第11話 姫様を、守りたいんだ。僕が
「アラン、今夜、私はこの少年と一緒に寝ます」
凛とした姫の言葉は、静かな夜の空気に杭を打ち込むようだった。
「ひ、姫様!?」アランの声が裏返る。普段の冷静さはどこにもない。「何を仰せられますか! このような小僧と二人きりなど! 賊がいつまた現れるか分かりません! 私がお側を離れるわけにはまいりません!」
必死だ。
姫の身を案じているように聞こえるが、その目は明らかに焦っていた。
姫は動じなかった。
ただ静かに、しかし有無を言わせぬ強い眼差しでアランを見据える。
「騎士団長、あなたの忠誠心は疑っていません」声は平坦。感情が乗っていない。「ですが……今夜の私の身の安全は、この少年ノアに託します」
「そ、そのような無茶な……!」アランはまだ食い下がろうとする。
「異論は許しません」
氷のように冷たい一言。
その絶対的な響きに、アランは言葉を失い、ただ立ち尽くした。
姫はアランに背を向け、僕に向き直る。
「行きましょう、ノア」
その瞳には確かな信頼の色があった。
「は、はい……!」
ノアは頷き、姫と共に宿の中へと戻った。
背後でアランがどんな顔をしていたか、振り返る余裕はなかった。
『ノア様、姫様、ご無事で何よりです。さっきは、本当に怖かったです』
不意に、肩の上で小さな、震える声がした。フィーリアだ。
彼女はいつもの元気さはなく、心細そうにノアの首筋に寄り添っている。
『ああ、ありがとうフィーリア。まだ安心はできないけどね……』
ノアは警戒を解かずに、心の中で短く応じた。
今はフィーリアを安心させる言葉すら、うまく出てこない。
『はい……。でも、ノア様がいればきっと大丈夫です!』
フィーリアは、それでも健気に、ノアへの絶対的な信頼を囁いた。
その純粋さが、少しだけノアの強張った心を和らげた。
『そうだといいんだけど』
ノアは思考を切り替え、隣を歩く姫に声をかけた。
「姫様、すみません。これからどうするか、母に一言伝えても良いですか。さっきの襲撃で、きっと心配していると思うので」
母を一人で危険な目に遭わせるわけにはいかない。
今夜のことを話しておかなければならない。
「ええ、もちろんです」姫は静かに頷いた。「私も、お母様にご挨拶をしなければなりません。お世話になりますし、先ほどの騒動のお見舞いも兼ねて」
その心遣いに、ノアは少しだけ心が和むのを感じた。
姫は高貴な身分でありながら、宿屋の女主人である母を気遣ってくれている。
二人は階段へは向かわず、厨房へと足を向けた。
食堂の前を通り過ぎる際、扉の隙間から中の惨状がわずかに見えた。
ひっくり返ったテーブル。
床に散らばる食器の破片。
……鼻をつく鉄錆のような匂いが、戦闘の激しさを物語っている。
厨房の扉を開けると、幸いにもこちらは直接的な被害は免れたようだった。
母――アメリは、壁際の椅子に力なく座り込んでいた。
顔は青ざめ、膝の上で固く握られた手は、まだ小刻みに震えている。
襲撃の恐怖から、まだ立ち直れていないのだろう。
「母さん……」
ノアの声に、アメリがはっと顔を上げた。
ノアと、隣に立つ姫の姿を認めると、その目に涙がみるみるうちに溢れ出す。
「ノア! それに……姫様まで! ご無事で……! ああ、よかった……本当に……!」
アメリは立ち上がり、ふらつく足取りで駆け寄ると、ノアに強く抱きついた。
その身体も震えている。
「僕たちは大丈夫だよ。母さんこそ、怪我はない?」ノアは母の背中をさすった。
「私は平気……ただ、怖くて……」アメリは涙を拭い、姫に向き直って慌てて頭を下げた。「申し訳ございません、姫様、このような姿を……」
「お気になさらないでください」姫は穏やかな声で言った。「大変な時に、宿を提供していただき感謝しています。それと……お母様にお伝えしたいことがございます」
アメリが、不安げな表情で二人を見返す。
ノアは意を決し、母の目を真っ直ぐに見据えた。
「母さん。今夜、僕は姫様の部屋に行くことにした」
「……え?」アメリの動きが止まる。
「姫様を、守りたいんだ。僕が」
「何を言っているの!?」アメリの声が裏返る。「危険すぎるわ! 絶対にダメ! ノアがいたって、助けにならない。そういうのは、騎士の人に任せておけばいいの!」
「お母様」姫が静かに、しかし強い意志で割って入った。「どうか、お許しいただきたいのです。今夜、私には……このノアの力が必要なのです」
「力……? この子の……?」アメリは信じられないというようにノアを見た。
「はい」姫は迷いなく頷く。「彼は、ただの少年ではありません。私には、彼が必要です」
「ですが、姫様! この子はまだ子供なんです!」アメリは、なおも必死に訴える。「お願いです、ノアを、安全な場所へ避難させてください」
母の必死な懇願に、ノアは胸が締め付けられる思いだった。
心配をかけていることは分かっている。
それでも、言わなければならないことがあった。
「母さん、聞いてほしい」ノアは母の両手をしっかりと握った。その手はまだ冷たく震えている。「僕には……未来が見えたんだ」
「未来……?」アメリの瞳に、困惑の色が浮かぶ。
「今夜、この宿で、僕と姫様が殺される未来だ」
はっきりと告げた。
脳裏に焼き付いた、あの忌まわしい光景を思い出しながら。
「そんな……!」アメリは息を呑み、顔面が蒼白になった。「それなら尚更よ! 今すぐここから逃げないと! 私が何とかするから、早く!」
母がパニックになりかけるのを、ノアは落ち着かせようと言葉を続けた。
「逃げても、きっと無駄だと思う」ノアは静かに、しかし強い意志を込めて言った。「相手は、僕たちがどこへ行っても追ってくるような連中かもしれない。それに……」
ノアは言葉を切った。
心に浮かぶのは、父の姿。
そして、前世で何もできなかった自分の姿。
「それに、父さんだって、きっと逃げずに戦ったはずだ。僕もそうしたい。未来が見えたからこそ、ただ逃げるんじゃなくて、立ち向かいたいんだ。この手で、運命を変えたい!」
今度こそ、守りたいものを、この手で守り抜くのだ。
その決意が、ノアの瞳に強く宿っていた。
その瞳を見て、アメリは再び息を呑んだ。
夫――ラグナの面影を、そこに重ねているのかもしれない。
彼女はふと視線を彷徨わせ、独り言のように呟いた。
「……あの人も……そうだった……。たった一人で……守ろうとして……」
母は、ゆっくりと顔を上げた。
潤んだ瞳でノアと姫を交互に見つめる。
複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。
未来を知る息子の言葉。
姫の存在。
そして亡き夫の生き様――それら全てを受け止めようとしているようだった。
やがて、深く、重い息を吐き、彼女は覚悟を決めた。
「……わかりました」声はまだ硬かったが、そこには確かな意志が宿っていた。「姫様、どうか、この子を……」
「はい。必ず、彼と共に生きて戻ります」
姫は力強く、アメリの不安を打ち消すように答えた。
アメリは、最後にノアに向き直った。
その目には、母としての切ない願いが痛いほど込められている。
「ノア……必ず、無事でいてね。お願いだから」
「うん。行ってくる」
力強く頷き返し、ノアは姫と共に厨房を後にした。
決戦の舞台となる二階へ。
母の祈りを背に受けながら、ノアは階段を一歩、また一歩と上り始めた。
ぎしり、と古びた木の階段が軋む音が、やけに大きく響く。
隣を進む姫の横顔にも、緊張の色が浮かんでいる。
二階の廊下にたどり着く。
姫の部屋は、突き当たりの角部屋だ。
そこへ向かうには、一度、廊下の角を曲がらなければならない。
息を潜め、ノアは先に角からそっと廊下の奥を覗き込んだ。
――そこに、人影があった。
姫の部屋の、重厚な扉の前。
壁に背をもたせかけるようにして、一人の男が静かに立っている。
見間違えるはずもない。
近衛騎士団長――アランだ。
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ぜひ第1話だけでも読んでみてください!!
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