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マイアーモンドクリーム----コーヒー好きな剣聖は今日も弟子を鍛えます---  作者: イサクララツカ


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18/62

18話 北狼帝国(「美の双璧、会議(※胃が死ぬ)」)

食事が終わった。

 鍋の底まで綺麗にさらわれたライスカレーの余韻が、まだ台所に残っている。

 香辛料の甘い残り香。湯気の名残。満腹の幸福。――そして、それを上回る緊張感。

 居間の卓を挟んで、**二つの“世界”**が向き合って座っていた。

 右に、禁欲のマリア。

 黒い尼服。目は閉じたまま。なのに、空気の支配権を完全に握っている。

 微笑みだけで人を救い、同時に逃げ道を塞ぐタイプの母性。

 左に、エルフ女王ニベア。

 青銀の髪、透けるような肌、凛とした気品。

 視線ひとつで国が動く女王が――今は、妙に姿勢が良くて、妙に真面目だ。

 そしてその二人の間に、剣聖レイが座っていた。

 ……座っていた、というより、縮こまっていた。

 端から見れば、会議。

 実態は、家庭訪問の第二ラウンドである。

 マイとアーモンドは、少し離れた位置に並んで座り、口元を押さえて必死に耐えていた。

(やばい。笑う。今、笑ったら死ぬ)

(でも現実なんだよねこれ。剣聖が真ん中で小さくなってるの)

 マリアの家庭訪問は、孤児院育ちにとっては“母に会える日”だ。

 嬉しい。尊い。泣ける。

 だが、剣聖レイにとっては――

(毎回これか……)

 前回は、内臓が出て、足が向いてはいけない方向を向き、地面が割れて、村が泣いた。

 それでもマリアの回復魔法で“治る”。

 いや、治るというか――

 強化されて戻る。

 もはやそれは回復ではなく、教育である。

 尼の愛は重い。しかも物理。

 マリアが、湯飲みを置く音がした。

 それだけで、空気が「本題」に切り替わる。

「ニベアちゃん」

 呼ばれた瞬間、ニベアの背筋がさらに伸びた。

 女王の礼儀正しさが、こういう場面で一番発揮されるのが不思議だった。

「はい、マリア様」

 “様”が付く。

 女王が、尼に“様”を付ける。

 マイが、アーモンドの肩をつつきたくなって、やめた。

 命が惜しい。

 マリアは、優しい声で言った。

「可愛いわねえ。あなた」

 ニベアは、ほんのり頬を赤くする。

 エルフは恥の文化。褒められると弱い。特に、母性に褒められると弱い。

 次に来るのは、わかっている。

 わかっているのに、避けられない。

 マリアは、さらりと続けた。

「で。レイ君とは――結婚しないの?」

 ――空気が、止まった。

 レイが、反射でコーヒーを探して手を伸ばす。

 そこにコーヒーがあるわけがない。

 だが、癖は怖い。

 ニベアは、真顔で聞いていた。

 女王の会議顔だ。政治の顔だ。

 恋の話をされても、受ける姿勢が“外交”になる。

 マイとアーモンドは、互いの顔を見ないようにしていた。

 見たら負ける。笑う。死ぬ。

「それにしてもね」

 マリアは、懐かしそうに首を傾げる。

「レイ君が若いころ、あなたと組んでたカップルパーティー。

 毎回、名前が変わるのよねえ。中二病みたいな」

 レイが、ついに耐え切れず、コーヒーを吹いた。

「ぶっ……!」

 ないはずのコーヒーを吹いた。

 正確には、さっき飲んだ水分を、悲鳴と一緒に噴いた。

「マリア先生、それ言わなくていいやつ……!」

「え? だって可愛かったじゃない。

 “漆黒の——”とか、“蒼炎の——”とか。覚えてるわよ?」

「覚えなくていい!!」

 ニベアは、目をぱちぱちさせた。

 その顔が、女王の顔から一瞬で“少女”になる。

「……え、レイ。なにそれ。私は……名前、そんなの付けた覚え……」

「ニベア、付けた。お前が言い出した」 「言い出してないです。私は女王です」 「当時は女王じゃなかっただろ」

 そこへ、マリアが追撃を入れる。

 優しさ100%、破壊力100%。

「ニベアちゃん、私にね、こう言ったのよ。

 『お母さん、レイをください』って」

 ニベアの顔が、真っ赤になった。

「い、言ってません……!」 「言ったわ」 「言ってません! エルフは……恥の文化です……!」 「恥の文化のわりに、言うことは大胆だったわよ?」

 マイが、耐えきれず小声で呟いた。

「……中二病ってなに?」 「知らん……けど、今それ聞くの命がけ」

 アーモンドは腹を押さえた。

 騎士団仕込みの耐久が、ここで試されている。

 マリアは、笑顔のまま、急に真剣な声になった。

「ねえ、ニベアちゃん。エルフの時間で待ってたら……

 あなた、レイ君の骨と結婚しなきゃいけなくなるわよ?」

「待って待って待って待って」

 レイが慌てて両手を上げる。

「俺、骨になる前提なの!?」 「なるわよ」 「断定!?」 「危機管理よ」

 ニベアは――笑わなかった。

 冗談に聞こえないからだ。

 剣聖は強い。だが、世界は混迷している。魔将が暴れている。

 そして何より、彼女は知っている。

 “強い”が“死なない”の保証にならないことを。

 ニベアは、唇をきゅっと結び、真面目に頷いた。

「……結婚したいです。します。ね? レイ」

 レイは、逃げるように言った。

「……コーヒー飲む」

 ニベアの手が、レイの腕を掴んだ。

 細い指なのに、女王の拘束力がある。

「逃げるな」

 声が低い。

 怒っているというより、泣きそうなのを我慢している怒りだ。

 ニベアは指を折り始めた。

「私に、恥を何度かかせたと思ってるの。数えるわよ?」

「やめろ、裁判みたいに言うな」 「一回目」

 ニベアは淡々と言う。

「泉で、いきなり抱きしめられた」 「事故だ。目の前に落ちそうだったから」 「私は初めてだった。キュンとした」

 マイとアーモンドが、同時に顔を伏せた。

(事故じゃないだろこれ)

(騎士団なら“日常の事故”かもしれんが、恋愛では事件)

「二回目」 「待て待て、まだ続くの?」 「続く。三回目、港で手を引いた」 「人混みではぐれるから!」 「四回目、夜、見張りの交代のときに“眠れ”って髪に触れた」 「体温測っただけだ」 「五回目、戦場で“帰るぞ”って――」

 レイが、完全に死んだ目になった。

 マイが、アーモンドの耳元で囁く。

「レイ先生、剣は強いのに言い訳が弱い」 「わかる。騎士団の“事故”ってだいたいそう」

 マリアは、湯飲みを片手に、楽しそうに言った。

「ふふ。いいわね。青春ね」 「青春じゃないです、女王です」 「女王でも青春はするのよ」

 ニベアは、途中で言葉が詰まった。

 指を折るのをやめて、レイの腕を掴んだまま、少しだけ視線を落とす。

「……私は、怖いの」

 声が小さくなる。

 エルフの“恥の文化”は、弱さを隠す文化でもある。

 だからこそ、言葉にした瞬間の破壊力が大きい。

「あなたが、いなくなるのが」

 レイは黙った。

 コーヒーの逃げ道がない。

 マイとアーモンドも、笑うのをやめた。

 空気が静かに重くなる。

 マリアは、そこで話題を“母”の手つきで切り替えた。

 優しく、しかし強制的に。

「――うん。じゃあ決断は早い方がいいわね」

 ニベアが顔を上げる。

 目が潤んでいるのに、女王の目をしている。

「……はい」

 レイは、観念したように息を吐いた。

「……検討する」 「検討じゃない」 「……前向きに検討する」 「逃げるな」

 アーモンドが耐えきれず、ついにツッコんだ。

「先生、政治家みたいな答弁やめてください!」 「剣聖の答弁は弱いんだな……」

 マイが頷く。

「鍛冶で言うと、“芯が通ってない”」 「誰が芯なしだ」

 レイが反射で返す。

 空気が少しだけ軽くなった。

 ――そこで、マリアが本当に“家庭訪問の目的”を口にした。

 声は相変わらず優しい。

 だが、内容は重い。

「さて。笑い話はここまで」

 マリアは湯飲みを置き、指先を組む。

 目を閉じたままなのに、その場の全員が“見られている”気になる。

「北の大地。

 狼とワーウルフが統一されて――北狼帝国ができたわ」

 ニベアの表情が、女王のそれに戻る。

 涙の湿り気が残っているのに、声は揺れない。

「……ゴールドマン」 「そう。剛欲のゴールドマン」

 マリアは続ける。

「魔法が効かない。反射する盾。剛力。速さ。

 そして――あの子は、戦争を“勝つ”より、支配を“続ける”タイプよ」

 マイが息を呑む。

 アーモンドは拳を握る。

 レイは、ようやくコーヒー以外の顔になった。

「……北狼帝国は、南へ動くのか」 「動くわ。もう動いてる」

 ニベアが言葉を継ぐ。

「私の夫――王配アトリック=カーターは、討伐戦で戦死した。

 理由は調査中。だが、確定しているのは一つ」

 ニベアの指先が微かに震える。

 怒りではない。悔しさだ。

 そして、決意だ。

「……ゴールドマンには、魔法が効かない」

 マリアは、静かに頷いた。

「だからこそ、あなたたちが必要なのよ」

 その“あなたたち”に、マイとアーモンドが含まれていると気づいた瞬間。

 二人の背筋が同時に伸びた。

 ニベアが、少しだけ視線を落とし、そして言った。

「クリームを――剣聖の弟子にします」

 レイが短く息を吸う。

 マリアは微笑む。

 マイとアーモンドは、顔を見合わせた。

(増える……)

(弟子、増える……)

(家、増築……)

 レイが、低く呟く。

「……コーヒーが要るな」 「逃げるな」

 ニベアが即座にツッコむ。

 そのツッコミには、さっきまでの湿った感情が少し混じっていた。

 そしてマリアが、やけに明るく言った。

「大丈夫。北狼帝国の話をする前に、まずは――

 明日の朝も稽古よ」

「え?」

 マイとアーモンドが同時に固まる。

 マリアは、にこにこしながら言った。

「北狼帝国は怖いわ。でもね、怖いからこそ、鍛えるの。

 ほら、いい子たち。逃げない」

 レイが、人生で一番小さい声で言った。

「……母さん、家庭訪問って何だっけ」

 ニベアが、レイの腕を掴んだまま、少しだけ笑った。

 女王の笑みだ。重い愛の笑みだ。

「逃げないでね、レイ。私も逃がさないから」

 マイとアーモンドは、互いに手を握り合った。

「生きよう」 「うん、今日も生きよう」

 こうして、サルトリ村の夜は更けていく。

 カレーの香りが消えたあとに残ったのは――

 美の双璧と、剣聖と、弟子二人と、

 そして、北狼帝国という“現実”だった。

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