28話 「火山と鉄と、女王のいない午後」
朝食の片付けが終わる頃、ニベアは静かに立ち上がった。
いつもの野良着ではなく、淡い青緑のローブ。肩にかかる金糸の刺繍が、彼女がただの“村の奥さん”ではないことを思い出させる。
「レイ、午後から会議なの。カーターに戻るわ」
そう言って、指先で軽く空をなぞる。
瞬間、床に淡く輝く魔法陣が浮かび上がった。精緻で、静かで、圧倒的。
古代魔法――血統契約魔法。
世界で使えるのは、彼女と、その娘だけ。
「夕方には戻れると思うけど……無理はしないでね?」
振り返ったニベアは、女王ではなく、完全に“心配する妻”の顔だった。
「分かってる。コーヒー飲んで待ってるさ」
レイがいつもの調子で返すと、ニベアは少し笑って、次の瞬間には光の中へ溶けた。
空間が閉じ、朝の家に静けさが戻る。
――嵐の目が、去った。
「……よし」
レイは即座にコーヒーを淹れた。
剣聖特製ブレンド。精神安定。今日も世界はギリギリ保たれている。
弟子三人は、すでに庭で準備運動を始めていた。
「午前の課題、終わりましたー!」
アーモンドが報告する。剣の型、基礎走、体幹。完璧。
「私も! 魔法制御、誤差三%以内!」
クリームが胸を張る。エルフ的には「まだまだ」だが、人間基準なら異常。
「ハンマーの素振り、五百回!」
マイは満足げに金槌を掲げた。地面が少し凹んでいる。
「よし。昼だ」
昼食はビーフシチュー。
昨日仕込んだ分を温めただけだが、レイの料理は“安定して旨い”。
三人は無言で食べ、無言でおかわりをした。
「……で」
スプーンを置き、マイが言う。
「午後、鉄鉱石取りに行きたい」
レイは頷いた。
「予定通りだな。場所は分かってるな?」
「火山の北斜面。赤黒い岩が露出してるところ」
「正解。ただし――」
レイはコーヒーを一口。
「危険だ。魔物も特有だし、運が悪ければドラゴンに会う」
三人の表情が引き締まる。
「今日は“戦う”ためじゃない。“採る”ために行く。
無理はしない。兆候があったら即撤退。いいな?」
「「「はい!」」」
火山は、サルコジ島の中心にそびえる。
標高は高く、空気は薄く、地面は常に熱を帯びている。
途中、溶岩の名残が黒い川のように固まっている場所を越える。
足元から、じわりと熱が伝わる。
「暑……」
クリームが汗をぬぐう。
「エルフ、火山向いてない……」
「でも、鉄は好きでしょ?」
マイが笑う。
「……嫌いじゃない」
アーモンドは周囲を警戒しながら進む。
「魔物の気配、薄いけど……静かすぎる」
「いい観察だ」
レイは双剣に手をかけたまま、歩調を落とした。
やがて、赤錆色の岩肌が露出した斜面に辿り着く。
鉄鉱石だ。質も悪くない。
「ここだ。手早く――」
その時。
遠くで、低い羽音が響いた。
空を見上げると、雲の向こうに巨大な影。
ドラゴン。
完全な成体ではないが、それでも脅威だ。
「撤退準備」
レイの声は低く、迷いがない。
マイは即座に採掘用の道具をまとめ、アーモンドは前に出る。
クリームは無詠唱で遮蔽結界を張った。
影は旋回し、一度こちらを見た――が、興味を失ったように山の向こうへ消えた。
沈黙。
「……行った?」
「行ったな」
レイは小さく息を吐いた。
「今日はここまでだ。十分採れた」
マイが袋を担ぐ。重い。満足そうだ。
「鍛冶、はかどる」
「生きて帰れて何よりです……」
クリームがその場に座り込む。
「ドラゴン、無理……」
「だから言っただろ。今日は“戦わない日”だ」
下山の途中、レイはふと空を見上げた。
遠く、カーター王国の方角。
(会議、荒れてるだろうな)
ニベアの顔が浮かぶ。
強くて、美しくて、責任の塊みたいな女王。
――でも、ちゃんと帰ってくる。
レイはコーヒーの残りを思い出し、少しだけ歩みを速めた。
「師匠」
アーモンドが言う。
「女王様、戻ったら……また重力かけますよね」
「間違いなくな」
「……覚悟しとこ」
夕方、家に戻ると、火山の熱とは別の“日常”が待っている。
剣聖は、コーヒーを飲む。
それが、この家の平和の合図だった。




