14話 禁欲のマリア
夜の庭は、月明かりだけで十分だった。
サルコジ島の火山岩の庭は硬く、踏みしめるたびに乾いた音を立てる。普段は穏やかな場所だが――今夜ばかりは、空気そのものが張りつめていた。
剣聖レイは、完全武装で立っていた。
盾と剣。どちらも実戦用。
対するは、黒衣の尼――禁欲のマリア。
目を閉じたまま。
それでいて、微笑んでいる。
「……では、いくわよ。レイ君」
「……はい、母さん」
その瞬間だった。
ガンッ!
金属がぶつかる音ではない。
衝撃そのものが、音になった。
マイとアーモンドは、目を見開いたまま固まっていた。
「……今の、何?」
「剣……だよね?」
「見えた?」
「いや、全然」
二人の会話の速度よりも、庭の中央で交わされる剣戟は速かった。
レイは全力だった。
剣聖として、冒険者として、そして――息子として。
盾で受け、剣で返す。
体重移動、間合い、呼吸。
一切の無駄がない、教科書のような剣。
だが。
ゴゥンッ!!
モーニングスターの鉄球が、盾の縁を叩いた。
「――っ!」
レイは盾を傾け、衝撃を殺す。
重い。とてつもなく重い。
それでも、流した。剣聖の判断は正確だった。
――しかし。
「そこ」
マリアの声は、すぐ後ろから聞こえた。
「!?」
半歩。
たった半歩。
それだけで、マリアはいなかった。
次の瞬間。
ドンッ!!!
バスターソードが、レイの胴を真正面から叩いた。
空間が歪み、
衝撃波が庭を走り、
地面が砕ける。
レイは吹き飛び、地面を転がった。
ズガァァン!!
庭に、クレーターができた。
「え」
「庭、なくなった……」
マイとアーモンドは、完全に言葉を失っていた。
さらに。
マリアの斬撃は止まらない。
振るわれたバスターソードの余波だけで、
庭木が――
爆裂した。
幹が内側から弾け、枝が吹き飛ぶ。
「……ありえない」
ニベアが、思わず呟いた。
剣で、木が爆裂する?
魔法でもない。属性も感じない。
純粋な“力”と“技”だけで、現実を壊している。
マリアは、軽く足を止め、首をかしげた。
「レイ君」
声は、どこまでも優しい。
「鍛練、してる?」
レイは、地面に膝をつきながら、息を整えた。
胸が痛む。骨が軋む。
それでも、口元は笑っていた。
「……してます。毎日」
「そう」
マリアは満足そうに頷いた。
「それなら、よかった。怠けてたら、もっと痛くするところだったわ」
「……基準が厳しすぎませんか?」
「愛よ」
即答だった。
ニベアの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
(……この人)
恐ろしい。
強すぎる。
でも、それ以上に――真っ直ぐだ。
マリアは、レイを見下ろしながら、微笑んだまま言った。
「よく耐えたわ。昔より、ずっと強い」
レイは、盾を支えに立ち上がる。
「……母さんの基準には、まだ遠いです」
「当然よ。私は、まだ老けてないもの」
「そこ張り合うところですか……」
マイが、ぽつりと呟いた。
「ねえ……この人、本当に尼?」
「尼だよ。たぶん」
「尼って、こんなに庭壊すの?」
「……魔道教会基準なんじゃない?」
ニベアは、庭の惨状と、息を整えるレイを交互に見つめていた。
胸の奥が、ざわつく。
誇らしい。
怖い。
そして、悔しい。
自分は女王で、大魔道士で、古代魔法の唯一の使い手。
それでも、この場の“主導権”は、自分ではない。
マリアが、ふっと振り返った。
「ニベア女王」
その呼び方だけで、背筋が伸びる。
「はい……」
「あなた」
マリアは、穏やかな声で言った。
「稽古、する?」
ニベアの心臓が、跳ねた。
「……え?」
「レイ君と、一緒に」
月明かりの下で、マリアは変わらぬ微笑みを浮かべている。
誘いだ。
逃げ道のない、真っ直ぐな誘い。
ニベアの胸に、熱が込み上げる。
恐怖ではない。
――闘志だ。
(逃げないと、決めたでしょう)
ニベアは、ゆっくりと前に出た。
女王としてではなく、
レイを愛する者として。
「……ええ。受けて立つわ」
マリアは、満足そうに頷いた。
「いい顔ね。愛が重い女の顔だわ」
「……褒めてます?」
「とても」
レイが、思わず声を上げる。
「母さん、ニベアは魔法使いで――」
「分かってるわ」
マリアは、モーニングスターを軽く回した。
「だから、楽しいの」
マイとアーモンドは、即座に後退した。
「ねえ、これ」
「うん」
「絶対、近くにいちゃダメなやつだよね」
「命がいくつあっても足りない」
ニベアは深く息を吸い、魔力を整える。
古代魔法ではない。
これは――自分自身の覚悟だ。
マリアは、目を閉じたまま、静かに言った。
「さあ。始めましょう」
月明かりの庭で、
剣聖、女王、そして禁欲の尼が並び立つ。
――愛と力と教育が交差する夜。
サルコジ島は、また一段階、騒がしくなった。




