46話 港町グラスの夜は、シーフードカレー
潮の匂いが、先に来た。
定期船オーサル号が桟橋へ近づくにつれて、海風がロープや木材の湿った匂いを運び、港町の灯りが水面に揺れた。
ジャンヌ帝国・グラス港。
南方の海運拠点――そして、もう一つ有名な看板がある。
「……ここ、カレー公爵領なんだよな」
皮鎧に長い木の棒。軽装のレイが、船の手すりにもたれて呟く。
完全武装の弟子三人は、同じ港を見ているのに顔が違った。
マイは目を輝かせている。鍛冶師の目だ。
アーモンドは軍人の目――港の警備配置と死角を無意識に数えている。
クリームは、暑いのと潮で、顔が「溶ける直前」みたいになっていた。
「先生ぇ……潮、べたべた……エルフ、干からび――」
「干からびる前に降りろ。荷物は持て。訓練だ」
「訓練って言えば許されると思ってません?」
「思ってる。許される」
「うわぁ、開き直ったぁ!」
ツッコミ担当が定着しつつあるアーモンドが、肩をすくめた。
「まあでも……この港、治安いい。騎士団の巡回が多い」
「そりゃそうだ」
レイは、港の中央に立つ紋章旗を指で示した。
白地に、女神紋。
そして、その下に刻まれた文字――カレー公爵領。
港町グラスから、真っ直ぐ丘へ伸びる道の先に、貴族の邸宅が見える。
切り立った石段、整った庭園、そして見張り塔。
“突撃が信仰”みたいなバルキリーの本拠地が、ちゃんと港の上を押さえている。
「つまり、ここは――」
マイが言いかけたところで、クリームが先に言った。
「弾丸のミレイ様の領地……! ジャンヌバルキリー騎士団団長、恋愛禁止騎士団の――」
「クリーム、詳しすぎない?」
アーモンドの目が細くなる。
「えっ? だって帝国の軍制は勉強――」
「勉強で『恋愛禁止』まで入るか?」
「入ります! 重要です! 社会制度です!」
「社会制度で押し切るな!」
マイが、腹を抱えて笑いかけて、そこで気づいたようにレイを見た。
「先生、帝国の女騎士さん、先生のファン多いって聞きました」
「知らん。聞いたこともない」
レイは、すっと視線を外した。
その動きがやたら自然で、逆に怪しい。
「……先生、逃げた?」
「逃げてない。回避だ」
「同じです!」
アーモンドが突っ込む。
クリームは、港の掲示板を見上げて小さく声を出した。
「あ、教会……」
港町から西へ真っ直ぐ行けば、石造りの教会がある。
白い壁、尖塔、女神紋。
その裏手に――墓地。
今回の依頼の現場だ。
夜の海は穏やかだったのに、教会の方角だけ、空気が一段冷たい。
風がそこだけ、少し鈍くなる。
「討伐は明日だ。今日は休む」
レイは言い切った。
「えっ、先生、真面目……」
「夜に墓地は、気分が悪い。あと――」
レイは懐から小さな袋を出した。
剣聖特製ブレンド。豆。
嗅いだ瞬間、弟子三人の顔が「わかる」になる。
「コーヒーが先だ。精神安定」
「先生、それ、いつも精神安定って言ってません?」
「毎日不安定なんだ」
「自覚あるのかよ!」
笑いが起きる。港のざわめきに、四人の温度が溶けていく。
そして夜。
グラス港の食堂街は、潮と油とスパイスの匂いが混ざっていた。
漁師の笑い声、酒場の歌、鉄鍋の音。
港町らしい雑多な元気がある。
「こんばんは! カレー公爵領名物! 港のシーフードカレー! 四人前!」
店主の声がでかい。
レイは席についた瞬間、もうコーヒーを頼んでいる。
「……カレーに、コーヒー?」
クリームが目を丸くした。
「食後だ。未来を守るために必要だ」
「何その勇者みたいな理屈!」
「勇者はウォーレンだ。俺は凡人だ」
「剣聖が凡人名乗るの、世界がバグる!」
アーモンドが、スプーンを持っていた手で頭を抱えた。
ほどなく、湯気が運ばれてくる。
海老、貝、白身魚、イカ。
海の具材がゴロゴロで、スパイスは帝国らしく香りが強い。
皿の縁のライムが、港の夜の光を吸って青く見えた。
マイが一口食べて、目を見開く。
「……うまっ。え、これ、海の味がするのに、スパイスで殴ってくる」
「殴ってくる、は表現が雑だが正しいな」
レイが珍しく同意した。
アーモンドは黙々と食べ、クリームは一口目で顔が明るくなる。
「……港の料理、強い……! 火山島の“先生カレー生活”とは違う……!」
「クリーム、それ、先生の前で言うの?」
「言います! だって毎日です! 毎日です!」
「毎日、違う味にしてるんだが」
「パンケーキも毎日違う味だったよね!?」
「……あ」
レイが一瞬だけ黙った。
アーモンドがそこを逃さず、指をさす。
「先生、“あ”って言った。自覚あるやつ」
「自覚はある。だが改善はしない」
「開き直り二回目!」
笑いながら食べる。
明日、墓地へ行く。
大量発生のアンデッド――数が多い、というだけで、油断すれば噛みつかれる。
でも今夜だけは、港の灯りと湯気に包まれて、四人はちゃんと旅をしていた。
冒険の夜――というより、遠足みたいな顔で。
レイはスプーンを置いて、カップを手に取る。
湯気の向こう、弟子三人の笑い声が、港の音に混ざる。
「……よし。コーヒーうまい」
「先生、それで精神安定なんですね」
「うむ」
レイは静かに頷き、港町グラスの夜を飲み込んだ。
明日の墓地も、きっと――コーヒーで乗り切る。




