恋水(なみだ)
「あ~……」
「仕方ないだろう、お前が勝手にやったんだ」
エプロンを付けて夕食に使った皿洗い。
いつも通りの作業なのに、いつも以上にダルい。
これじゃ医者いけねえよ……どうすんだ? 変な機械とか頭にはめられたら。
最近怪我した左手の小指に、洗剤が少々染みるが、今の彼にはそれより痛い現実があった。
アーシア、超能力、マンションからダイブした男……どれも非現実的過ぎて、誰にも相談出来そうにない。
恋有夜も、相談にこそのってはくれるだろうが、女の子にしては雑な性格だ。蒼井の求める、俗にいう“まともな”回答は期待できない。
(……あれ、結局まともな回答くれそうなヤツ知り合いにいたか?)
煙草大好きな変態、不良、不良、不良……
(俺の知り合いで常識人って白鳳しかいねえじゃん!?)
校長の吸う、煙草の煙が、くしゃみで四散した……気がする。
―――
一方で白鳳華蓮は、一向に面白くない。
恋有夜恋有夜と、想い人が別の女に夢中ならそれも当然か。
来る日も来る日も頬を膨らませていれば、嫉妬の1つも覚えてしまう。
今も、ノートのページに「蒼井」とギッシリ書き込んだところ………………蒼井の周りから“真の”常識人が消えて瞬間だった。
「明日、話し掛けてみようかな」
内気な華蓮には、大きな決断だった。
これで、何か変わるといいな。
そう決心して、華蓮はベッドに入った。
何も、変わっていないと信じて疑わない蒼井が、この“華蓮を悲しませている”という変化に気がつくまでもう少し――。
―――
休日登校。
「だから、なんでこんなクソ暑い日に限って学ラン強制登校なんだよ!」
「仕方ないだろ」
隣で涼しげに笑う恋有夜と対象的に、蒼井は汗ダラダラだ。
「お前は言いよな、スカートなら涼しいだろ?」
「なら穿くか?」
「いや、いい」
どうやら、蒼井はどう頑張っても恋有夜に一手先をとられるらしい。別に、これで「スカートが短いと言うのか……」と慌てふためく恋有夜が見たかったわけではないが、なにやら惜しい気分だ。
―――
そして、同じ休日登校日。白鳳華蓮は珍しくご機嫌。
電話で校長からこう聞いたのだ「蒼井と華蓮以外に声をかけていない」と。
これなら、久し振りにたくさん蒼井と話すことが出来る。
この間貸した本、きっと蒼井のペースならもう読破しているだろう。どんな感想が聴けるのか楽しみだ。
明るい笑顔で、制服に袖を通すと、華蓮は駆け足で外に飛び出した。
が、結果は違った。
「どうして……」
その隻眼には、蒼井の他にもう1人。恋有夜だ。
どうして……どうしてどうしてどうしてどうしてどうして――!!
「白……鳳?」
心配げに声をかける蒼井だが、その声は恐らく届いていない。
「なんで、恋有夜さんがいるんですか?」
絞り出したようなかすれた声で、漸く華蓮は言葉を紡いだ。
「む、蒼井に連絡があったからな。
花咲家に居候させて貰っている身として、手伝いに来ただけだ」
居候……同棲マデシテルノ?
華蓮の中で何かが壊れた。
眼帯をつけていない方の瞳からポロポロと涙が零れる。
「おい、マジでどうしたんだよ!?」
差し伸べた蒼井の腕を、華蓮の白い腕が弾き飛ばした。と、次の瞬間には、蒼井と反対の方向に駆け出していた。
なんで、なんで、なんで!
今の華蓮には、冷静な思考など無しに等しかった。