第2話 騎士団長の壁、突破口は『不可視』の妖精
「姫様っ!」
声は、ノア自身でも驚くほど大きく、静まり返った広場に響き渡った。
一瞬、時が止まる。
次の瞬間、周囲がざわめき、好奇と怪訝の視線がノアへと突き刺さった。
金色の髪が揺れる。
姫様の澄み切った空色の瞳が、まっすぐにノアを捉えた。
その顔には驚きと……わずかな緊張の色。
ノアが一歩踏み出そうとしたときだった。
すっ、と騎士鎧の端正な男がノアの前に滑り込んできた。
「やあ。きみは誰? イリュシア様に何か御用かな?」
――イリュシア、それが姫の名前か。
口調は、どこまでも柔らかい。優しい。
だが、その微笑みの奥にある瞳は、氷のように冷たく、鋭い光を宿していた。
少しでも不審な動きを見せれば、この柔らかな物腰が一瞬で豹変し、容赦なく切り捨てられるだろう。
そんな無言の圧力が、ひしひしと伝わってきた。
「ノアと言います! この村の者です!」ノアは必死に声を絞り出した。「お願いします! 姫様に伝えたいことがあるんです!」
ノアの必死の訴えにも、騎士の表情は揺るがない。
瞳の奥の冷徹な光がわずかに強まる。
「私はアラン。姫付きの近衛騎士団長を務めている」彼は軽く会釈した。「残念だが、少年。イリュシア様に直接お会いいただくわけにはいかないのだ。保安上の理由というものがあってね。……理解してくれるかな?」
有無を言わせぬ拒絶。
(どうすれば……!)
焦りが渦巻く。
「もし、どうしても伝えねばならぬ緊急の用件であるならば、この私が代わりにうかがおう。内容によっては、判断の上、イリュシア様にお伝えすることもやぶさかではない」
未来視のことなど話せるはずがない。
狂人の戯言として一蹴されるだけだ。
だが、他に道はないのか……?
一縷の望みを託し、ノアは言葉を選んだ。
「実は……昨夜、不吉な夢を見たんです」どもりながら語る。「今夜、姫様の身に、良くないことが起こる……そんな嫌な夢で……。ただの夢だと言われれば、それまでなんですけど、どうしても気になってしまって……」
アランはわずかに眉を動かしたが、すぐに能面のような表情に戻る。
「なるほど。心配だろうが、案ずるな、ノア君」落ち着き払った声だった。「我々近衛騎士団がイリュシア様をお守りする。いかなる輩も指一本触れさせん。だから……安心して家に帰りなさい」
その声には、絶対的な自信が満ち溢れていた。
彼らにとって、ノアの言葉など、道端の石ころほどの意味も持たないのだろう。
村の少年が見たという、不確かな夢。
それよりも、己の剣と、鍛え上げられた騎士団の力の方が、よほど信頼に値する。
当然だ。
(違う! 夢じゃない! 本当に起こることなんだ!)
叫びを必死に飲み込む。
これ以上食い下がれば不審がられるだけだ。
アランの瞳がそれを物語っている。
(今は退くしかないか……)
奥歯を噛みしめる。
悔しさと無力感。
「……わかりました」ノアは努めて平静を装い、深く頭を下げた。「お騒がせして申し訳ありませんでした」
アランはわずかに頷くと、興味を失ったように視線を外した。
その背中の向こうで、姫様が何か言いたげにこちらを見ている気がしたが、確かめる余裕はなかった。
ノアは踵を返し、逃げるようにその場を離れた。
背中に突き刺さる周囲の視線が痛い。
肩に乗ったフィーリアが、そっとノアの頬に触れた。温かい。
「仕方ありませんよ、ノア様。でも、きっと何か、他に手があるはずです」
「……ありがとう、フィーリア」ノアは力なく呟いた。
足取り重く、見慣れた我が家――【陽だまり亭】の看板が見えてくる。
中へ入ると、母のアメリが非常に忙しそうに立ち働いていた。
特別な料理の匂いが漂う。
「あら、ノア。おかえりなさい」
「……母さん、なんだか今日はすごく大変そうだね」
「そうなのよ! 聞いて驚きなさい!」母は興奮して声を弾ませた。「なんと! 今晩、姫様御一行が、うちに泊まってくださることになったのよ!」
――ドクンッ!
心臓が嫌な音を立てた。
全身の血が冷える。
「豊穣祭の関係で、うちが選ばれたの! 急いで奥の一番いいお部屋、完璧に準備しないと!」
奥の、一番いい部屋。
――瞬間。ノアの脳裏に、あの忌まわしい光景が蘇る。
豪華な客室。
血の匂い。
隣で倒れる姫とリンゴのペンダント。
そして黒衣の男――。
「――っ!!」
息ができない。
壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返す。
(間違いない……! 未来視の場所は……自分の家だったんだ……!!)
運命は、確実にノアたちを死の舞台へと誘っている。
今夜、この家で。
「まあ、ノア!? 本当にどうしたの? 顔、真っ青じゃない!」と母が駆け寄ってくる。
「大丈夫……。ちょっと、立ちくらみがしただけだから。部屋で少し休むよ」
ノアはそれだけ言うと、母の制止を振り切り、階段を駆け上がった。
自室に転がり込むと、ドアに背をもたれてずるずると座り込む。
母の言葉と、未来視の光景が頭の中で混ざり合う。
どうすればいい? と考えるが、全く見当がつかない。
「僕ひとりじゃ、もう、無理だ……」
ノアは力なく呻いた。
これほどの無力感を味わったのは、前世で病床に伏していた時以来かもしれなかった。
その時、肩の上で小さな声がした。
「ノア様……?」心配そうに、フィーリアがノアの顔を覗き込んでいる。「あの、ノア様はひとりじゃありません。私は、ずっとノア様のそばにいますよ! なにもできない、役立たずかもしれませんけど……」
健気な、しかし頼りないその言葉。
ノアは、その声に促されるように、ぼんやりとフィーリアに視線を向けた。
そうだ、彼女はずっとそばにいてくれた。
泉からここまで、ずっと……。
(……あれ?)
ふと、ノアの思考に小さな棘が引っかかった。
広場で、アランと話した時。
家で、母さんと話した時。
二人とも、ノアだけを見ていた。
ノアの言葉だけを聞いていた。
すぐそばにいるフィーリアの存在には、まるで気づいていないかのように……。
(そんな……まさか……)
ノアは自分の肩を改めて見た。
そこには、確かに小さな妖精がいる。
ノアにははっきりと見えている。
今まで、他の人にも同じように見えていると、何の疑いもなく信じていた。
でも、もし。
万が一。
(見えて……ない……のか……?)
その可能性に思い至った瞬間、ノアの心臓が大きく跳ねた。
血が、急速に頭に上るような感覚。
もし、本当にそうなら?
フィーリアの姿が、ノア以外の人間には認識できないのだとしたら?
アランの警備? 騎士たちの目? 部屋への侵入?
それらは、もはや障害ですらなくなる……?
「……っ!」
ノアは息を呑んだ。
目の前が、クラクラするような感覚。
それは絶望からくる目眩とは違う。
信じられないような可能性が目の前に開けたことによる、興奮と混乱。
「そうか……」
震える唇から、声が漏れた。
確信とまではいかない。
だが、もしこれが真実なら、道は開けるかもしれないという、強い予感が胸を打つ。
「……そういうこと、なのか……?」
ノアは、もう一度、確かめるようにフィーリアを見つめた。
小さな妖精は、ただ心配そうにノアを見返している。
もし本当に他の人に見えていないのなら、彼女はノアにとって、ただの同行者ではない。
姫を警護する鉄壁の守りをすり抜けるための、唯一無二の「鍵」になるかもしれないのだ。
(これしかない……! この可能性に賭けるしかない!)
ノアの中で、迷いは確信へと変わった。
やるべきことは見えた。
あとは、実行するだけだ。
ノアは、肩の上の小さな協力者に向かって、強く、そして決意を込めて呼びかけた。
「フィーリア! 君の力を貸してくれ!」
カクヨムで新作書いてます!
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本作を楽しんでいただける読者の方におすすめです!!
ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!
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