第6話 ウロボロス
「なぜ……」姫の口から声が漏れた。「それを……。どうして……あなたが……?」
イリュシアの唇が震えた。
顔から血の気が引き、空色の瞳が、目の前の少年――ノアを捉えて離さない。
「未来を見たんです」ノアは静かに言った。「今夜、あの部屋で、姫様と僕が殺される未来を見ました。血まみれで……あなたのペンダントが床に落ちていました」
だが、イリュシアの瞳にはまだ疑念の色が残る。
未来視や死の予言など、あまりにも非現実的なのだろう。
――どうすれば、信じてもらえるのか……。
ノアは、自分の肩に乗る妖精に目をやった。
「僕には……僕にしか見えない協力者がいるんです。フィーリア、頼む!」
ノアの声に応じ、彼の肩に淡い光が集まり始めた。
イリュシアは息を呑み、その神秘的な光景に釘付けになった。
光の粒子が渦を巻くように集まり、急速に形を成していく。
やがて光が収束し、そこに現れたのは――
透き通る羽を持つ、小さな少女だった。
銀色の髪が淡い光を放っている。
イリュシアは絶句し、僅かに後ずさった。
「妖精……? 本物の……?」
「はじめまして、イリュシア様」
可憐な声が、凛として響いた。
妖精――フィーリアは、イリュシアに向かって優雅に一礼する。
「私はフィーリア。この地に古くから棲まう者です」
イリュシアは言葉を失ったまま、目の前の奇跡を見つめる。
「そして、この方、ノア様は……」フィーリアはノアを誇らしげに見上げ、再びイリュシアに向き直った。「かつて世界を救った英雄、ラグナ様のご子息なのです」
「ラグナ……まさか……」イリュシアの声は、ほとんど息のようだった。
「はい」フィーリアは静かに頷いた。「ラグナ様は、私の……そしてこの泉の、大切な守り手でした。ですが……その力をもってしても、避けられぬ運命というものがある。彼は未来を憂い、ノア様に希望を託されたのです」
「あなたが見たという……未来……。それは、本当に……?」
声には、まだ疑いが滲む。
だが、先ほどまでの完全な拒絶とは違う。
「はい。本当です。でも、断片的なものなんです」ノアは正直に答えた。「突然、頭の中に映像が流れ込んできて……。自分が死ぬ感覚と、姫様が……。そして、あの黒い男……。どうして、とか、誰が、とかは……わからないんです」
イリュシアは、顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの揺らぎは消え、強い決意の色が宿っていた。
「わかりました」凛とした声が静かな雑木林に響く。「ノア、あなたの言葉を信じます」
その言葉に、ノアは息を呑んだ。
「ありがとうございます、姫様……!」
「ですが」イリュシアは続けた。声には鋭さが戻っている。「信じたからこそ、考えねばなりません。もし本当に襲撃があるのなら……一体、誰が?」
彼女の表情が険しくなり、美しい眉が寄せられた。
ノアが見たという未来視の情報を、頭の中で整理しているのかもしれない。
イリュシアは、まるで自分に言い聞かせるように。
あるいはノアに状況を整理して伝えるかのように、話し始めた。
「まず、襲撃は容易ではないはずです。宿の周囲は、アランを筆頭に腕利きの近衛騎士が固めています。外部からの侵入は、まず不可能と言っていいでしょう」
その声には、護衛に対する信頼が感じられた。
「それに、私自身も魔法の心得があります。王宮の学院では、それなりに優秀な成績を修めてきました。不意打ちでもない限り、並の賊や暗殺者に遅れを取ることはありません」
そこまで言うと、イリュシアはわずかに首を傾げ、ノアを見た。
「では、未来視で見たという犯人は、一体どうやって……?」
その問いかけに、ノアは意を決して口を開いた。
考えたくはない可能性だったが、避けては通れないだろう。
鉄壁の守護。
姫は不意打ちでなければ対応可能。
その瞬間、ノアの脳裏にひとつの推理が閃いた。
「あの……もしかしたら、ですけど……」
言い淀むノアに、イリュシアが「何でしょう?」と先を促す。
「内部に……その、手引きをする人がいるとしたら……可能なのではないでしょうか?」
ノアの言葉に、イリュシアは息を呑んだ。
彼女の瞳が一瞬、大きく見開かれ、信じられないというように揺れる。
信頼する護衛の中に裏切り者がいるかもしれないという可能性は、彼女にとって想像もしたくないことだったのだろう。
だが、その動揺は一瞬だった。
彼女はすぐに冷静さを取り戻すと、ふぅ、と長い息を吐き、ノアを真っ直ぐに見据えた。
「そうですね。考えたくはありませんが……あなたの言う通り、その可能性が一番高いのかもしれません」
その声は、わずかに震えていたが、事実を受け入れようとする強い意志が感じられた。
そして、イリュシアは少しだけ目を見張り、ノアに向かって言った。
「ノア、あなたは……ただの宿屋の息子ではないのですね。驚きました。そこまで考えが至るとは……鋭い指摘です」
思いがけない称賛の言葉に、ノアは少し面食らい、頬が熱くなるのを感じた。
「い、いえ、そんな……僕はただ、考えられる可能性を……」
「謙遜する必要はありません」イリュシアは静かに首を振った。「その慧眼、頼りにしています。ありがとうございます」
ノアは、前世でも褒められたことはなかった。
誰かに、感謝されることが、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。
「それで……」イリュシアは思考を切り替えるように言った。「もし内部に犯人がいるとしたら、特定しなければなりませんね。何か、未来視で見た、その黒衣の男について、他に覚えていることはありませんか? どんな些細なことでも構いません」
犯人の特徴……。
ノアは必死に未来視の光景を思い返した。
黒い服、剣、そして……手に光るものがあったはずだ。
「あ……!」ノアは思い出した。「指輪です! 犯人は、指輪をしていました!」
「指輪?」イリュシアの眉が動く。
記憶の断片を、必死に繋ぎ合わせようとする。
恐怖の中で見た一瞬の光景だ。
鮮明ではない。だが、あの不吉な印象だけは強く残っている。
「蛇だ……!」ノアは、はっとして声を上げた。「蛇の形をした指輪でした! 丸くなっていて……そう、自分の尻尾を、自分で噛んでいるような……そんな形の蛇です!」
言いながら、脳裏の映像が少しだけ鮮明になる。
あの、ぬらりとした不吉な光。
「ウロボロス……」
イリュシアが、ほとんど聞き取れないほどの小さな声で呟いた。
その顔から、さっと血の気が引くのが分かった。
「間違い、ありませんか?」イリュシアはの声が微かに震えている。「自分の尾を噛む、蛇の意匠……本当に、そう見えたのですね?」
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