表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マイアーモンドクリーム----コーヒー好きな剣聖は今日も弟子を鍛えます---  作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/62

17話 ライスカレー

稽古が終わった――と断言できるのは、世界でたぶん一人しかいない。

 その一人が「禁欲のマリア」本人である以上、反論する権利など誰にもない。

 サルトリ村の庭先は、もはや「庭」ではなかった。

 地面は割れ、石は砕け、木は途中から消し飛び、火山島の黒土が露出している。

 空気には、鉄が焼けた匂いと、草が焦げた匂いと、――あと、なぜか「清々しい敗北の香り」が混ざっていた。

 庭の真ん中。

 剣聖レイは、完全武装のまま地面に片膝をつき、肩で呼吸していた。汗が鎧の隙間から滴る。

 息は荒いのに、表情だけは妙に落ち着いている。いつもの「悟った顔」だ。

 その数歩先に、禁欲のマリア。

 黒ずくめの尼服のまま、モーニングスターと刃を潰したロングソードを軽く回し、カチ、と金属音を鳴らして納める。

「うん。よく動けたわ、レイ君」

 マリアは微笑む。

 優しい。極めて優しい。

 なのに、空間がさっきまで「割れてた」のである。説得力が暴力で裏打ちされすぎている。

 見学席(という名の安全地帯)にいたマイとアーモンドは、遅れて息をした。

「……終わった、の? あれ、終わったの……?」 「終わったっていうか……“終わらせてもらえた”っていうか……」

 マイは鍛冶屋の娘らしく、粉塵が舞う庭を見て評価を下す。

「工房の壁、あとで補強いるね。地盤がね、うん。地盤が死んでる」 「地盤の心配してる場合!? 私の心も死んでる!」

 アーモンドは叫んだ。重騎士のはずなのに、精神の方が薄い装甲だった。

 そして、縁側に立つもう一人――エルフ女王ニベア。

 青銀の髪が風に揺れて、光を含んで流れる。

 その姿だけで世界が「芸術作品」になるのに、彼女は真顔で腕を組み、稽古の余韻で荒れた庭を見下ろしていた。

 瞳が、ちょっと潤んでいる。

 怒っているのではない。

 ――「胸の奥が、きゅっとなるやつ」だ。

「……レイ」

 名前を呼ぶだけで、空気が変わる。

 エルフの声は澄んでいるのに、感情が濃い。薄めたら飲めないタイプだ。

 レイは、何も言わずにコーヒーのカップを探した。

 ない。武装してるし、稽古中だったし、当然ない。

「ニベア、コーヒー……」 「今は、コーヒーじゃありません」

 即座に否定された。

 マリアが、くす、と笑う。

「ふふ。ほらね、レイ君。固いのよ、あなた。すぐコーヒーに逃げる」 「逃げてない。戦術だ」 「戦術は、心の話でも使えるの?」 「……使える」

 言い切った。

 剣聖、会話の受け身が硬い。

 その瞬間。

 マリアは、ゆるりと手を広げた。

「はい。お疲れさまの時間よ。みんな、こっち」

 次に起きたことは、魔法というより「家庭の奇跡」だった。

 空から、やわらかな雨が降る。

 熱を奪う冷たい雨じゃない。ぬるくて、肌に優しくて、汗と砂と焦げを洗い流す雨。

 しかも、ふわっと甘い香りがする。南国の果物みたいな、幸せの匂い。

「なにこれ……」 「……いい匂い……」

 アーモンドとマイが同時に呟く。

 マリアが胸を張る。

「トロピカルシャワー。汗と疲労と、ついでに“嫌な思い出”も洗い流すの。尼の嗜みよ」

「尼の嗜みの範囲が広すぎる!」 「うちの鍛冶場、これ欲しい……煤も落ちるよね……?」

 マイの目が職人のそれになった。

 ニベアは、雨に濡れた髪をそっと指で払う。

 香りの雨に包まれているのに、表情はまだ少し硬い。

 ――エルフは恥の文化。

 感情を露骨に見せるのは「品がない」。

 だからこそ、抑えて抑えて、溢れそうになって、最後に「言葉」が尖る。

「……レイ。無茶をしすぎです」 「してない。いつも通りだ」 「その“いつも通り”が、問題です」

 言い切った瞬間、ニベアは自分で自分の語気に気づいて、視線を落とす。

 女王のくせに、恋の場面では不器用だ。

 マリアは、そんなニベアを見て、すごく優しい顔をした。

 ただし、その優しさの裏には「絶対に逃がさない教育者の目」がある。

「よし。汗流した。次は――ごはん」

 マリアは、魔道バッグを肩にかけたまま、さっさと家に入っていく。

 尼が家庭訪問に来て、庭を更地にして、台所を掌握する。

 日常とは何かを考えさせられる。

 レイが、無言で後を追う。

 マイとアーモンドも、なぜか反射でついていった。

 ニベアだけが一瞬立ち止まり、壊れた庭を見つめる。

(……昔も、こんなふうに。

 戦って、壊して、笑って、食べて……

 それでも、また明日が来るのが、嬉しかった)

 彼女は小さく息を吐いて、家に入った。

 台所。

 マリアは迷いなく鍋を出し、米を見つけ、火を起こし、香辛料の棚を開け――

「あるじゃない。レイ君、相変わらずカレー好きね」 「村の防衛より優先してる」 「え、カレーって防衛なの?」 「防衛だ」

 レイが即答したせいで、マイとアーモンドが笑いそうになり、でもマリアがいるので笑えない。

 マリアは、手際が良すぎた。

 野菜を切る音が軽快で、鍋の中で玉ねぎが甘くなる香りが立ち上がる。

 スパイスが油で弾ける音は、小さな花火みたいだ。

 ニベアは、台所の隅で静かに見ていた。

 彼女は女王で、料理人ではない。

 それでも、マリアが「母」の顔で動くのを見ていると、胸の奥がじんとする。

(この人が、レイを育てた。

 そして、今――私の前で、当たり前のように“ごはん”を作っている)

 それが、妙に眩しい。

「ニベアちゃん」

 マリアが呼ぶ。

 ニベアは、はっとして姿勢を正した。

「……はい」 「そこ、座ってなさい。あなたは“見てる係”でいいの」 「私は女王です」 「女王でも、今日は見てる係」

 命令形なのに、声が優しい。

 ニベアの頬が、ほんのり赤くなる。怒りではない。

 そして――出来上がった。

 湯気の向こうに、黄金色のカレー。

 米はふっくら。香りは深く、甘く、辛く、懐かしい。

「はい。ライスカレー」

 マリアが、皿を並べる。

 湯気の匂いだけで、腹が鳴る。

 最初に口をつけたのは、アーモンドだった。

 騎士団仕込みの「我慢」を一瞬で捨てた。

「……うまっ!? え、なにこれ、え、母!?」 「母って言った!? 今、言った!」 「言ってない! 言ってないけど、言ったかもしれない!」

 マイは一口食べて、目を丸くする。

「スパイスの配合が……暴力。優しいのに暴力……」 「褒めてるわよね?」 「最高に褒めてる……!」

 レイは、黙って食べる。

 そして、ひとこと。

「……お袋の味だ」

 その言葉が、ニベアの胸に刺さる。

 良い意味で。

 ちくりと、でも温かい。

 ニベアも一口食べた。

 舌の上で広がる香りに、思わず目を伏せる。

「……美味しい……」

 女王の声が、柔らかくなる。

 その瞬間だけ、政治も戦争も遠い。

 マリアはニコニコしながら、みんなを見回した。

 目は、相変わらず閉じたまま。

 なのに、全員の表情を見ているみたいに、ぴたりと空気を読む。

「うん。いい子たちね。レイ君の弟子――マイちゃん、アーモンドちゃん。覚えたわ」 「覚えないでください、怖いんで」 「覚えないでください、逆らえないんで」

 二人が同時に言って、ニベアが小さく笑った。

 笑った自分に気づいて、照れて咳払いする。

 マリアが、カレーを食べながら、ぽつりと言った。

「さて。食べたら、少し大事な話をするわよ」

 レイがカップを探す仕草をした。

「コーヒー……」 「逃げない」

 マリアが即ツッコミを入れる。

 アーモンドとマイが、顔を見合わせてニヤニヤする。

 ニベアは、スプーンを握りしめたまま、背筋を正した。

 女王の顔になる。

 けれど、その瞳の奥には――まだ、レイの隣でカレーを食べられることへの小さな幸福が残っていた。

 その「甘さ」と「重さ」が同居しているのが、ニベアという女王だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ