第1話 帰宅したら、鍛冶場と女の子が増えていた件
魔王が討伐された世界は――平和になった、わけではない。
ただ、でかいフタが外れて、世界中の欲望と利害が「はい、自由時間です」と暴れ出しただけだった。
魔族はいる。魔物も山ほどいる。
魔王軍の“魔将”たちは、討伐後も生き残り、各地で勢力争いを始めた。
人間の国家も、エルフも、ドワーフも、その他の種族も――それぞれ正義と都合でぶつかり合い、混迷の時代に突入している。
そんな世界で、ひとりだけ、妙に温度が低い男がいた。
剣聖レイ。五十八歳。人間。
戦えば強い。けど、本人は強さを誇らない。
好きなものは、コーヒー。嫌いなものは、長い会議。
そして今の肩書きは――村長。
村長と言っても、人口がいるタイプの村ではない。
巨大火山島・サルコジ島。
その外れにあるサルトリ村は、村長が一人。
村民は、鶏と牛と愛馬。以上。
国や教会から「未開発地域、あげます」と押し付け……もとい、拝領した土地。
剣聖が村長をやってる時点で、だいたい察してほしい。
世界は、全然落ち着いていない。
定期船オーサル号。甲板。
潮風に当たりながら、レイはカップを傾けた。
湯気と一緒に、深い香りが鼻に抜ける。
「……やっとサルコジに帰ってきたな」
ぽつり、と言って、もう一口。
「今日からは、しばらく村の開発を頑張ろう。まず畑。次に柵。あと井戸。できれば温泉」
隣にいた船員が、感心した顔でうなずく。
「剣聖さま、夢が堅実っすね。温泉って」
「火山島だからな。あると、生活のQOLが上がる」
「QOLって言う剣聖、初めて見ました」
「覚えた。ギルド職員が言ってた」
「ギルド職員……あ、マーガレットさん?」
船員の口が、にやにやに変わる。
「聞きましたよ。剣聖さま、三ヶ月も村空けたって。あの人、怒ると怖いんですよね」
「怖い」
レイが即答したので、船員は吹いた。
「即答! そこは誤魔化しましょうよ!」
「誤魔化す必要はない。怖いものは怖い」
レイは真顔でコーヒーを飲む。
この男、戦場では剣聖だが、日常ではわりと素直で弱い。
やがて港が見えた。
サルコジ港。人の声、魚の匂い、酒樽の音。
そしてギルド掲示板前で揉める冒険者の声も、いつも通り元気だ。
「あの依頼、俺が先に見てた!」
「見てただけだろ!」
「うるせぇ、先に手を伸ばした俺の勝ちだ!」
そこへ。
「剣聖さまだ!」
「え、剣聖!?」
「道を空けろ! 心臓が止まる!」
人の流れが、割れるように道を作った。
レイは、申し訳なさそうに歩いていく。
「……すまない」
「謝るな! むしろ踏んでくれ!」
「踏まない」
今日もサルコジは平和……ではないが、通常運転だった。
ギルドに入ると、紙とインクと汗の匂い。
カウンターの向こうで、マーガレットが書類の山を捌いていた。
マーガレット。三十歳。独身。
仕事が早い。口も早い。世話焼き。
そしてレイに対してだけ、情緒が忙しい。
レイが立った瞬間、彼女のペンが止まった。
「……剣聖様ぁ?」
声が低い。これは危険だ。
「ただいま」
「ただいま、じゃないです。三ヶ月ですよ、三ヶ月。村長が村を空けて三ヶ月」
「依頼だった」
「依頼は断れます。剣聖様は断れます。断っても世界は滅びません。むしろ皆、助かります」
「……皆、助かるのか」
「助かります! 剣聖様が無理すると、周りが勝手に無理し始めるんです! 伝染病です!」
例えが雑だが、当たっている。
レイは素直に頭を下げた。
「すまない。留守を頼んだ」
「頼まれましたよ。鍵まで預かって。雨漏りチェックして。鶏の餌も買って。牛の塩も補充して。……私、何職ですか?」
「有能なギルド職員」
「褒めて誤魔化さないでください!」
「誤魔化してない。事実だ」
マーガレットは、悔しそうに頬をふくらませてから、咳払いして職員モードに戻った。
「はい、報告書。ここ署名。あと損耗申請。えっと、負傷……“回復魔法で自己処理”……はい意味不明。まあ剣聖様だからいいです」
レイが署名すると、マーガレットは机の下から麻袋を引きずり出した。
ずしり。
「で、これ。郵便物」
「……多いな」
「多いです。袋です。束です。群れです」
「群れ……」
「群れです」
封筒がどさどさ出てくる。
蝋印にエルフ王家の紋章が見えた瞬間、マーガレットの目が鋭く光った。
「女王ニベアから? また“束”ですか?」
「……相変わらずだ」
「相変わらずって何ですか。昔の仲間って言いますけど、仲間に十五通送ります?」
「送る人は送る」
「誰ですか、その“送る人”!」
レイは、カップを口に運んだ。
コーヒーの盾。日常最強防具。
「……まあ、そういう人だ」
「誤魔化した!」
「誤魔化してない。飲んでるだけだ」
「その飲む速度が誤魔化しです!」
さらに別の封筒。ハイネ王国の印。
「ウォーレンからも来てます。珍しいですね」
レイの目が、一瞬だけ真面目になる。
「……あいつが手紙を書く時は、だいたい面倒が起きてる」
「嫌な予感しかしない」
「当たる」
もう一つ。重い封筒。角が硬い。
マーガレットが眉をひそめた。
「これ、ドワーフから……ゴヘイ・ジョンソン。封筒から金属臭がするんですけど」
「たぶん鉄粉」
「混ぜないでくださいよ! ギルドのカウンター錆びるんです!」
「すまない」
「謝る相手そこじゃないです!」
マーガレットはため息をついて、買い物メモを突き出した。
「とにかく。村に帰る前に市場で買ってください。塩、油、乾燥豆、釘、縄、木材、あと……」
「釘が多いな」
「剣聖様の家、貧弱なんです。村長の家が貧弱だと、村の格が下がります」
「村の格……」
「そうです。村長が強いなら家も強くしてください。家にも威厳が必要です」
真顔で言い切られ、レイは真顔でうなずいた。
「分かった。家に威厳を持たせる」
「そういうところだけ素直!」
市場は戦場だった。
「剣聖さん! 干し魚持ってけ!」
「剣聖様! 酒樽どうです、ハイネの酒!」
「剣聖! 鍬! 鍬は正義!」
「剣聖さま! その縄は切れる! こっちが丈夫!」
レイは、言われるがまま荷物を抱えた。
優しさは、こういう時に重くなる。物理的に。
途中で、コーヒー豆の店を見つけると、彼の足が止まる。
「……いい豆だ」
「おっ、分かります? ピサロ連合から入った逸品でね――」
「これにする」
「説明聞いて!?」
「香りで分かる」
「剣聖さま、豆にだけ判断が早い!」
「大事だ」
「何が大事なんですか!」
「生活」
店主が負けた顔をした。
買い物を終え、レイは厩舎で愛馬を受け取る。
馬は鼻を鳴らし、レイの肩に頭を寄せた。
「久しぶり。帰るぞ」
レイは馬に荷を括り、鞍に乗る。
港の喧噪が背後に遠ざかり、森の匂いが濃くなる。
サルトリ村への道は、途中から獣道だ。
火山島の黒い山肌、蒸気の上がる谷、野生の草。
人の手が入っていない分、自然は元気で、ちょっと怖い。
「……村の開発、頑張ろう」
言って、レイはまたコーヒーを飲む。
馬の上で飲むな、というツッコミが聞こえそうだが、村民がいないので誰も言わない。
夕方。
ようやく見えた、一軒家。
――のはずが。
レイは手綱を引いて止まった。
「……煙?」
家の煙突から、細い煙が上がっている。
留守を頼んだマーガレットは港にいる。
鶏と牛は、火を焚かない。
しかも、ドアが半開き。
納屋の扉も開いている。
「……おかしい」
レイは鞍から降り、剣に手を添えた。抜かない。
抜いた瞬間、相手を敵だと決める。彼はそういうのを嫌う。
納屋に目を向けた瞬間、さらにおかしさが増した。
「……増えている?」
納屋の横に、見覚えのない建物がくっついていた。
壁、屋根、煙突。
どう見ても鍛冶工房。
そして、そこから煙が出ている。
レイが一歩踏み出した、その時――
「お帰りなさーい!」
家の中から、元気すぎる声。
続いて、めっちゃ可愛いドワーフ娘が飛び出してきた。
黒髪ロングを束ね、目がきらきら。
なのに両手には、サイズ感がおかしい金槌。
可愛いのに、武装の圧がすごい。
「初めまして! マイ・ジョンソンです! お手伝い募集に応募して就職に来ました! よろしくお願いします!」
ぴしっと敬礼。
礼儀正しい。元気。天然の破壊力。
レイは固まった。
冷や汗が、じわっと出た。
「……してないのだが?」
「え? してましたよ? ほら!」
マイが差し出した紙には、ギルド様式の雇用書類。
そして――
剣聖レイ・バァフェットの署名。
レイは紙を見て、空を見て、もう一度紙を見た。
「……俺の字だ」
「ですよね!」
「……記憶がない」
「大丈夫です! 天然ですもんね!」
「俺が?」
「はい!」
レイは無言で、コーヒーを飲んだ。
世界は混迷。村も混迷。
そして剣聖の帰宅初日は、すでに混迷だった。
「……とりあえず、事情を聞こう」
「はい! まずはコーヒーです! 淹れてあります!」
「淹れたのか……」
「お帰りの一杯は大事です!」
村長の平穏な開発計画は、玄関で崩れた。
物語は、ここから本格的に騒がしくなる。




