井97 オフ(炉)会
宍戸家の晩餐の匂いが、どこからともなく漂ってくる。
赤城衣埜莉は、その芳しい香りには気を取られず、ただ居心地が悪そうに何度も座り直していた。
今日丸1日、お互いのリクエストを募りながら、永久のディーヴァの伝説回を見直してきた2人だったが、
さすがに、そろそろ疲れが見えてきて、
特典映像に入っている当時の49.5話を見たところで「おしまいにしましょうか?」と、宍戸さやかが言ってきた。
衣埜莉は、にこやかな顔をしながら頷き……、実は心の内で少し焦りを覚え始めていた。
………パンプロの規約を破ることになるのは承知の上で………… さっき御手洗いに行ってみたんだけど……。
なんと、ここ……、全部、和風なのよね……。
こんなお金持ちなのに、そんなのあり得る??まあ、確かに外観は純日本家屋だったけどさ、中は結構洋間も多いじゃない……。なんで今さら和風なのよ………?
普段、盗撮を警戒しているアイドルのわたしとしては……、(まあ、宍戸さんの家、セキュリティ凄そうだけどさ、)……和風はなんか無防備すぎて、出せないのよね………。そう、これは気持ちの問題……。
だいたい、今時和風なんて……わたし、正直、やり方もよくわからないわよ……。
あーー、出来ないとわかったら、余計行きたくなってきちゃったじゃない。……どうしよう……。
衣埜莉は、キョロキョロと辺りを見回し、……ここ旅館みたいに広いし、どこかに地図ないかしら?……他に御手洗いないの?とあちこちの壁を見て回っていた。
「なにか探し物?」と、宍戸さやかが聞いてくる。
「あ、いえ、……宍戸さんのおうちって、ホント広いのね。地図とかなくて迷ったりしないの?」と衣埜莉が答える。その額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
「あら、赤城さん、もしかして暑い?……わたしもちょっと暑いかも。ここらへん、暖房が効きすぎるのよね……。そうだ!まだ少し早いけど、お風呂に入らない?丁度ここからすぐそこよ。汗を流しちゃいましょ?
……わたしもさ、ディーヴァをこんなに連続で観たのは久々だったし、汗かいちゃったわ。さ、早く行きましょ!」
と、さやかは衣埜莉の返事も聞かずに、彼女の手を引っ張ると、もう片方の手でスマホを掴み「今から友達とお風呂に入るから、着替えを準備しておいて!サイズはわたしと同じでいいわ。一番かわいいのにしてね。
あ!あと、脱衣所の入り口には見張りを立てておくこと。……わたし達が出るまで、このブロックは封鎖しなさい!」
………宍戸さんて、内弁慶……。家だと身内に対して言葉が厳しくなるタイプね……。ちょっと親近感………。
衣埜莉は、さやかに手を引っ張られながら、通り過ぎる御手洗いのマークの付いた扉を見送っていた。その入り口のところでは、清掃員風の初老の男性がバケツを持って作業していて、
さやかの顔を見ると、深々とお辞儀をしてきた。
……まずい、行き損ねた……。衣埜莉は、大浴場の方に、備え付けの御手洗いがあることを期待しながら、さやかに手を引かれるまま、温泉施設のような、大きな入り口をくぐっていった。
アロエに似た巨大な植物の鉢に挟まれた、その入り口には、スーツ姿の若い女性が立っていて、インカムに向かって何かを呟きながら、鋭い眼光を光らせている。
さやかは、その存在を無視するように、横を素通りしていったが、衣埜莉はぺこりと会釈をして、暖簾のかかった入り口をくぐっていった。
頭上を、ホテルの待合室のような巨大なファンが回っている。
………宍戸さやかは……、簀の子が敷かれた床の上で、こちらを見て微笑むと、
襟まできちんと締めていたボタンを、小指を立てながら一つ一つ外し始めた。
そして、スポーツタイプの配管工ブラザーズを躊躇なく捲り上げると……、ささやかなさやかちゃんをつんと立てながら肌色の上半身を露出した。
思わず衣埜莉は目を逸らしたが、誘惑に負けて、もう一度視線を戻した。
……コーデュロイのプリンセスカート8DXが、ぱさりと、さやかの足元に落ちる。
さやかは、腰上まで履いた、厚手の白いストッキングをストリーキングに変化させながら、爽やかなさやかちゃんらしい、すじの通った真っ直ぐな気持ちを、隠すことなく衣埜莉に見せてくれた。
衣埜莉は……、
……国語算数〇〇社会ちゃんの玩具売場に無造作に転がされた、お着替中に放置されたビニール人形を見た時のように、恥ずかしいものを見せられた気分になって、再び目を逸らしたが、
……鼻歌を唄いながら、先に扉を横滑りさせ、大浴場に入っていった宍戸さやかの、光沢のあるシリコン製の肌色の後ろ姿を見て、
自分もブラウスのボタンに手をかけていた。
かっぽーーーーん……………。
湯気に包まれた室内。
広く、壁の遠い空間は、換気された外気を絶えず循環させていて、前が見えなくなるほどではない。
衣埜莉は身体の中心線で、閉じられた宗教においての敬虔な少女の祈りを、その信仰を隠すことなく、隙間なくぴったりと合わせて見せ、
……聖典のページに落とした2つの涙の痕を、開いた章の上で薄ピンク色に滲ませながら、
リボンのない栗色に近い髪の毛を背中に垂らし、静かに歩いていた。
さやかと衣埜莉は、お互いのユグドラシルバリアを解除した無防備な姿を見て、急に恥ずかしくなって黙ってしまった。
だが衣埜莉は、それよりも、なによりも……ブルっと寒気に似た感覚が、背中を走り、首すじがひきつったようにピクッとした後、……自分のお腹がわかるくらいに膨れていないかを気にしながら、さやかから距離を置いて、大きな湯船の方へ向かっていった。
髪を上で畳み、足先からそっと、熱いお湯に身体を慣らしていく。
ゆっくりと肩まで浸かっていくと、丁度向かい合わせの反対側の位置で、さやかもお湯に浸かっているところが見えた。
温泉のように広く張られたお湯。だが湯質はさらさらで、透明度の高いものだった。
衣埜莉は脚を伸ばさずに、脚を畳むようにして、湯の中にしゃがみ込み、お尻を床から浮かせたまま、浮力で身体全体を揺らしていた。
宍戸さやかは、
対角線上に座るクラスメートの赤城衣埜莉の白い姿をじっと見つめながら……、いつも一人でお風呂に入る時と同じことを始めていた。
……小さい頃、彼女の母かぐやと一緒に入っていた時からの習慣。母かぐやが宍戸家に嫁ぐ前から、この場所で、支配欲を満たす為に行っていた儀式。
この習わしは娘にも受け継がれ、宍戸家の湯には毎日のようにそれが注がれていた。
赤城さん……ホント可愛いわね。だからね……、あなたには、特別にわたしのお風呂を使わせてあげているのよ。
さやかは力を抜くと、お湯の中に、母から教わった宍戸の秘湯を注ぎ入れていった。
それと同時に、衣埜莉も限界を迎え、湯の中に、伝説のスーパーアイドル天埜衣巫のファーストライブの放映を開始していた。
身体の前方のお湯の色が変わるのを見て、衣埜莉は、パタパタと手のひらで周囲を撹拌する。
さやかは、まだ身体の力を抜きながら、遠くにいるクラスメートの美少女に向けて、「お湯、気持ちいい?」と大きな声で聞いた。
「う、うん!」と衣埜莉が若干声を裏返させながら答える。
少女達は海の上で、重い羅針盤の矢印をお互いに向けて、
やがて、オズの国へと続く黄色いレンガの路を前方に開き、見つめ合うと、その意味も知らずに、恥ずかしそうに微笑み合った。
全てを終えると、魂が抜けたように2人の少女は、のぼせた顔を赤くして、「気持ちいいね……」「疲れが取れるね……」と独り言のように感想を言い合い、ざばぁっと、ほぼ同時に立ち上がった。
何かの感情を共有したような気のする2人は、お風呂の中央に向かって、脚を取られながら歩み寄っていき、
そのまま、濡れた身体を吸い付けるように抱き合いそうになって、……慌ててお互いにそっぽを向いた。
「出よっか……」「……うん。」
2人の少女は急いで脱衣所に戻り、用意されていたバスタオルで身体を拭くと、
下ろし立てのお揃いの紺色のワンピースに袖を通した。
そして、鏡の前でお互いの髪を乾かすと、無言で手を繋いで、さやかの部屋に向かった。
「わたし、あなたのこと気に入っちゃった。」と、さやかが手を繋いだまま正面を向いて言う。
「わたしの好きなものを共有してもいいくらい。」
それを聞いた衣埜莉は、不思議そうな顔をしてさやかの横顔を見つめた。
「……赤城さん、わたしね、……ペットがいるんだけど、……今度その子を連れてきたら、一緒に遊ばせてあげよっか?2人で撫で撫でしたりしたら、きっとすんごく喜ぶと思うんだ。」
「え?……いいよ。わたし、動物そんな好きじゃないし。それよりもディーヴァの物をもっと見せて?」と衣埜莉が言う。
一瞬、さやかの顔がムッとしたように見えたが、すぐに笑顔になり、繋いでいた手を放すと「そうだよね?ペットの話は忘れて。じゃあ、これからわたしの部屋で、非売品レーヴァテインステッキの御披露目会を開きまーす!」と言って跳び跳ねた。
「待ってました!」
「ディナーももうすぐよ。わたしと赤城さんだけで、別室で食べていいってことになってるから遠慮しないでね?」
「わたし、ご家族の方に挨拶しなくていいの?」
「いいの、いいの。お母さんもお兄ちゃんも、会っても面白くないわよ。」
「……そういう問題かしら……。」
さやかは、自分の部屋に衣埜莉を通し、窓際の戸棚に走っていった。
「ご飯の後に撮影会しましょ。その時にこれと一緒に写真を撮らせてあげる!」
さやかは、棚を開けて取り出した非売品レーヴァテインステッキを、衣埜莉に差し出し「触っていいよ?」と言った。
「すごい………。わたしが見たことあるやつと、……全然違う……。」と衣埜莉が驚きながらステッキを受け取る。
「先端を触ってみて。」とさやかが得意気に言う。
「こう?」「違う、違う。下にスライドさせるの。」「え。あ、こうか。あれ、でも固いよ。壊れちゃわない?」
「大丈夫。もっと思いっきり下にさげて。」そう言うとさやかは、衣埜莉の手の上から自分の手のひらを被せ、
一気にステッキの先端部を下にずらした。
「……うそ……、こうなってるんだ…。」と、衣埜莉が興奮で顔を赤くしながら言う。
「凄いでしょ?その部分、スベスベしてて、触ると気持ちいいよ。あ、でもあんまり触り過ぎないでね?あと、触った後はティッシュで綺麗に拭いてね。指紋が残るから。」
衣埜莉は、光沢のある先端部に自分の顔を写しながら、「ヴィゾーヴニルの羽根はどうやって出すの?」と聞いた。
「実は赤城さんが来る前に、一回出しちゃったのよねえ……。回復するまでは無理かなあ…」と言ってクスクスと笑った。
「え?何よそれ?十字展開もうしちゃったってこと?えー、わたしがいる時にしてよ~?」
「……でもね?赤城さんが来たら、もう一回出来そうになってきたかも……可愛いから世界樹のエナジーが充電されてきました!」
「え?なあに?急に。」(まあ、わたしは可愛いけど。)
「いくよ!サザンクロース!!」衣埜莉に持たせたまま、さやかがステッキから飛び出した赤いリング部分を指の腹でくるくると回し、下に向かってギュッとスライドさせると、そのままプラスチックのボタンを強く押し込んだ。
……ピュッと高い音がして、白い羽根が飛び出してくる。
「何これ?かわい~」と衣埜莉が可笑しそうに笑う。
「可愛いよね、これ。……さ、おしまい。ようやく見れてスッキリした?」
「うん、話に聞いてから、これずっと見てみたかったの。宍戸さんありがと。わたしの為に出してくれて。……もうしまって大丈夫だよ。」
さやかはレーヴァテインステッキをしまうと、……思わず衣埜莉のことをギュッと抱き締めていた。
「アハハ、なあに、宍戸さん、くすぐったいよ?」
………みんな、わたしの可愛さにイチコロなのよね……。ああお腹空いた……。と衣埜莉は考えて、まあ、宍戸さんも可愛いわよね。
……宍戸さん、ホントにアイドルやるのかしら?そうしたらわたしのライバルになるかもね……と少し、恐ろしさを感じてしまう天埜衣巫でもあった。
次回、『パジャマで濃い~話』




