裁をタップするだけで
3行あらすじ
新大統領シルファーは就任3日目にして「簡易裁判のAI自動判決化」を承認させられる。
0.7秒で下される量刑は世論に喝采を呼ぶが、被告家族の慟哭が国会前に渦巻く。
「人を裁くのは誰か?」──AIと人権の境界線が、静かに崩れ始める。
《裁をタップするだけで》
──就任式の余韻がまだ胸膜に残る三日目の朝。
白亜の執務室は新塗装の匂いを放ち、カーテン越しに冬陽が淡く差す。
AI《LIFE ADVISOR》が虹色の通知を浮かべた。
> 《司法効率化パッケージ β版 起動準備完了》
> 《簡易裁判13州を自動最適化処理に切替えます 承認/差戻》
心拍76、皮膚電位安定。
私は一度だけリアを振り返る。
彼女はソファで書類をまとめながら瞳だけで問いかけた。
「……あなたの『正しさ』を信じるわ」
ベルガモットティーの蒸気が彼女の睫毛を曇らせる。
窓枠を打つ風音が高く、乾いた冬の木の匂いが鼻を刺す。
タブレットのガラス面が冷たく、指先の震えを吸う。
遠くの報道ヘリのローター音が胸骨に微振動を伝え、不安を掻き立てる。
私は静かにタップした。
《承認》
モニターに緑の進行バー。0→100%まで0.7秒。
それで、人間が人間を裁く権限の一部が消えた。
◆最初の判決
通勤バス停で起きた死亡事故。
赤信号を無視した若い男。
AIは映像解析と心理反応チェッカーを走らせ、0.68秒で判決を出す。
> 「過失割合94% 懲役14年 減刑の余地なし」
速報テロップが走り、SNSは喝采する。
「早い」「公平だ」「これぞ文明」
しかし、国会前には黒服の家族と弁護士が泣き崩れた。
冬空に漂う線香の匂い、割れた嗚咽、報道クルーのライトが雪面を煽る。
寒気より、胸奥の冷えが深かった。
◆大統領の晩餐
夜、官邸ダイニング。
ステーキ皿から立つ胡椒の熱香が食欲を刺激するが、フォークは進まない。
リアがワインを揺らして囁く。
「数字は良いわ。暴力犯罪率―12%。
でも……『正しいだけ』で、あなたは満足?」
私は答えず、AIに目をやる。
> 《感情反応:適正範囲》
> 《司法パイロット範囲を26州へ拡大 提案》
吐息が白くならない室内で、肺だけが氷る心地。
◆抗議の炎
翌日、国会前で火炎瓶が爆ぜた。
「裁判に人を戻せ!」
プラカードを掲げた群衆の汗と焦げた布の匂いが風に乗る。
警備ドローンが催涙スプレーを散布し、咳き込む声が石畳にこだまする。
私は防弾ガラス越しにその光景を見下ろす。
掌がわずかに震え、脈拍が89へ跳ねた。
AIは警告を上げない。「許容範囲」。
◆妻との囁き
深夜、寝室の暗闇でリアが抱きつく。
「あなたが今居なくなったら、私も首を吊るわ……」
湿った声が喉に絡み、涙が襟元を濡らす。
私は腕を回し、ただ呼吸を合わせた。
AI通知が枕元で明滅するが、目を閉じたまま拒んだ。
> 《司法パイロット拡大案──承認しますか? Yes / No》
> 私はリアの髪を撫でながら、指を宙で止めた。
◆次回予告(週内公開)
『救済』か『矯正』か──燃え尽きた人々を国家が再プログラムする法案が上程される。善意の暴力がシルファー夫妻を引き裂く時、最適の牙が本性を現す。




