井92 秘密のお茶会
今日のお茶会に合わせて、如月ひみこは、おろしたてのミルクホワイトのワンピースを着て、緊張した面持ちで鏡の前に立っていた。
少しウェーブのかかった長い髪を腰の下まで垂らし、レースで編んだ白薔薇のカチューシャの位置を、少し前にずらしたり、後ろに戻したりを繰り返す。
ひみこのか細い首を覆うのは、細かいレースが付いた固い襟。
上半身には、縦にドレープの入った前掛けのようなデザインの胸宛てが付いていて、その中央には羽の付いた真珠色のボタンが3個並んでいた。さらに、その丸い胸宛ての外周には、ふわりとしたレースが織り込まれていて、全体的にボリュームのあるシルエットになっている。
それは、ひみこの膨らみのない円筒型の胴体を、さも女性らしい曲線があるように見せかけてくれる効果があった。
分厚い生地で出来た袖は、かさ増しをしていない肩の縫製からゆったりと波打ちながら下にひろがり、
空洞の中で、所々、細い棒のような腕の形を浮き出させている。
ハイウェストの切り返しから始まる、不規則な緩いドレープ。長いスカート部分は優しく、……それでいてフォーマルに折り目正しくひろがっていて、
ひみこの白く輝くすねを、少しだけ除かせていた。
そこに短い靴下を、わざと段々になるように弛ませて履く。
最後に履いた白い靴は、先の部分だけが濃い目のグレーに色分けされていて、今日のひみこの全身白のコーデの中で、髪の毛と靴先のみを黒く浮かび上がらせていた。
ひみこは、親指の第一間接まで隠した袖から覗かせた手を、耳元へ持っていき、パール加工の施された小花のイヤリングを、耳たぶに挟んだ。
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……いつか聞いた女子大生達の会話が耳元に甦る。
「もう済ませた?」「うん、めっちゃ怖かった。」「痛かった?」「……うんん、上手にやってもらったから大丈夫だった……」「血、出た?」
「うん。出た。でもね……凄く可愛いって言ってもらえたよ。すぐ終わるからって言われて。私、怖くて目を閉じてたの。そしたらクリームを塗ってもらって。」
「感じなかった?」「うん、ちょっとだけ感じたかも。でもほとんど感じなかった。」
「ふうん。痛くなくなるのなら私もクリーム塗ってもらおっかな……」「ホントにあっという間だったよ。されたかな、と思ったら、……もう終わってた。」
「そんなに早く終わるものなの?」「うん、あっと言う間だった。ピ〇スって想像してたよりも痛くなかった……。」
私、そんな安易に自分の身体を傷付けるなんて、絶対、嫌……。
ひみこは、微かに産毛の生えた、自分の耳たぶをそっと触り、斜めになったイヤリングをもう一度直した。
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……結局、私ってば一度も試飲は出来なかったのよね……。私の意気地無し……。
ひみこは、スカートの裾を引っ張るようにして、しわを直した。
今日はインナーの替わりに、着物用の裾よけを腰に巻いている。
朝一で御手洗いに行こうかとも思ったが……、いざ本番になって出ないのもまずいかと思い、実はまだ行っていない。
それでも水分だけは充分採るように心がけていた。
……ああ、緊張してきたわ……。うまく出来るかしら。もし、変な臭いがしたらどうしよう。
香りつけの為に、ひみこは朝、コーヒーを飲んでいた。デパートから取り寄せたキリマンジャロブレンドの高級な豆……。
昨夜は、念入りにエキストラバージンオイルを使ってティーポットの注ぎ口も洗っておいた。大人の女性だと、ポットは剥き出しではなくティーコジーが被さっているものだけど、……今日のお相手は小学生アイドルの天埜衣巫。向こうだって、ポットの表面はツルツルの剥き出しに違いない……。堂々と私は、大人のレディたるところを見せつけてやりたいのだけど……、まあ、無理はしないでおきましょ。虚勢を張るのも大概にしておかないとね。内緒のところは見せないのが一番。
墓穴を掘ったらそれこそ大変よ……。
………。
……オケツをホったらそれこそダ●ベンよ、と……。
ヤバ……どうして私って、こういうこと言わずにいられないのかしら……さすがにこれは無しね……。勢い余って、ぱ邪馬台国でも口を滑らせないよう注意しなきゃ……。
あ、ヤバ!もうこんな時間!家から待ち合わせ場所までゼロ距離なのに遅刻したら、あの子になんと言われるか……。さ、急ぎましょっと…。
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パンプロビル最上階、聖域にある桜VIPルームは、その名の通り内装がピンク一色で統一されており、
リラックス効果を与える、優しい照明が室内を均一に照らしていた。
ドアをノックした如月ひみこが、「ち~っす」といった感じで、……猫背でペコペコしながら入室してくる。
「あ、ひな先輩。お早うございます。もう!……遅いから先に準備を始めてましたよ?」
部屋の中央にはおかめのお面を被った少女、天埜衣巫が、珍しく栗色に近い髪を三つ編みにして、
上半身に、縦にストライプが入ったアリス風のメイド服を着て、ティーテーブルの前に立っていた。
……えらくミニスカートね…。と、ひみこは思い、思わずジロジロと衣巫の細い太ももを観察し……、ももの半分までしか隠していないように見える脚と、アヒルのお尻みたいに見せた白いパニエを凝視してしまった。
素足のままの片方の太ももには、黒いハートのチャーム付きのリボンが巻かれていて、言っちゃ悪いが、それが半分ずれたショーツのようにも見える。三つ編みの途中にはピンク色のリボンが編み込まれており、
衣巫は、改めて手のひらを交差させ、それをおへその下辺りにあてがうと、
ぺこりとお辞儀をして「ようこそ!ひな先輩。」と言った。
お、おう……。と、ひみこは部屋に充満する薔薇の香りと、桜餡のような甘い匂いに圧倒されて、モゾモゾとスカートの下で裾よけを動かしていた。
……すでにティーテーブルには光沢のある白い陶器のティーポットが置かれており、上を向いた注ぎ口から、柔らかく湯気が立ち上っているのが見える。
別の受け皿には、金色の小さな手鏡のような形をしたストレーナーが置いてあり、本当に、もう準備は万端のように見えた……。
「あの、……イヴ?」「はい?」
「本当に、これ、飲むのよね?」「?」
「あ、いや、その、それで、あなたは……その…私のを飲むんだよね……(小声)?」「ええ。そのつもりですが?」
「だよね~。」とひみこはアハハと笑い、「さ、さすがにさ。恥ずかしいから、むこう向いててくんない?……なんなら目を閉じててよ。」と言った。
「え?先輩、わたし、先輩が淹れるとこ見ても絶対笑ったりしませんよ?……前に話した感じでなんとなくわかってます。上手に淹れられなくたって、わたし、笑いませんから!」
ぐすん……やっぱり私……笑われる前提なのね……。わかってはいたけど、やっぱ傷つくわ……。
「でも、イヴ、そういうことじゃないの!恥ずかしいからやっぱ見ないで!耳も塞いで!だいたいあんた、自分だけ先に入れておくなんてずるいわよ!
……で、空いているそこのポットとカップ、私も使っていいの??」とひみこは言って、テーブルに置かれた、側面に青いラインとトランプ柄の入った可愛らしいティーカップを指差した。
衣巫は「ええ。いいですよ。私も同じセットのカップに入れますし、元々ティーセットは兼用にするつもりだったんです。わかりました。……じゃあ、むこう向いて目を瞑ってますから……(……ウフフ、ひな先輩ったら!わたし、別にマナーとか気にしませんけどね……。元々わたしだって、素人に毛が生えた程度ですし……)」と、最後は小さな声で言った。
…………。
……い、今なんと??イヴ……、あ、あなた……もしや、毛が生えたの………?!
ひみこは、唐突に訪れた世界の終わりを感じながら、天埜衣巫に背を向け、テーブルにもう一つ置いてあった空のティーポットを掴んだ。
……もう………、どうとでもなれ………。
ほとんど泣きながら、ひみこはテーブルの脇に屈み込み、蓋を開け放ったポットの上に股がった。
そして、諦めたように、機密のひみこちゃんファイルを開くと……、
秘匿性の高い個人情報が漏えいしていくのを……、ひみこはもう止めることは出来なかった。
アハ、アハ、アハ……(涙)。皆さん……聞いてください……天埜衣巫が…大人の階段先に登りましたよ……、アハ、アハ、アハ……。
ピピピ……ひみこんぴゅうたあ、只今、発禁グが確認サレマシタ……サイバー攻撃、不正アクセス、ウイルス感染……《《警告》》情報漏えい中、今スグ全機能を停止しテクダさイ!じょろろろ……うほう、ろうえい…じゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……《《警告》》セキュリティ突破……ストップ、トップシークレット……VIOハザード発生……ジョボビッチが急行し、処理にアたりマス………。
……ひみこは満杯になったティーポットの蓋を閉じ、手に握った機密文書に、余ったインクで署名しながら、……まあ、あれね。……薫りの方はローストされた香ばしい匂いがするし、色も、まあ、綺麗だった……。私、短期間でここまで良く頑張ったよね……。所詮ツルツルのお子ちゃまですが………と自分を労い(?)、「イヴ?終わったから目を開けていいわよ?」と言った。
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「じゃあ先輩?早速注ぎましょうね?あー、楽しみ!」と衣巫は両手を合わせて(うふ)と跳び跳ね、小さな手でストレーナーを水平に持った。
そしてもう片方の手でポットを持ち上げ、輝くティーカップの中へお茶を濾していく。
見よう見まねで、ひみこも自分のポットから、カップの中に、危険過ぎる高レベルひみこちゃん水を濾しながら注ぎ入れていった。……かさねがさね言いますが……これ、大丈夫なの………?
「……わあ、先輩!綺麗な琥珀色ですね!それ、なんて茶葉ですか?」
「……チャバ?……なにそれ?」
「え?茶葉は茶葉ですよ。……その紅茶の種類。」
「コウチャ……?」
「紅茶。」と衣巫がおかめのお面の下で呟く。
「……そういえばイヴ?あんた、お面したままでさ、どうやって、その……、こ、これを………飲むの?」
ひみこは、何となく居心地が悪くなって話題を変えていた。
「ああ、ちょっと飲みにくいけど、ストローで飲みます。」
お、おう……。ストローでね……これを……、ストローで……吸い上げるのね……マジで?あなた……ホントに大丈夫……?
お互いのものを注ぎ終えた後、2人はカップの交換をする。
衣巫は、ひみこから受け取ったティーカップの持ち手を、リングに指を通さないように軽く摘まんで、そおっと薫りを吸い込んだ。
「へえ……。なんだかコーヒーみたいな香りがしますね。……でも、先輩?…なんで茶葉の種類、教えてくれないんですか?」
ひみこは、衣巫がもう片方の指に挟んでいるプラスチックのストローを見つめていた。
「……先輩。」
「な、なあに?」未だ、これに口を付ける勇気がないひみこは、手の中にある天埜衣巫のティーカップをチラッと見て、……まあ、あれね……オレンジ色で綺麗ね……と心の中で考えていた。
突然、「……先輩、……ごめんなさい。」と衣巫が、一度カップを下に置き、小さな声で言う。
お?なに?……や、や、やっぱり、そうよね??常識で考えてそうよね??これ、どう考えたっておかしいわよね??あ~良かった!!
「許すわ……。」とひみこは即答した。
「ホントですか?……だってわたしのせいで……年末ライブが中止になっちゃったのに……。ひな先輩は、許してくれるんですか……??」
「は?」………て、言うか、あんたのせいって何?……それ初耳なんですけど……。私が久々にアイドル活動出来る、晴れの大舞台が中止になったってのは聞いてたけどさ……それ、あんたのせいだったの??
「ああ、よかったあ……。ひな先輩、怒ってるんじゃないかって、わたし、ずっと気になってたんです……。」そう言うと衣巫はおかめのお面の下で、にこやかに笑い、ティーカップの中にストローを立てて掻き回した。
「あ、そうだ先輩?
……このお茶会、わたし達2人とも映えてますよね?」
え、今なんと?……2人とも?………生えてる、ですと?
「そ、そうよ、2人とも生えてるわよ!あなた、今いいこと言ったわね!!」
「ですよね~?な、の、で、2人で撮り合いっこしませんか?〇ンスタに上げるのは会社に止められてますけど、お互いの写真を交換するのはアリじゃないですか?」と上機嫌の衣巫が嬉しそうに言う。「アイドル2人の秘密のお茶会!雨宮さんに許可取ってホームページに出してもらったらどうでしょうか?」
……ちょっと待って……イヴ。途中から何も頭に入ってこなかったけど……あなた、さっきから無茶やり過ぎよ………。て、言うか、撮り合いっこってなに………。あ、あなたは生えてるからいい(?)のか知んないけどさ……私はどうなるのよ(涙)??公開処刑する気??
「イ、イヴ?……やめておきましょ。映像は流出する可能性があるわよ……。だいたい、あんた、顔見せすらしてないのに、生えてる写真を撮るのは平気って、どういう神経よ……。」
「先輩?今の女の子は、映えてる写真を撮るのが大好きなんですよ?……ひな先輩だってそうでしょ?それに、ひな先輩は一線で活躍しているアイドルじゃないですか!そりゃわたしは顔出しNGの特殊事例ですけど……、顔も出してる普通のアイドルの先輩が映えてないのは、さすがにアウトですよね?」
はい!私、アウトーー!
「……楽し!」と衣巫は頭を傾けてクスクスと笑い、「ああ、喉渇きましたね。」と言いながら、ティーカップに挿したストローを改めて指で摘まんだ。
「……ねえ、イヴ……。あなた、それ、本当に飲むの……?」とひみこが言う。
「なんでですか?……え?先輩?!ひょっとしてこれに毒でも入れたんですか?」
……そう言うと衣巫は再び肩を揺らして笑った。「……そういう先輩こそ、先にわたしのを飲んでみてくださいよ。お招きしたのはこっちですからね?……さあ、お先にどうぞ?まずは感想を聞かせてください?」
衣巫は手に持ったティーカップを下におろし、ひみこの正面で頬杖をつくと、おかめのお面の奥で瞳を輝かせて、「今回はですね、12月でも飲める貴重な秋摘みの茶葉を使用しているんですよ。……このダージーリング(流暢)は紅茶のションペィン(流暢)とも呼ばれるくらい、甘く強い香りが特徴なんです。」と得意気に言った。
……あーあ、この子ったら、今まで必死に避けてた言葉、とうとう直接言っちゃったわよ……。……で、それを私に飲めと………?繰り返しになりますが………
……マジで???
まさかの後編に続きます……。




