井91 死闘
「どうするつもりよ……。」
と早見恋歌が、無表情で言い返す。
「こうするのよ!」と振琴深海は、ガバッと、背中に付けた短いマントを翻し、
さっきから目の端に捉えていた黒い塊に向かって素早く体を移動すると、
……素手でパシーンと、ゴキブリを叩き潰した。
「な、?!」驚いた恋歌は、顔を強張らせて、
………黄色い肉片の飛び散った壁を見つめる。
「アタイを甘くみない方がいいわよ?」
そう言うと深海は、「……今日のアンタ?……なんか臭うわね?」と言いながら鼻をくんくんとさせた。「……美しき花のバンパイア、ひみこ姐さんには、アンタみたいな下等な蟲遣いは似合わないのよ!」
「……如月ひみこも……バンパイアなの??」恋歌は驚いた様子で、深海のことを見つめ返した。
「そうよ。ひみこ姐さんはね、私なんかがどんなに足掻いても、到達出来ない、高尚なる白のバイパンア美少女なのよ!あの麗しきかんばせ!アンタのような三流の魔族風アイドルごときが、姐さんと同じ空気を吸おうなんて、1世紀早いんだよ!アンタは所詮、ミコ☆ポチ止まりのJSアイドル崩れ!!女優のつもりなのかもしんねーけどさ?中学生になってからアンタ、仕事は減る一方でしょーが?」
……ええ?!いきなり当たりが強くない?……私達、もうちょっと仲が良くなかったっけ…?……もしかして、如月ひみこ関係でスイッチ入っちゃった?……あと、今なんか言い間違えてなかった??
……どっちがストーカーよ………。
恋歌は、本物のヤンキーの啖呵の恐ろしさを感じながら、反撃のチャンスを窺っていた。
「ひみこ姐さんはね?このアタイに、助けを求めにきたの!あの、誰にも弱みを見せない孤高のアイドル、如月ひみこが、このアタイだけに、よ!アンタにじゃない!!」
……弱み………?そうだ!弱みだ!
恋歌は一歩後ろに下がりながら、今日の自分のファッションを見下ろしていた。
なんという偶然!なんという幸運!
今日の私のコーデは、スチームパンクよりのゴス!喰らいなさい!…いくらあなたが、エセバンパイアだからと言って、これには堪えられないでしょう!
恋歌は胸にぶら下げていた銀製の十字架飾りを引きちぎり、片手に握ると、それを前方に付き出した。
深海はそれを見て、顔をしかめた。
ふふふ。吸血鬼の二大弱点、銀と十字架を合わせたアクセサリーよ!あなた、ニンニクは大丈夫みたいだけど、さすがにこれはアウトでしょ……?
恋歌は得意げに十字架を掲げ、ニヤリと笑った。
「……ダサ。」と深海がポツリと言う。
「?」
「ダッサ。アンタね、十字架のシルバーアクセとか、いつの時代の流行りよ?ダサ過ぎんのよ。そういうの苦手だわあ。そのファッションセンス、イタイわあ。シルバー?十字架?両方なしだわあ……。」
「………。」
え?そういう意味で苦手なの……?
恋歌は、急に指に沢山付けてきた髑髏や鷲の形をしたシルバーのリングが恥ずかしくなってきて、手を下に下げた……。
「おっと?」と深海は嬉しそうに笑い、足元を走ってきたゴキブリを、スリッパで思いっきり踏みつける。
プチッと音がして、小さな生き物は絶命した。
「あと一匹ね。」と深海は、スリッパの裏を床に擦り付けながら言う。
……て、言うか逆に大丈夫?如月ひみこの部屋を殺戮の跡で、そんなに汚して……。
躊躇なく罪なき命を奪っていく、邪悪なバンパイアを睨みながら、恋歌は次の攻撃を考えていた。
……太陽の光。
この前、振琴深海は、太陽が苦手だと公言していた。と、言うよりUVが苦手なんだっけ?
……それなら、全女性も苦手かも……。ここは、室内。そしてさらに、見たところ照明は全てLED。……八方塞がりね……。
……あと、バンパイアの弱点と言えば………。
………。
……………。
…………………聖水。
聖水って……あれよね………。弱点というか、なんというか……。そういうのって……アリなのかしら……、その……人として……。女の子としても、終わらない?大丈夫?
でも、そうも言ってられない。
今回の任務、失敗した時の、カルキ様の反応が恐ろし過ぎる……。あの様子だと、次は私の口に直接、産卵することだってあり得る。……それは考えただけで恐ろしい……。
聖水……。
一か八か………。試してみるか?!
恋歌は、自分のスカートに手をかけ、深海の顔から目を離さずに、心持ち姿勢を低くして身構えた。
敵の気配が一気に変わったことに気付き、深海は、警戒して一歩退く。
……さっきは、コイツのことをJSアイドル崩れの三流JC女優と言ったけど……、
「フッ、その感じ……懐かしいわね。……JS時代のアンタの暗黒コーデ、アタイも見てたわ。その反抗的な眼差し。まさに闇の煉獄ちゃんね……。不規則な円をぎっしり積め込んだ集合体水玉ブラウス。
顔に描いた、紫の水疱瘡メイク。そうそう、紫陽花の季節に、指にカタツムリを這わせて微笑むグラビアは、インパクトがあったわね。ガラスに這わせたカタツムリを、裏側から撮影した画像を切り抜いて、笑顔の少女の横に嵌め込むセンスは、あの時代のミコ☆ポチならではよね。攻めた雑誌だったわ。
後半、低迷、迷走した時期でも、闇の煉獄ちゃんのページはいつも見応えがあったわね。
……内臓コーデは印象深いわ。」……急に饒舌に喋り出した深海に戸惑いながらも、恋歌はさらに姿勢を低くして、居合い抜きのような体勢で、スカートの腰に手をあてがっていた。
……深海の言葉は続く。
「内臓コーデ……。裏返しに着たTシャツ。背中にタグを飛び出させて、さらにジーンズも裏返し。えんじ色のウェストポーチを胃袋に、ピンク色のベルトを腸に見立てて、床に引き摺る……。粗い編み目のニット帽は脳みそ……。
それに比べて今のアンタはどうよ?すっかり大人しくなっちゃってさ。今日のそのコーデだって、似合ってはいるけど、ありふれてんのよ!そんな格好、ネットで山のように見たことあるわ!シルバーの指輪とか、ダサっ。
……会ってみると、意外に凡人なアンタに、正直ガッカリよ!!」
「……ちょ、ちょっとあなた……、それって……ツ、ツ、ツンデレ……??」
深海の顔が一気に赤くなる。
「ふ、振琴深海さん??今までのあなたのつれない態度……、愛情の裏返し……なの??」
「ち、違うわよ?確かに昔のアンタが凄かったのは認める……。ま、まあ、アタイも小学生だったからね……、ミコ☆ポチくらい読んでたっていうか……。」
「あなた、まさか、ミコ☆ポチ、定期購読してたクチ?」
「わ、悪い?」
「…………。」
「………。」
早見恋歌は、体の緊張を解き、溜め息を吐いた。「……そうね。あなたの言う通りかもしれない……。中学になってからの私は……守りに入っていたかもしれないわ……。身体が大人になるにつれ……、恥ずかしさが出てきたと言うか……、周りの目が気になってきたと言うか………。」
「フンッ、……そんなの闇の煉獄ちゃんじゃないわ……。でもね……今のアンタがひみこ姐さんに憧れている気持ち、……アタイには少しわかるわ……」
いや、別に、そういうわけじゃ……と、恋歌は思ったが、黙っていた。
「ひみこ姐さんは自由なのよ。……そして何者にも迎合しない。……例えその相手が、あの雨宮社長だったとしても……。
ぱ邪馬台国を見てるとね、その日にあった嫌なことなんて、ぜ~んぶ忘れちゃうの。それだけじゃない。過去にあった嫌なことも全部よ。」
……まあ、確かに。あの内容は頭が空っぽになるわね……。恋歌はそう思うと、……ふと、自分の首に巻かれた、首輪の内側から漂う汗の臭いと、身体の下の痒みを思い出して、気持ちが暗くなるのを感じていた。
深海が「……悪かったわね……闇の煉獄ちゃん……。アンタも、多分、苦しんでいるのよね……?……アンタにひみこ姐さんは渡さないけど……なんか、方向性とかで迷ってるなら、……アタイで良ければ相談に乗るわよ?」と言った。
恋歌は、突然泣きそうになっている自分に気付き、唇を噛んで、ぐっと堪えていた。たが、堰を切ったように、ある言葉が彼女の口から溢れ出していく。
「……助けて……。」
「ん?」
「……ポテトおごるから…」我慢出来ずに、恋歌の目からはポロポロと涙がこぼれ落ち、溶けたアイメイクが黒いすじとなって頬を伝っていった。
「助けて……真咲瑠香がね……。私ね……(グスン)、あの子にいじめられてるの……」
「真咲瑠香?……あの天然お馬鹿さん少女?……は?アンタ、なに言ってんの?」
「……あれは、強力な悪の一族よ……。普段はわからないように身を潜めている……。あれは、如月ひみこを狙っている………。」
「……言ってることがよくわかんないんだけど、なに?ひみこ姐さんを狙ってるって、どういうことよ?!……詳しく聞かせなさい!」
早見恋歌は、今までの経緯を事細かに語り出した。
最初は疑わしげな顔をして聞いていた深海だったが、
徐々に真剣な顔付きになっていき……、最後に「……その話、本当?そんなんでサリー・ホッパーの舞台、ホントに公演できんの?」と言ってソファにどしん、と腰掛けていた。
目の前のテーブルに黒い虫が横切り、咄嗟に手を振り上げた深海の腕を、
恋歌は掴んで止め、「この子は、連れて帰るわ……」と言って優しく摘まむと、ポケットから取り出したビニール袋に入れた。
「なんか……殺してゴメンね」と深海は、ウェットティッシュで手を拭きながら、言った。
その後「……アンタには悪いけど、念のため、今からパルサンを炊くから、2人で外に出るわよ。ひみこ姐さんの為だから、悪く思わないでね……」と深海が言う。
「にわかには信じ難い話だけど……まあ、作戦を練りましょう。いっぺんアタイだけで真咲瑠香に接触してみるのもアリかもね。」と彼女は真面目な顔で呟いた。
「じゃあいつものファッチンで……。」
「ポテトはLサイズで夜露死苦。とろ~りミルセーキもつけてね。」「了解……。」
****************
その頃、如月ひみこは、振琴深海の作り上げた、もう一つの自室に鎮座し、着信したあるメールをご高覧されていた。
『本年も余日少なくなりました。
師走に入り、ますますご活躍のことと拝察いたします。
さて、この度以前よりお約束させていただきましたお茶会に、ひな先輩をお招きしようと考えております。
場所と日時は、
パンドラプロダクションビル最上階、桜VIPルームの予約が取れましたので、〇月〇日〇時ではいかがでしょうか。
(……ひな先輩のスケジュールは確認させていただきました!スミマセン☆)
多用中、誠に恐縮でございますが
ぜひご出席いただきたく、ご案内申し上げます。
気ぜわしい毎日ですが、体調を屑されませんよう、お祈り申し上げます。
かしこ』
……微妙な誤字が、私をディスってるような気が、しなくもなくはないけど……。
私だってね。あれから体調管理は万全なのよ。屑のような生活からは脱却したんですからね??
……見ていなさいよ、天埜衣巫。首やらあれやら、何やらを清潔に洗って待っていなさいよ……。
如月ひみこは、メールに返信し、
……鼻をつまんで、えいやっと野菜ジュースを飲み下すのであった。
次回、『秘密のお茶会』




