣れた王国の風景が、今日はどこか遠く感じられる。
(……帰ってきた、はずなのに)
胸の奥が、ひどく重い。
ジャンヌ帝国の首都での謁見。
皇帝ノンジット=ジャンヌの冷静な眼差し。
そして、軍を背負う者だけが持つ、あの独特の沈黙。
――「同盟」とは、紙に署名するだけの言葉ではない。
ビアは、ようやくそれを理解し始めていた。
向かいの席では、内務大臣ギネスが静かに書類を整えている。
長年、王国の内側を支えてきた男の背中は、相変わらず揺るがない。
「……緊張しているかね」
不意に、ギネスが声をかけた。
「はい」
即答だった。
「お飾りとはいえ、団長でした。
私の一言一つが、国と国を結ぶ……それが、怖くて」
ギネスは小さく笑った。
「それでいい。
怖さを知らぬ者に、外交は務まらん」
その言葉は慰めではなく、事実だった。
父――王配ウォーレン。
母――女王マルガリータ。
ふたりは、これを何年、何十年と繰り返してきたのだ。
(父上も、母上も……この重さを、ずっと一人で)
ビアの指先が、わずかに震えた。
王城。謁見の間。
玉座に並ぶ二つの影。
女王マルガリータは、静かな微笑を浮かべながら、使節団を迎えた。
その隣で、ウォーレンはいつも通りの穏やかな表情をしている。
だが、ビアには分かる。
この二人は、国を背負う顔をしている。
「ただいま戻りました」
ギネスが一歩前に出て、深く礼をした。
「ジャンヌ帝国より、正式な回答を携えております」
空気が引き締まる。
ビアは一歩遅れて前に出た。
喉が渇く。
だが、逃げるわけにはいかない。
「……ハイネ王国王女アーモンドの弟、ビア=ハイネ。
外交使節団団長として、報告いたします」
声は震えなかった。
それだけで、自分を少しだけ誇らしく思えた。
「ジャンヌ帝国は、現状においてなお、
防衛体制を維持したまま、我が国との軍事同盟を受諾する意志を示しました」
ざわめきが、微かに広がる。
「条件は、相互防衛。
北狼帝国――金狼ゴールドマンの動向を、共同で監視・牽制すること。
いずれかが侵攻を受けた場合、もう一方は、即座に軍を動かす」
ギネスが書面を差し出す。
マルガリータはそれを受け取り、ゆっくりと目を通した。
しばしの沈黙。
やがて女王は顔を上げ、柔らかく、しかし力強く言った。
「よくやってくれました、ビア」
その一言で、胸の奥に張り詰めていた何かが、少しだけほどけた。
ウォーレンが立ち上がり、ビアの肩に手を置く。
「初めての外交で、ここまでの成果だ。
……誇っていい」
父の声は、いつもより低く、重みがあった。
ビアは、深く頭を下げた。
「はい……ありがとうございます」
(これが、責任なのだ)
逃げられない。
だが、一人で背負うものでもない。
国と国が手を取り合い、
人が人を信じ、
未来を繋ぐ。
ハイネ王国は、ジャンヌ帝国と並び立つ道を選んだ。
そしてビア=ハイネは、その始まりの場に、確かに立っていた。




