40話 オリハルコンの盾
サルコジ島の朝は、静かだ。
潮の匂いと、火山島特有のあたたかい風。
遠くで魔物の鳴き声がするが、ここサルトリ村では日常音にすぎない。
違いのわかる剣聖レイは、いつものように庭に出ていた。
野良着。
片手には、剣聖特性ブレンドのコーヒー。
深く香りを吸い、ひと口。
「……うん。今日も精神が安定する」
世界がどれだけ混迷しようと、
ゴールドマンが北を呑み込もうと、
レイにとっての朝は、まずコーヒーからだった。
――だが。
その静寂を、**ゴォン……ゴォン……**という低く重い音が破っていた。
鍛冶工房。
この一週間、マイはそこから一歩も出てきていない。
食事は、アーモンドが運び、
水は、クリームが魔法で補給し、
レイは「そういう時期なんだな」と、黙って見守っていた。
ドワーフには、そういう“時”がある。
鍛冶をしないと、強くなれない。
鍛冶をしている間に、心も、魂も、形を変える。
――そして。
その音が、止まった。
工房の扉が、ぎぃ……と軋みながら開く。
「……先生」
煤だらけの顔。
髪はぐしゃぐしゃ。
目だけが、異様に冴えている。
マイだった。
「できました」
レイは、黙ってコーヒーを置いた。
「……見せて」
マイは、両手でそれを持ち上げた。
オリハルコンの盾。
少し大きめの、丸形。
表面は鏡のように滑らかで、だがどこか生き物のような温かみがある。
金属特有の冷たさが、まるでない。
縁には、ドワーフ文字と、見たことのない紋様。
中心部には、かすかに脈打つような光。
――盾が、呼吸している。
アーモンドとクリームも、息を呑んだ。
「……漬け物石、だったよな?」
レイが、ぽつりと聞く。
「はい」
マイは、即答した。
「元は漬け物石です。
でも、このオリハルコン……」
盾に手を当てる。
「防具になりたがってました」
「意味わからん」
レイは正直に言った。
「ですよね!」
マイは、満面の笑みだった。
「でも、ドワーフ的には、普通です!」
アーモンドが横から口を挟む。
「……普通じゃないと思うけど?」
「ドワーフ基準では、普通です!」
力強い断言。
その時。
す、と風が変わった。
転位魔法の余韻。
庭に、柔らかな光が落ちる。
「……あら?」
現れたのは、エルフ女王ニベアだった。
いつものように、美しい。
だが今日は、どこか穏やかな表情をしている。
「これは……」
ニベアは、盾を見て、足を止めた。
「……いい盾ね」
ただ、それだけ。
褒め言葉としては、あまりにも短い。
だが、マイの背筋が、ぞくりと震えた。
「魔力の流れが、綺麗。
持ち主を守る前提で、世界と交渉する構造」
ニベアは、盾にそっと触れる。
「……優しい盾だわ」
マイは、泣きそうな顔になった。
「ありがとうございます……!」
レイは、その様子を見て、ふっと笑った。
「じゃあ――」
盾を持ち上げる。
重い。
だが、不思議と腕に負担が来ない。
「……いいな、これ」
レイが率直に言うと、
「でしょ!?」
マイが跳ねた。
「……あげませんけど!」
「え」
「これは、私が使います!」
レイは、肩をすくめた。
「まあ、だろうな」
ニベアがくすりと笑う。
「マイ。
この盾は、あなたを守るだけじゃない」
マイは、首をかしげる。
「持つ人の“覚悟”を、形にする盾よ」
その言葉に、マイは盾を抱きしめた。
「……うん」
レイは、再びコーヒーを手に取る。
ひと口。
今日も、苦味と香りが、ちょうどいい。
「弟子が、また一段階、強くなったな」
そう呟く剣聖の背中で、
朝の光が、オリハルコンの盾に反射していた。
それは――
漬け物石だった頃より、ずっと誇らしげに、輝いていた。




