41話 弾丸のミレイと、咳払い大臣
ジャンヌ帝国首都――アルスター。
馬車の窓から見えたのは、白い城壁が幾重にも重なる“要塞都市”だった。
門の上には見張り塔、塔の周りには結界杭、街路には巡回の騎士と魔導士。空には淡い光の膜――防壁魔法陣が薄く広がり、呼吸するみたいに脈打っている。
(……崩壊してるどころか、バリバリ戦時仕様やん)
ビア=ハイネは、喉の奥でごくりと唾を飲んだ。
「緊張してる顔だな、団長」
向かいに座る内務大臣ギネスが、いつも通りの低音で言った。
その声だけで、ビアの肩の力が少し抜ける。――が、すぐ戻った。
「だって、相手は帝国ですよ? “帝国”! ジャンヌ帝国! 響きがもう強い!」
「強いのは響きじゃない。城壁と兵站と常備軍だ」
「そこを現実に寄せないでください。心が折れる」
「折れるのは帰ってからにしろ」
淡々と刺してくるのがギネス流の励ましだった。
馬車が城門前で停まる。
近衛兵が十数名、無駄のない動きで取り囲み、書状確認が始まった。隊列の乱れはゼロ。応対も丁寧。だが視線は鋭い。
(……この国、ちゃんと“守りの筋肉”がある)
ハイネ王国は議会主導で回る国だ。
一方ジャンヌ帝国は貴族議会――派閥と利権と票の国。
なのに、軍と防衛の現場はこんなに整っている。
「崩れてない。むしろ踏ん張ってるな」
ギネスの独り言に、ビアは小さく頷いた。
「……それ、安心していいやつですか?」
「安心するな。相手が強いという意味だ」
「やっぱり安心できない!」
「声がでかい」
門が開き、馬車は城内へ。
回廊の床は磨かれた大理石、壁には女神ジャンヌの聖画と、歴代皇帝の肖像。衛兵の足音が規則正しく響く。
ビアは喉を鳴らして笑いを作ろうとしたが、乾いた。
「団長、深呼吸だ」
「してます。してるのに心臓が勝手にスプリントしてます」
「心臓の持久力も鍛えておけ」
「それ、どこで鍛えるんですか」
「外交の現場で」
「地獄!」
そして――玉座の間。
赤と白の旗が垂れ、天井は高い。空気が冷たい。
正面、玉座に座すのはジャンヌ帝国皇帝――ノンジット=ジャンヌ。
威圧ではない。
“立っているだけで国家”という種類の圧だ。
ビアは一歩前に出ようとして、足が一瞬だけ止まった。
理由は単純。
皇帝の横――ほんの半歩後ろに、ひとり控える影。
銀と赤を基調にした騎士装束。胸元には女神の聖印。
腰に長剣。背筋は槍みたいに真っ直ぐ。
顔は整いすぎていて、現実感がない。
(……美人だなー)
ビアの脳が、仕事を放棄した。
(うわ、これが“ジャンヌ帝国の唯一無二の軍団”の団長?
なんだこの完成度。キャラクリで盛りすぎたやつだ)
その人物の名は――弾丸のミレイ。
ミレインド=ジャンヌ。皇帝の親戚。カレー公爵。
女性だけの突撃騎士団、ジャンヌ・ヴァルキリー騎士団団長。
そして信仰に殉じる突貫突撃の化身――なのに、弱者に優しいという噂がある。
(噂と見た目の情報量が多い!)
ビアが見惚れている間、ミレイの視線がビアの額に刺さった。
刺さったが、殺気はない。
ただ“戦場の目”だ。
(見られてる……。いや、測られてる……。
俺、今、値札付けられてない? 大丈夫? 団長割引されない?)
その瞬間。
「……ゴホン」
ギネスの咳払いが、玉座の間を切り裂いた。
「っ、は、はい!」
ビアの魂が戻ってきた。
ギネスは微動だにせず、目だけで言う。
――挨拶しろ。今すぐ。余計なこと考えるな。
ビアは腹の底に力を入れ、一歩進み、深く礼をした。
「ハイネ王国より参りました、外交使節団団長、ビア=ハイネでございます。
本日は謁見の栄を賜り、誠にありがとうございます」
声は震えなかった。
“震えそう”と“震えない”の間には、たった一呼吸ぶんの差がある。
ビアはそれを掴んだ。
皇帝ノンジットが、静かに頷く。
「遠路ご苦労。ハイネ王国の若き代表よ」
その声は穏やかで、だからこそ読みづらい。
「ハイネ王国は議会の国と聞く。……王配ウォーレン殿は、健在か」
「はい。王配は、妻である女王マルガリータと共に、国政と防衛の両面を見ております」
“妻である”を言った瞬間、ビアは自分の舌を褒めた。
(言い方って大事。父上は母上に求婚された側だからな。そこは誇りだ)
ノンジットは、ふっと笑った……気がした。
「良い。では――要件を聞こう」
ギネスが一歩進む。
「恐れながら、ハイネ王国は北狼帝国、剛欲ゴールドマンの侵攻を重大な脅威と見做しております。
ジャンヌ帝国と情報共有、ならびに限定的な共同対応――最低でも外交ラインの確立を願いたく、参上いたしました」
言葉が硬い。だが、硬い場だ。
柔らかい言葉は、ここでは刺さらない。
そのとき。
「……ハイネ王国は、まだ“国”として立っているのだな」
ミレイが、初めて口を開いた。
声は澄んでいて、なのに刃が混ざっている。
(うわ、声も強い……。美人って“攻撃属性”なのか?)
ビアが固まったのを、ミレイは見逃さない。
けれど責めない。
「ここアルスターでは、“国が立っている”こと自体が、価値になる」
まっすぐで、どこか優しい。
――本当に弱者に優しいのかもしれない。
それでも騎士団長としては、簡単に情は見せない。
ノンジットが淡々と告げる。
「帝国は防衛線を維持している。軍も外交もまだ動く。
だが、脅威は外だけではない――それも承知している」
その言葉に、ギネスの眉がわずかに動いた。
暴欲、騙欲、貪欲。
帝国内部に“入り込むもの”の気配を、皇帝は隠していない。
(この皇帝、ちゃんと“現実を見てる”)
ビアは背筋を伸ばした。
今は飾りでもいい。飾りでも、場に立つ責任は同じだ。
ミレイが、ビアを見た。
ほんの一瞬だけ、年相応の柔らかさが目に宿る。
「……団長、緊張している?」
「してます!」
即答したビアに、ミレイの口元が、ほんの少しだけ上がった。
「正直でいい。戦場でも外交でも、嘘は死を招く」
ギネスが内心で頷く気配がした。
(この団長、信用できる)
皇帝ノンジットが手を軽く上げる。
「本日の謁見はここまで。
使節団には迎賓館を用意する。明日、正式な協議を行う」
「御意」
ギネスが頭を下げる。
ビアも遅れず礼をする――が、最後にもう一回だけ、ミレイを見てしまった。
(……あかん。美人は目の毒。いや、国の危機だってのに!)
ミレイは、目だけで言った気がした。
――見惚れる暇があるなら、国を守れ。
ビアは小さく拳を握る。
(守るよ。俺は飾りでも、ハイネの未来は飾りじゃない)
アルスターの空に、防壁魔法陣が静かに脈打つ。
ジャンヌ帝国は、まだ折れていない。
――その事実だけが、今夜の希望だった。




