ディープ
16往復から1ヶ月。
晴れ渡る空の下、照りつける日光を必要以上に貪り喰らう黒色の学ランを羽織り、登り坂をだらだらと登る影が1つ。
蒼井だ。
この夏の暑さからか、やはり額には汗が現れて暑さに堪えている と周りに言いふらしている。
――休日登校?
――そ
――なんで?
――来れば分かるさ
そんなやり取りを自宅の電話で行い夏休みに学ランを引っ張り出したのはつい8分前。
余りの暑さに蒼井自身は30分も1時間も前だと認識してしまっているようだが、それでも変わらないのが8分前。家から30分の労働を行い漸く8分進めるのだ。
――苦しい
頭の中はその言葉で一杯だ。
昔、国語の授業で読んだ文章に「犬はやたらと暑いを連呼し、周囲をより一層暑くしないから良い」などと書かれていたが犬だってあの「ワン」に暑いの意味が籠もっているに違いない。
人間が抑えてもついつい心の中でボヤく「暑い」、「苦しい」を全身が寒さから身を守るための毛で覆われた犬に我慢出来る筈はない。
「むちゃくちゃな文だよ……」
言葉を放てば喉が渇くと言うのは分かりきっていたのだが、それでも勝手に上唇と下唇が離婚と再婚とを繰り返し言葉と言う子供を誕生させてしまう。
汗がまたもや頬を伝う。今日何回目か分からないそれに、同じく今日何回目か分からない汗を拭う作業を行うが……
――暑ィ
学ランの色は勿論黒。偶に例外で青や緑などがあるらしいがその類の明るい色ではなく蒼井の物は確かに黒。光の三原色にさえ裏切られ、本物を作られることのない“ディープ”この言葉が最も似合ってしまう色。
兎に角 熱を吸う色。
顔が焼けるように暑い。学ランで汗を拭った途端にとんでもない熱に襲われた。1人でボケを狙ったわけではないが……正直虚しい。
「校長め……蒸し焼きにしてやる」
そして、その“ディープ”が似合う色によってもたらされた“ディープ”な虚しさは真っ赤な怒りへと変わり、最近見つけた『夏に爽やか!ブルーテイル(煙草)』なる物を学校で吹かしているであろう校長にその矛先は、確かに研ぎ澄まされ向けられた。
―――
「ヘクシュンっ!―あ、ゲフッ!ゴフッ!?」
案の定 蒼井の予想通り薄荷のような煙を吹かしていた校長は学校の屋上で巨大なくしゃみを1つ。勿論煙を吸い込み、これまた巨大にむせかえってしまう。
「誰か噂してやがるなぁ、ったくイイ男は大変だよ」
軽口を叩き、くしゃみのショックで口から飛び出して行ってしまった煙草を踏みつけ消火する。
噂をしているのが蒼井だと知れば彼はどんな顔をするか、そんな事を思う者も事実を伝える者も居ない為、不幸中の幸い全ては“ディープ”に沈んで行った。
―――
「……付いた」
そして校長が2本目のブルーテイルに手を付け始めた頃。校門にぐったりと、しかしどこかにメリハリを持たせ佇む影が坂道と同様また1つ。
やはり蒼井だ。
「……来たか」
軽く微笑んで校長はブルーテイルの煙を吐き出す。
少々癖のある青い煙は上空へと滝を登る鯉を連想させ、やがて四散する。
「校長、一発殴る……」
蒼井のこの言葉、まさか数分後に実行されるとは校長も予想外で再びブルーテイルを飲み込む羽目になったとか。