22話 畑の祝福と剣の型 (エルフ時間と剣聖ブレンド)
あわただしい嵐は、過ぎた。
家の中を引っ掻き回した“母(法王)”の来訪と、結婚と、娘の襲来と、全部まとめて。
朝のサルトリ村は、静かだ。
火山島の空気は澄んでいて、潮の匂いと、土の湿った匂いが混じる。遠くの波が、寝起きの頭をゆっくりと撫でていく。
――この静けさが、剣聖にとっての回復薬だった。
「よし。今日は畑を起こすぞ」
違いのわかる剣聖レイは、野良着を着て農作業に精を出していた。
剣聖が野良着を着ると“農家の兄ちゃん”になるはずなのに、背筋と目つきが戦場のそれで、結果、威圧感がすごい。
牛の背に木の枠を掛け、鋤をつないで引かせる。
牛は例の、なぜか良質なミルクが取れる家の牛だ。今日はやけに機嫌がいい。
「……頼むぞ。ゆっくりでいい。畑は逃げない」
牛は「モゥ」と短く返し、土を返し始めた。
鋤が土を割る音が、妙に心地いい。剣戟よりいいまである。
その後ろに、もう一人。
野良着の女王がいた。
――世界の美の双璧、エルフ女王ニベア・カーター。
豪奢なドレスでも、鎧でもなく。袖をまくり、膝を汚し、指先で小麦の種をつまんでいる。
彼女は種を落とすたび、土の上を軽く撫でた。
光が派手に走るわけではない。風がそっと巡り、土がふわりと呼吸するように、祝福が染み込む。
「実りが良くなる。病気になりにくい。虫も……礼儀正しくなるわ」
「虫が礼儀正しいって、なんだよ」
「畑に対して、ね。エルフの祝福がある畑で、無作法は許されないの」
ニベアは当たり前のように言う。
当たり前の基準が、女王のそれなのが問題だ。
レイは腰を伸ばし、休憩に入った。
畑の端に置いた水筒ではない。ポットだ。中身は当然――
剣聖特製ブレンドコーヒー。
香りが立ち、鼻から脳まで一直線に落ちる。
これがあるだけで、人は理性を保てる。剣聖は、人生でそれを学んだ。
(……エルフの祝福より、俺にはコーヒーだ)
レイがコーヒーを飲んでいると、家の方から足音と声が近づいてきた。
朝から港までランニングしていた三人が、帰ってきたのだ。
マイ、アーモンド、そして――クリーム。
「ただいまーっ!」
マイは元気だった。鍛冶職人は基本、燃えている。汗をかいても笑う。
アーモンドも息は上がっているが、騎士団仕込みの呼吸で早く整う。先輩の余裕が出てきた。
問題はクリームだった。
「……っ、あ、暑……っ! 暑い、暑い、暑い……!」
火山島の熱は、肌に張り付く。
海風に慣れたエルフには、拷問に近い。
「干からびる……エルフが……干からびる……」
「干からびる前に、姿勢を戻しなさい」
ニベアの声が“女王”から“母”へ切り替わる。
冷たいようで、含まれているのは心配だ。
「背中。エルフの背中は、誇りよ」
「暑さに誇りとか、意味わかりません!」
「意味は後で理解する。まずは礼儀」
クリームは悔しそうに背筋を伸ばした。
その瞬間、ニベアが満足げに頷く。愛が重い。躾も重い。
マイとアーモンドは顔を見合わせて、ニヤニヤした。
「……女王様、容赦ないね」
「娘だからよ」
ニベアは淡々と返す。
淡々としているのに、視線だけは確実に娘を見ている。そこが母だ。
三人は庭の端で、柔軟と体幹トレーニングを始めた。
汗を流しながら、まずは“基礎”。次に“型”。
「せーのっ!」
アーモンドが号令をかけると、三人が剣の形を演武し始める。
マイの型は、鍛冶のハンマーを振るう癖が抜けないせいで豪快すぎる。
アーモンドは正統派で、線が綺麗だ。
クリームはまだ荒いが、動きの“間”がエルフらしい。呼吸が違う。
それを畑から眺めながら、レイはコーヒーをもう一口飲んだ。
精神が整う。剣聖特製ブレンドは、今日も働いている。
ニベアが、種袋を軽く抱えたまま言った。
「カーター王国は海のおかげで暖かいけど、冬は厳しいのよ」
「……カーターの冬で厳しいなら、この島は何なんですか」
クリームが遠くから呟く。
アーモンドが「黙って動け」と肘で軽くつついた。
ニベアは、遠い昔を思い出すように空を見た。
「何でエルフがあんな場所にいるか。七千年前……八世代前ぐらいかしら。
気候変動じゃなくて、大戦争が先。
戦争が土地を壊して、海を荒らして、風の流れを変えて――それで今の気候になったの」
さらっと言う。
内容が重いのに、さらっと言う。エルフの時間感覚は罪だ。
レイはコーヒーを飲みながら思う。
(エルフ時間って何だよ……“八世代前”が、七千年前?)
ニベアは続けた。
「長く生きるとね。“待てる”と思ってしまうの。
でも、待てることと、待っていいことは違う」
その言葉に、レイの喉が一瞬詰まった。
コーヒーを飲む。熱が胸の奥に落ちて、感情を落ち着かせる。
「……俺は、待たされるのは嫌いだ」
「知ってるわ」
ニベアは、少しだけ柔らかく笑った。
「だから捕まえたのよ」
「言い方が怖い」
「愛よ、愛。エルフの愛は重いの」
畑の休憩。
日差しが少し強くなってきた。
ニベアが何気なく言う。
「昼、何食べる?」
レイは即答した。
「親子丼だな」
「夜は?」
「ホワイトカレー」
「……あなた、カレーの比率がおかしくない?」
「正常だ」
「どこがよ」
ニベアが呆れ顔を作る。
だが、その表情には、確かな安心が混ざっている。
家族みたいな空気。
弟子たちの剣戟。畑の土。牛の息。
世界は混迷でも、朝はちゃんと回る。
レイはコーヒーを飲み、深く息を吐いた。
(……この村、増えていくな)
ニベアが土の匂いのする手袋を外し、レイの横に立った。
「増えるのは悪いことじゃないわ。畑も、責任も、未来も」
レイは返事をしなかった。
ただ、剣聖特製ブレンドをもう一口飲んで、静かに頷いた。
そして畑の向こうで――
「型、もう一回いくぞ!」
「はいっ!」
「クリーム、足! 足が遅い!」
「遅いんじゃなくて、暑いんです!」
「言い訳は呼吸にして吐け!」
「それ、騎士団の理不尽です!」
今日もサルトリ村は、平和に騒がしい。




