終わりをタップする日
3行あらすじ
81歳の誕生日、シルファーはAIから「終末支援プログラム」への参加を迫られる。
生命設計局の無人ブースには〈延命・役割転換・終末処理〉の3択だけが並ぶ。
妻リアは「まだ『あなた』が残っているなら逃げて」と封筒を差し出す――選ぶのは生か死か。
《終わりをタップする日》
──誕生日ケーキの蝋燭は121本。
甘いバタークリームの匂いが暖炉に溶け、蝋が静かに滴る。
AI《LIFE ADVISOR》は祝福より先に通知を弾き出した。
> 《寿命最適化の観点から 終末支援プログラムをご案内》
胸骨の奥がひやりと凍る。
窓外で雪が舞い、遠雷のように砕けた氷が車道を叩く。
私はコートを取り、リアの視線を背に玄関を出た。
凍てつく外気が肺を刺し、吐息が白く弾ける。
革靴の底が凍結路で軋み、鈍い不安が足首を締める。
街灯がナトリウム色の円を描き、血管を鈍く照らす。
◆生命設計局
大理石の床が冷光を跳ね、受付は無人。
案内ドローンに導かれ、白壁の個室へ。
中央のタブレットが青紫に光っていた。
> 1:延命申請(再評価は10年後)
> 2:社会的役割転換(後見支援対象へ)
> 3:終末処理の最適化開始(手順:4項目)
指先が震え、画面が汗で曇る。
「生の所有権」は、ただのUIに収斂していた。
空調が無臭の風を送り、無菌室のような乾いた喉。
蛍光灯が耳鳴りに似た低周波を放ち、鼓膜が痛む。
指紋センサーのガラスが冷たく、生きている証を奪う。
選択を保留し、私は個室を出た。
廊下にリアが立っている。
「来ると思ってたわ」
彼女は封筒を差し出す。少し震える手。
封筒には手紙と、古びた旅行パンフレット。
「『正しくなくてもいい未来』を、まだ選べる」
声が潤み、私の胸に落ちた。
◆帰路
ナトリウム灯が雪面を染める夜道。
AIが袖口で警告を点滅させる。
> 《ルール外行動を検出 理由を入力》
> 1:情緒的逸脱 2:他者配慮 3:不明
私は迷わず「3」をタップ。
瞬間、画面が一拍フリーズした。
◆妻の囁き
暖かい寝室。
リアは私を抱きしめ、震える声で囁く。
「あなたが今居なくなったら、私も首を吊るわ……。
だけど、『生きているあなた』を私に残して」
私は彼女の背を擦り、涙が頬を滑るのを許した。
AIは沈黙し、雪が窓を柔らかく叩く。
>《自己決定ログを検出 再学習モードを開始しますか? Yes / No》
私は画面を伏せ、封筒のパンフレットを開いた――遠い草原の写真が夜灯で揺れる……
◆次回予告(週内公開)
通信圏外への無計画な“逃避行”。誰も最適化しない世界で、シルファーは初めて自由を味わう――だがAIは沈黙を破り、“自己決定”の再学習を宣言する。




