本箱
おっと、今は黄昏れている場合ではない。気を取り直して、目的にしていた書籍が置かれた本箱の方を見る。背の高い本箱の一つを確認すると、床から天井まで続く本箱は、胸の高さくらいの中段にある小物入れの引き出しを境に、上下の二つの部分に分かれていた。
この上下を分ける小物入れが同じタイプの本箱の台数分あるから、一台の本箱をその上下に分けて別々にカウントすると、左右の壁の本箱4台全部で合計8つの上下に別れた小さな本箱が存在することになる。
上下に別れた小さな本箱には、お目当ての本を探しやすいようにだろうか、内部の本の背表紙が見えるように、どの本箱にも透き通った観音開きのガラス扉が付いていた。それぞれのガラス扉には、銅褐色の金属製の取っ手が付いている。
ガラス扉越しに中を覗くと、上段の本箱には単行本や文庫本サイズの書籍が詰まっている。その上段の小さな本箱は、蔵書のサイズに合わせた高さに調整された棚で仕切られていた。一方、下段の本箱には重量感のあるアルバムサイズの書籍が綺麗に並んでいた。
本のタイトルを確認すると、入り口から見て右側の壁の入り口に近い本箱は、神話の本ばかりだった。ギリシャ神話、エジプト神話、北欧神話、ゲルマン神話、ケルト神話など世界中の神話に関する本が集められていた。
同じ右側の壁の隣のもう一つの本箱には、歴史の本ばかりが置かれていた。世界の歴史という一般書に加えて、ドナウ・ヨーロッパ史、中央ユーラシア史というような特定の地域の専門書のようなものもあった。
その下段には大き目のサイズの写真集だろうか、古代の遺跡に関する資料が並んでいる。ここは考古学の資料のコーナーだろうか。そういう視点で見ると、一般的な歴史書だけでなく、文字の歴史、人類の起源というような書籍もその上段の本箱には収められていた。
振り返って、入り口から見て左側の壁の本箱を見ると、書籍の種類が一変した。ここは科学のコーナーだ。一般相対性理論、量子力学、半導体工学などの他、微分積分などの数学に関する書籍もある。工学部出身の彼が勉強した本だろうか。ただ、ここにも星座の歴史といった書籍もあり、先の歴史に関するコーナーとの共通点を感じさせる蔵書があった。
更にその隣の本箱は、言語に関するコーナーだった。英語が中心であったが、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ロシア語のタイトルの本とその辞書が並んでいた。通常の日英・英日、日独・独日辞典のように、日本語との間の翻訳ではなく、英英辞典や外国語間の辞書もあった。
ここにも言語のルーツという歴史に関する書籍が含まれており、背後の本箱との関連性を感じさせた。
間違いない。これがサイトのファイルに記載されていた参考資料だ。サイトに記載されていた冬のダイアモンドに対応する研究所毎に書籍が配置されている。
意を決して、観音開きのガラス扉を開けてみる。彼が手にしたであろう本を手に取るために、上段の書籍の一冊を取り出してみると驚いたことに、その本箱には奥行があり、取り出した本の後ろにはまた別な本があった。要は、上段の各棚は前後2列になっているのだ。見えている部分の倍の書籍がここにはあることがわかる。
これを全部読んでいるとしたら、もはや人間ではないと思える量だった。魔法使いとしてのいっちゃんの豊富な知識の理由が少しわかったような気がした。
手元に取り出した書籍の頁を開いてみると、ところどころに付箋が貼ってある頁があり、その頁の文章の一部には鉛筆で下線が引かれていたり、コメントが書き込まれている。まさに、これらの書籍は何かの研究のための資料だ。
最初に見た神話や歴史のコーナーの本箱の中では、エジプト神話やその歴史の本にたくさんの付箋がついていた。なかには、背表紙にピラミッドの写真が付いている外国の本もある。いっちゃんは古代エジプトに興味を持っていたのだろうか。
いずれにしろ、いっちゃんがサイトに遺したメッセージによると、この参考資料に基づいて作成された研究レポートがあるはずだ。なので、まずは全ての本箱の中身を確認し、研究レポートを探した。きっと、その研究レポートの中に貸金庫の暗証番号が記載されていると思った。
特に前後に別れて蔵書がある棚は、手前の本を前に引き出し、後方も確認した。しかしながら、全てが出版社から製本された書籍として販売されている本ばかりで、私的に纏められた研究レポートはどこにも見当たらなかった。
さて、この後、ここでどうしようかと考えていると、書斎に彼の母親がやってきて、「キッチンの方で、お茶でもどうですか?」と尋ねてきたので、そのご好意に甘えることとした。




