第7話 仲間
「間違い、ありませんか?」イリュシアの声が微かに震えている。「自分の尾を噛む、蛇の意匠……本当に、そう見えたのですね?」
イリュシアの声が、微かに震えている。
「はい」ノアは力強く頷いた。「間違いありません。鈍く光る、銀色の……蛇の指輪でした」
あの、ぬらりとした不吉な輝き。
死の気配を纏うかのような、冷たい光。
忘れるはずがない。
「【邪教ウロボロス】……古くから存在する組織です」
彼女は一度目を伏せ、乱れた呼吸を整えるように、ゆっくりと息を吐いた。
そして再びノアを見た。
その瞳には苦悩と……それ以上に、強い決意が入り混じっている。
「彼らは、世界から失われたはずの禁忌の力――古代の強力な魔法の復活を目論んでいると……」
禁忌の魔法。
父さんが戦っていたという「悪意」とも、どこかで繋がっているのだろうか。
「王都周辺で近年起きている不可解な事件の背後にも、彼らの影があると言われています。誘拐、暗殺……目的のためなら手段を選ばない、危険な集団です」イリュシアの声に、一瞬、深い悲しみと、燃えるような憎悪の色がよぎった。まるで、決して忘れられない個人的な痛みを、心の奥底から呼び覚まされたかのように。「……本当に、許せない者たちです」
予想だにしなかった言葉の数々に、ノアは息を呑んだ。
ただの暗殺者ではない。
もっと大きな、底知れない闇が、すぐそこまで迫っている。
そんな感覚が、背筋をぞくりと這い上がった。
「でも……どうして、僕たちが……?」
疑問を口にせずにはいられなかった。
なぜ、辺境の村の宿屋の息子と、訪れたばかりの姫が、そんな危険な連中に狙われる?
「私にも、わかりません」イリュシア様は静かに首を振った。「ですが……理由はともあれ、私たちは狙われている。それが、あなたの未来視が示す事実なのでしょう」
彼女は再び、ふぅ、と長い息をついた。
恐怖や混乱を、無理やり押し込めているように見えた。
「ひとまず、今は生き残ることを考えましょう」
その声には、先ほどまでの動揺はほとんど感じられなかった。
凛とした、強い意志。
さすがは、姫様だ。切り替えが早い。
「未来視によれば、犯人は黒衣の男……ただ一人、でしたか?」
「はい。僕が見た限りでは一人でした」
「そうですか……」イリュシア様は顎に手を当て、思考を巡らせる。「内部に裏切り者がいる可能性が高い、と先ほどあなたは言いましたね。その線で考えるなら……」
問題は、どうやってその「内部の裏切り者」を見つけ出すかだ。
時間がない。
今夜、襲撃が起こるのだから。
「その……蛇の指輪。ウロボロスの指輪が、唯一の手がかりですよね」ノアは言った。「誰か、そういう指輪をしている人がいないか、探せませんか?」
「ええ。それが一番確実でしょう。ですが……」イリュシア様は眉をひそめる。「犯人も馬鹿ではありません。おそらく、普段から指輪が見えないように工夫しているはずです」
「工夫、ですか?」
「ええ。例えば……常に手袋をしているとか」
手袋。
言われてみれば、騎士の中には、常に革の手袋をしている者もいるかもしれない。
夏でも、だ。
礼装の一部として。
あるいは、武器を扱う上で。
侍女たちも手袋をつけている者がいるかもしれない。
「そもそも」ノアは、さらに厄介な可能性に思い至った。「僕たちに気づかれるのを恐れて、一時的に指輪を外している、なんてことは……?」
そうなったら、もうお手上げだ。
見た目だけでは、誰が犯人か、まったく判別がつかなくなる。
ノアの言葉に、イリュシアも難しい顔をした。
だが、そこで口を開いたのは、ノアの肩にいたフィーリアだった。
「あの、ノア様、イリュシア様」小さな声が響く。「そういう、特別な力の込められた指輪って、普通は簡単には外さないものですよ」
「え? どういうこと、フィーリア?」
「【邪教ウロボロス】がどんな組織かは私も詳しくは知りませんけど……」フィーリアは少し考え込むように宙を漂った。「一般的に、『契約』の証となるような魔法具は、常に身に着けていることに意味があるんです。そうすることで、組織との繋がりを保ったり、あるいは……特別な力を得られたりする場合が多いですから」
契約。力。
なるほど。
ただの所属を示すアクセサリーというだけではない、もっと深い意味があるのかもしれない。
「フィーリアの言う通りかもしれません」イリュシア様も頷いた。「邪教が用いるような禁忌の力であれば、なおさら何らかの『制約』――例えば、常に契約の証を身に着けること――が求められる可能性は高いでしょう。力を得るための代償、とでも言いましょうか」
つまり、犯人は今も、あの蛇の指輪を身に着けている可能性が高い、ということか。
だとしたら、まだ希望はある。
「問題は、どうやってそれを確かめるか、ですね」イリュシア様は再び考え込む。「一人一人、身体検査をするわけにもいきませんし……」
そんなことをすれば、警戒されるだけだ。
もし犯人が護衛の中にいるなら、逆上して、その場で襲い掛かってくるかもしれない。
何か、自然な形で、全員の手元を確認できる機会は……。
「……そうだ」ノアは閃いた。「夕食です!」
「夕食……?」
「はい! 今日は姫様を歓迎するために、母さんが宿の食堂で、ちょっとした宴席を用意するって言ってました! きっと、護衛の人たちや侍女さんたちも、何人かは一緒に……」
貴人の食事は、普通なら自室で取るのかもしれない。
だが、ここは辺境の村の小さな宿屋だ。
村人との交流を兼ねた、ささやかな歓迎会のような形になる可能性は高い。
母さんの張り切りようからしても、きっとそうだ。
「なるほど……」イリュシアもその可能性に思い至ったようだ。「確かに、食事の席ならば、手袋を外す機会もあるかもしれませんね」
「はい。そこで、注意深く観察すれば……もしかしたら、指輪が見えるかもしれない!」
だが、他に方法が思いつかない。
残された時間で、最も可能性のある手段だ。
「わかりました」イリュシア様は頷いた。その瞳には、覚悟を決めた光が宿っている。「その方法でいきましょう。夕食の席で、怪しい人物がいないか……探ってみましょう」
「僕も協力します!」
「ええ、頼りにしています、ノア」
イリュシアは微笑み、すっと右手を差し出した。
白く、形の良い手。
貴族の、それも姫君の手だ。
ノアは一瞬、戸惑った。
何かの間違いだろうか、と。
普通、貴族が、ましてや姫様が、宿屋の息子に握手を求めるなど、ありえないことだ。
イリュシアは、ノアの戸惑いを察したように、少しだけ悪戯っぽく目を細めた。
「本来、このようなことは…身分のある者として、すべきではないのかもしれませんね」彼女の声は静かだったが、そこには確かな決意が滲んでいた。「ですが、今は……些細なことです。私たちは、共にこの夜を生き延び、見えない敵に立ち向かう、対等の『仲間』なのですから。そうでしょう?」
対等の、仲間――。
その言葉が、ノアの胸に強く響いた。
身分も、立場も関係ない。ただ、共に運命に抗う者として、彼女はノアを認めてくれたのだ。
「どうか、あなたの力を貸してください。いいえ……共に、戦ってください、ノア」
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ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!
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