死の大統領選Ⅰ──鉄仮面と涙
3行あらすじ
上院補欠選に出馬したアンドレイは、若き雄弁家ランシングとのテレビ討論で完敗。
背後で糸を引く軍人シュトラウスの存在が、〈AI VS 人間〉の対立を炎上させる。
翌朝、世界を揺るがす“訃報”が届き、選挙戦は予測不能の血肉劇へ――。
《死の大統領選Ⅰ──鉄仮面と涙》
──夜の議事堂は鉄とガラスの城。
照明に浮かぶ回廊を靴音が滑り、冷気が肺を刺す。
(私は本当に、ここに立つべきなのか?)
胸の奥のわずかな怯えを、AIバンドの心拍グラフが赤線で暴く。
廊下の突き当たり、控室のドアが静かに開く。
「シルファー候補、お時間です」
スタッフの声は緊張で震え、衣擦れの乾いた音が耳朶を打つ。
テレビ討論会本番五分前。
私はいつの間にか大統領選に出馬していた。
ただアプリをタップしていただけなのに。
不安と高揚が入り交じり、舌が乾いた。
AIが提示した『最適回答集』を網膜投影しながら、深呼吸し、歩を進めた。
◆第一回テレビ討論:鉄仮面の敗北
スポットライトが眩しく、会場の熱気が肌に絡みつく。
対面に立つのはシルヴェスター・ランシング、四十一歳。
汗ばむ額を隠さず、白い歯を見せるその笑顔が観客の拍手を誘った。
司会の合図で口火が切られる。
ランシングはノー原稿で感情を揺さぶる物語を語り、
私はAIプロンプトの冷徹な数値を並べる。
「国を守るのは計算じゃない、心だ!」
ランシングの拳が卓を叩く度、観客席が波打つ。
私は瞬きの回数すらAIに制御され、氷面のごとき表情。
討論終了。SNSは「ランシング圧勝」のタグで埋まった。
胸骨の奥が鈍く痛む。悔しさではなく、空虚。
出口へ向かう私を、海軍士官服の男が景色のように眺めていた。
◆シュトラウスとの初対峙
アレキサンダー・シュトラウス中佐。
海軍次世代空母計画の責任者にしてランシング陣営の参謀。
曹洞宗の鐘のように低い声が背後から落ちる。
「この男は、タスク管理アプリのAIに米軍の采配を任せようとしている危機意識皆無の民間人だ」
私がライフアドバイザー社を政府に推薦したのは随分前に一度だけ。それなのに、彼は常にそれで私を罵った。一番縁をつなげたい人材だったのに、知らずに逆鱗に触れていたのだ。軍の采配になど言質していなかったのに。病院などへの推薦を打診していたのを拡大解釈して潰しに来られたのだ。
「自分で経営もできないたかがコンサルタントが……えらそうに。私の友人の会社は、君のコンサルで潰れたが覚えているか?」
クリスマスカードを三億人に配る男の友人など、さすがにリサーチしていない! その頃から……私が彼を認知していない時期から嫌われていたのだ。シュトラウスの経営手腕はこの赤字経済の中で永年黒字だ。たしかに経営者としての腕はあるのだろう。ノルマンディの巨躯でハンサムで黄色人種の肌で青い瞳。異文化詰め合わせの資産家だ。名誉勲章をいくつももらっているような男に、民間からは太刀打ちできない。彼はロビー活動にも長けていて穴がないのだ。
私の代わりにAIが通知を弾き出す。
> 《討論評価:勝率14%/感情訴求不足》
> 《推奨:感情表出アルゴリズムα版 導入可否?》
掌が汗ばむ。『泣け』と言わんばかりの提案に、喉が詰まった。
◆深夜1:32──リアとの会話
ホテルの一室。カーテン越しの街灯が琥珀の線を壁に描く。
リアはタブレットで寄付推移を確認しつつ、私に紅茶を差し出す。
ベルガモットの蒸気が震える指を包む。
「負けたわね。でも数字はまだ死んでない」
私は黙って茶を啜る。苦みが舌に残る。
「あなたは『正しさ』で殴りすぎた。人は痛みで動くのよ」
彼女の言葉は鋭いが温かい。
胸の空隙に、小さな火が灯る。
AIが再び割り込む。
> 《感情表出アルゴリズム 適用推奨度92%》
リアが眉をひそめる。「泣き真似を学ぶ気?」
私は首を振った。「真似じゃない。私は――」
言葉が続かない。喉の奥で何かがこぼれそうになる。
◆翌朝──世界を揺らす訃報
枕元で端末が激しく震える。
ディスプレイに赤文字。
> 【速報】アレキサンダー・シュトラウス中佐 国外で滑落死
呼吸が止まる。
ニュース映像は山間の崖、白布で覆われた担架、消防隊員の無線。
パラシュート事故で杉の大木に抱きついて生き残るような男が? PJ時に右腕を失っても帰還した男が? 滑落死? 位置エネルギーなどで死ぬのかあの男が?
リアが呆然と呟く。
「ランシングは……支えを失ったわ」
AIは即座に計算を弾き直す。
> 《勝率63%→85%》
> 《第二回討論 72時間後/想定シナリオ更新》
脈拍が急上昇。胸に広がるのは勝機か、不安か。
窓の外で朝焼けが燃えるように赤い。
> 《感情表出アルゴリズムβ版 導入しますか? Yes / No》
> 私は画面を見つめ、指を静止させた――残り71:59:48。
◆次回予告
葬送の影を背負い、第二回討論会が迫る。『涙』を武器にするか、鉄仮面を貫くか──AIすら読めない感情の爆弾が炸裂する。