死別
そんな彼が突然亡くなった。
空気の澄んだ冬の夜空を眺めていると、いつもよりも無数の星が瞬いている気がする。宇宙には何億光年も離れた星があって、その中で人間の目に見える星は5000くらいなんだよと彼は言った。そして、人間が一生の内に出会う人の数も5000人くらい、だから昔から夜空を見上げて自分の伴侶はどこにいるんだろうと考えるのは、とても理に適っているんだよと彼は教えてくれた。
そのとき、彼が着ていたカジュアルなジャケットスーツの左襟には、流れ星のブローチが輝いていた。そう、楽しいことがずっと続くと思っていた。彼となら不安はなかった。魔法にかかって一生幸せに暮らすものだと思っていた。
良くないことがあっても、考え方次第。物事をマイナスに考えてはいけないと彼は言った。だけど、どん底に落ちるとはこのことだ。マイナスしかないことだって世の中にはあるんだって、言い返したかった。だけど、言い返す相手はもうここにはいない。
最初は二・三日程度、会社を休むつもりだった。だけど、ダメだった。昼も夜もなく想い出して辛くなった。ベッドに横になっても眠れないし、食べるということすら思いつかず、起きていても何も口にすることも出来なかった。ただ、衰弱した。一人暮らしで出口も見えない日々が続いていた頃、地方の実家から両親が迎えに来た。
都会から遠く離れた実家では、家族以外の人に会うこともなく、生活には困らなかったが、生きることへの執着が薄れた。いけないことだと理解していても、死んだ方がましだという気分が心を支配した。彼のいない世界で生きている意味はないと本当に思った。唯一、思いとどまった理由は、今まで育ててくれた両親に申し訳ない、ただそれだけだった。実家で暮らす可愛い妹の結婚話しにも影響するかもしれない。もはや、自分のために生きているのではなかった。私は意思のない抜け殻になった。
関係性の薄い人になればなるほど、新しい恋をすれば忘れられるとか、まだ若いのだから大丈夫という人に出会う。そういう他人事みたいな話を聞くと、その無責任な発言には正直苛立った。そういう人はきっと、彼のような人を見たことがないから、そう言えるのだと思った。
愛情には段階がある。それは、性愛、恋愛、敬愛、慈愛の段階。若者にありがちな動物的な愛情のレベルの性愛や、神様の前で誓ってゴールインする程度の恋愛ではなく、僕たちは相手の生き方・考え方をリスペクトする敬愛のレベルで愛し合おうね、家族ができたら見返りを求めない慈愛の心で相手を慈しみ合って幸せな毎日を過ごそうね、それが真実の愛だと思うと彼は言った。そんな人に、もう一生出会うことはない。
とても会社で仕事できる様子でもなかったので、両親とも相談し休職手続を申請することにした。会社の上司からは、いつまでも待っているよ、早く良くなってね、と優しい言葉をかけられたが、申し訳ないが、それが余計にプレッシャーになった。
長く休めば休むほど、帰りづらくなる。早く良くなりたいけど、大切な彼がいなくなったという事実が変わるはずもなく、毎日何も変わらない。そんな日々が続くと、本当にもう駄目だと思えてまた泣いた。
休職手続のために医師の診断書が必要とのことで、心療内科にも通った。症状に合わせて処方して貰った抗うつ剤を何種類か服用し、対処療法で何とか生きていくのが精一杯の毎日だった。
そんなとき、彼の両親から携帯に電話が入った。




