21話 内閣も議会も知らない結婚 (妖精王だけが知っている)
結婚式が終わった夜。
普通なら静かな余韻が残る。花の香りと、祝福の言葉と、少し照れくさい未来の話――。
ところが、ここはサルコジ島サルトリ村。
剣聖レイの家であり、禁欲のマリアが「結婚式サービスデー」を開催中である。
台所から漂う匂いが、もう反則だった。
鉄板の上でデーモンボアのハンバーグがじゅうじゅう鳴く。魔界に棲む奇跡の猪――脂が甘く、肉はふわっとして、香りだけで腹が鳴る。
そこへ、マリア特製ソースがとろり。見た目は穏やかな赤茶色なのに、回復薬みたいな艶がある。
大鍋のポトフは、根菜と肉と香草がゆっくり溶け合って、湯気そのものが優しい。
さらに「生野菜サラダ」――なのに、なぜか皿の周囲だけ空気が清浄化されている気がする。怖い。
「禁欲のマリア……料理の腕まで魔将である……」
レイはコーヒーをすすり、遠い目をした。
戦っていないのに、なぜか精神力が削られる。母とはダンジョンである。
テーブルには、レイとニベア、マイとアーモンド。
四人が幸せそうに食べている向かい側で、ふるまうマリアはずっとニコニコだ。
「食べなさい、レイ君。結婚式は体力勝負よ」
「もう終わってますけど」
「終わってないのよ、母の中では」
怖い。
だがハンバーグは旨い。くやしい。
ニベアは花嫁の余韻をまとっている。
その美しさは、“整っている”とか“華やか”とか、そういう次元ではない。
見る者の呼吸を一拍遅らせる、美の権力。
そして、その目だけはレイを見るとき、妙に柔らかい。愛が重い女王の、やや柔らかい方の重さ。
「レイ、ちゃんと食べて」
「食べてる」
「返事が雑」
「……はい、食べています」
「うん」
満足げに頷くニベア。
その横で、マイとアーモンドが目を合わせ、声を殺して笑った。
「先生、もう尻に敷かれてません?」
「敷かれてない。……座られてるだけだ」
「それ敷かれてるやつです」
アーモンドの事実認定は騎士団仕様で容赦がない。
そんな平和(?)の最中。
チリーン。
玄関の鈴が鳴った。
サルトリ村で鈴が鳴るのは珍しい。村民が鶏と牛と馬だからである。
空気が止まった。
ニベアの表情が変わる。花嫁の柔らかさが引っ込み、女王の警戒が前に出る。
マリアは相変わらずニコニコ。そこが一番怖い。
レイが立つより早く、ドアが開いた。
立っていたのは、旅の埃をまとったエルフの少女――いや、少女というより“若い官僚”の空気をまとった王女だった。
背筋が真っ直ぐで、目が強い。
なのに、入ってきた第一声は――
「やっと……ついた……!」
深く息を吐いたあと、すぐ自分で自分にツッコミを入れる。
「カーターから遠すぎて遠すぎて! まして火山島! 暑っ! 気温暑っ! 湿気っ!」
そして両手を広げ、叫ぶ。
「……エルフが干からびるわ!!」
そのまま、視線が母へ刺さった。
「お母さん――いえ、女王様」
言い直しが硬い。
家族と国家の切り替えが、痛いほど上手い。
「何故ここにいるのですか?
私は一ヶ月かかり、ここへ来たのに」
ニベアはナプキンで口元を拭き、立ち上がった。
美が“圧”に変わる。女王の立ち姿は、それだけで場を制圧する。
「クリーム。よく来たわね」
――クリーム・カーター。
統一の象徴。次期女王。ニベアの娘。
「一ヶ月かけたのね。偉いわ」
「褒められても回復しません、暑さは」
即ツッコミ。強い。
ニベアは微笑み、さらっと言った。
「私は転位魔法で一瞬で来られるけどね」
クリームの眉がピクリと動く。
そこへ追撃が入る。母は容赦がない。
「クリームちゃん、あなた五メートルしか転位できないじゃない。詠唱も長いし」
「……っ」
「修行が足りないわね。センスよ、センス」
言い切った。
クリームは玄関で拳を握りしめ、肩を震わせた。
「くっ……恥じだ……くっ……」
小さく呻くその言葉が、妙に独特だった。
「いまの何語?」
マイが素で聞く。
「……エルフ業界用語だ」
レイがコーヒーを飲みながら、遠い目で答える。
業界用語って何だ。エルフ界隈は怖い。
マイとアーモンドは腹を押さえて笑った。
「やばい、増えた!」
「ツッコミが鋭いタイプ!」
クリームが室内に足を踏み入れた瞬間、料理の匂いに足が止まる。
旅で疲れたエルフの理性が、胃袋に引っ張られている。
マリアが皿を差し出した。
「いらっしゃい、クリームちゃん。まず食べなさい」
「……法王閣下、あなたも何故当然のようにここに」
「家庭訪問よ?」
「家庭訪問の規模が大きすぎます」
完璧なツッコミ。
マリアは、にこにこしたまま頷いた。
「そう? いつも通りよ?」
「怖い……!」
クリームが小さく言った瞬間。
ニベアが、さらりと爆弾を落とした。
「あ、それと――私、レイと結婚したから。今朝だけど」
空気が凍った。
クリームの目が点になる。
「……は?」
次の瞬間、爆発する。
「は? は? はーーー!?
そんなこと、聞いてない!
エルフ内閣も知らない! エルフ議会も知らない!
エルフ最高裁判所も知らない!
エルフ民衆同盟会議も知りませんよ!!」
マイが肩を震わせた。
「なにその組織名、全部つよい!」
アーモンドも涙目で笑う。
「エルフ業界用語だらけです、胃が痛い……!」
ニベアは、ドヤ顔だった。
美しいドヤ顔ほど腹立たしいものはない。
「妖精王様が知っているわ。報告・承認済みよ」
「妖精王……!」
クリームは椅子に座ろうとして、バランスを崩して落ちそうになる。
反射で踏みとどまったが、顔が真っ赤だ。
「……真名交換、したのですか?」
声が震える。
次期女王としての危機感と、娘としての動揺が混ざっている。
「お母さんはエンシェントハイエルフですよ?
……人間と?」
ニベアは、少しだけ目を細めた。
情感が濃くなる。重い愛が、ふわりと香る。
「真名は――必要なときに交換するものよ。
エルフの契約結婚は日常だもの。
でも、“永遠の契り”が必要なときは、ちゃんと儀式もする」
言い方は優しい。
でも、目が「決めたら曲げない」女王のそれだ。
クリームは唇を噛んだ。
「……内閣は?」
「後で説明するわ」
「議会は?」
「後で説得するわ」
「最高裁は?」
「判例を作るわ」
「民衆同盟会議は!?」
「愛で押すわ」
「雑っ!」
クリームのツッコミが鋭い。
マイとアーモンドが笑い転げ、テーブルが揺れる。
マリアは、その光景を見ながら、ニコニコしてハンバーグを追加で焼いていた。
母の顔。
そして法王の顔。
どっちにしても怖い。
レイは、コーヒーをすすりながら、胃のあたりを押さえた。
「……胃が痛い」
「先生、逃げないで下さい。あなたの結婚です」
「全部事故だ」
「事故で結婚は無理です」
アーモンドが即座に否定する。正論で刺してくる。
ニベアがレイの腕を掴む。
その指は細いのに、逃げ道を消す力がある。
「逃げないで。私に恥を何度かかせるの」
「……何度って」
「数える?」
「数えないで」
マイがニヤニヤする。
「先生、数えられたら死ぬやつだ」
「死なない。……たぶん」
クリームは、母とレイと、二人の弟子を見回した。
この家の空気を理解しようとして、理解を諦めた顔になる。
「……つまり」
深呼吸。
「私は、ここに来たら、知らないうちに母が結婚していて、
知らないうちに玉座が移動していて、
知らないうちに弟子が二人いて、
そして――」
目がレイに向く。
「……私も増える、と」
マイとアーモンドが声を揃えた。
「いらっしゃいませ、弟子枠へ!」
「増築、確定ですね!」
レイは、天を仰いでため息をついた。
コーヒーを飲むしかない。逃げ場がそこにしかない。
「……増築だな」
ニベアが満足げに微笑む。
情感豊かな、美の双璧の片割れが、当たり前のように言った。
「大丈夫よ。あなたの家は、これからもっと“家族”になるんだから」
重い。
でも、なぜか温かい。
クリームは、椅子に座り直し、ハンバーグを一口食べた。
そして小さく、悔しそうに言う。
「……おいしい」
マリアが、にこにこしたまま頷く。
「でしょ? まずは栄養。話はそれから」
この家は、戦場より怖い。
でも――カレーだけじゃなくて、ハンバーグまで強い。
レイはコーヒーを飲みながら、今日も胃を守る戦いを始めた。




