井84 着せ替え遊び
……初めて雪仁に会った時、
僕は彼が女の子だと思っていた。
だってさ、色白で、髪も肩まであって、深窓の令嬢風のガーゼみたいなドレスを着ていて、おまけに顔も超美形だったから。
雪仁は当時、使用人達から「雪様」と呼ばれていたので、(僕もそれにならって、)彼女のことを
「雪」と呼んでいた。
「ねえ、ユキ?いつも思うんだけどさ?……ユキって女の子の友達いないの?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「いや、だってさ。ユキんちがお金持ちだからさ、友達少ないの、なんとなくわかるんだけどさ……。それにしても僕とばっかり遊んでない?」
ユキは、「つまり、僕がこんなんだから、友達がいないと言いたいの?」と大人びた口調で言い返して、ひらひらのスカートを摘まむと、タイツを履いた白い太ももをチラリと見せた。
橘鋭利は子供ながらに顔を赤くして、目を逸らした。
「しょうがないんだよ、宍戸家は。昔から、こういう格好をする決まりになってるからね。…小学校に入るまでの我慢なんだ。」とユキが言う。「今日はフリフリのしかなかったから、仕方なくこれ着てるけどさ…、僕、ほんとはこういうの、股がスースーするから嫌なんだよね……。これならまだ着物の方がマシ。あれなら、腰回りにピタッとしてるからね。」
「ん~と、ごめん、僕にはちょっとわかんないかな。」
「……エイリが羨ましいよ。自由に服を選べてさ。」
「……まあ、でも、それ、カワイイよ……」
ユキは目を丸くして、この親友の横顔を見つめ返した。
「やめろよ、エイリ?僕にはそんな趣味はないからね?」
「…ご、ごめん。と、ところでさ?ユキは何で自分のことを僕って言うの?」「え?言っちゃ悪い?……エイリだって『僕』って言ってるじゃん。」
「だ、だって、ユキは女の子だろ?普通は僕って言わないよ。わたし、とか、ユキは…とか言わない?」「……エイリ……。」「ん?」
「ごめん、ひょっとして、君、僕のことをずっと女だと思ってた……?てっきり、もうとっくに知ってるものかと……。」「何を?」
「僕、男だよ。」
………。
…………。
なにいぃぃぃぃぃ……??!?鋭利はその場でひっくり返りそうになりながら、……辛うじて冷静を保ちつつ「嘘だろ??」と言った。
「だって、どこからどう見ても、女の子だろ?!ユキは!!」
ユキは困ったような顔をして笑い、「ねえ、エイリ?」と肩を寄せてくると「……証拠、…見る?」と言った。
頭が混乱したままの鋭利は、 「あ、うん…。」と呟き、ユキから、スカートの下にある、間違いのない証拠を見せてもらうと……ああ、確かに。と納得して……淡い初恋を終わらせたのだった……。
……それ以来、僕は…、間違いなく女性であることが明らかな、身体的特徴を持つ女の子にだけ、魅力を感じるようになったのだ……。
*************
今、橘鋭利の目の前にいる女性は、
宍戸家の女中服の胸を、はち切れんばかりに膨らませ、それを隠すようにして沢山の女の子の洋服を抱えていた。
「橘様。今お持ち出来たのはこれだけでした。…これで宜しいでしょうか?」
「ああ、助かりました、本当にありがとうございます。」鋭利はそう言うと、彼女から服を受け取った。
彼の背後では、床でアルバムを開きながら、ク、ク、ク、と笑いを堪えている、伍代かぐやの姿が見えた。
「あ、この服、僕も覚えてますよ。……ああ、浴衣もあるじゃないですか。でもなあ……僕にはこれは着付けられないかなあ。」と鋭利は受け取った服を一枚一枚拡げてみながら、
「あの……宜しければ手伝っていただけませんか?」と聞いた。
「……ちなみにカレーの手配の方はどうなりました?」と背中で扉を半分閉めながら鋭利が尋ねる。
若い女中は、「そちらの方は大丈夫です。近くの洋食店に手配致しましたので…。」と答える。「あと…港川さんの指示で、厨房は封鎖致しました。夜にでも業者が消毒に入ると思います。」
「ああ、良かった……。」と鋭利は胸を撫で下ろした。
「えいり?そっちで何してるの?ゆきひとの服が来たのなら、早く持ってきて?」とかぐやの鋭い声が聞こえる。
(お願いします!手伝ってください!)と鋭利が口の動きだけで喋り、ウィンクしながら片手で拝むポーズを取った。
(わ、わかりました。わかりましたから、橘様、頭を上げてください…)と女中が小さな声で言い、
小さな恐ろしい暴君のいる部屋の中へ、
……微かに震えながら足を踏み入れていくのだった…。
「あら、誰かと思えば風船メイドじゃない?あなた、また、ゆきひとの服を持ってきてくれたの?見せてみなさい?」とかぐやが言う。
「こら、かぐやちゃん?失礼だよ?」と鋭利が言うと、「えいり?あなたね……〇ッパイが大きければ誰でもいいの?……この人はゆきひとのメイドだからね?わかってる?」とかぐやが心から軽蔑したわ、といった顔をして言う。
真っ赤になって俯いた女中を見て、鋭利が「かぐやちゃん!」と怒ったような声を出した。
「あらあら、怖い怖い。」とかぐやは言い、「あ、その服見せて!さっきアルバムで見たやつね!」と悪びれる様子もなく、楽しそうに笑った。
**************
「ねえ、えいり?」
「なんだい?」
「えいりは、ゆきひとが小さい頃から一緒にいたんでしょ?」
「まあ、……そうだけど?」
「ねえ、風船メイド。」
「は、はい、何でしょう、かぐや様。」
「あんたは、小さい頃から、そこが風船みたいに膨らんでたの?」
「え、か、かぐや様?」と彼女は鋭利の方を見て、あたふたと手を動かした。
「答えなさい!」
「……い、いえ、小さい頃は平らでした……。」
「かぐやちゃん?!失礼だよ?!」と鋭利が汗をかきながら大きな声を出す。
「えいり?」「な、なんだい?」
「あなたも子供の時は、小さい方だったの?」
「………。」
「えいり?わたしの質問に答えなさい。」
「………。」
「わたし、あれから考えたのよ。ゆきひとも、子供の頃は、小さい方だったんじゃないかって…。それなら女の子の格好をしても大丈夫よね。」
「そ、その言い方だと……い、今の雪仁のを、知ってるような口振りじゃないか……。雪仁……、さすがにこれは養護できないぞ……お、お前、……捕まるぞ……。」
「えいりも、ゆきひとも、……今は体がおっきいわけだけど……、子供の頃は背が小さかったわけでしょ?……まあ、がっちりした体型じゃ、こんな可愛い服は似合わないわよねえ。」
「え……そっち……?」と思わず鋭利が間の抜けた声を出す。
「え……えっち……です……」と、女中は顔を覆いながら呟いて、鋭利から逃げるようにして、かぐやの体を挟んで部屋の反対側へ移動していた。
「ちょ、ちょっと!ご、誤解です!」と鋭利が叫ぶ。
「ところで、えいり。この前、そこの風船メイドと話し合ったんだけど、……男の人って、体の下のあれ、普段はどこにしまってるの?そもそもズボンを履くにしても、……邪魔じゃないの?」
「か、かぐや様???」と裏声で叫んだ女中に対して、
今度は鋭利が驚いた顔をして、彼女のことを見る。
「た、橘様?ち、違います!!かぐや様!誤解を招くようなことはおっしゃらないでください!!」
「あ、これ可愛いわね。ゆきひとのアルバムでも見たわ。わたし、これ着てみたい。」
と、かぐやは、慌てふためく大人2人の様子を無視して、服の山の中から一着の浴衣を取り出しながら言った。
「そ、そうそう!雪仁は、女装時代の終わり頃は、そういうのをよく着てました!腰回りを、ギュッと出来るから、スカートよりも落ち着くんだって……女中さん?!ほら、たかが、こ、子供の頃の話ですよ!いやあ、微笑ましいものです……アハ、アハハ……。」
「な、なるほど、橘様!和装だと、裾除けを巻けば男の子でも前を押さえられると………。まあ、子供らしい可愛らしい話ですね……オホホホホホ………。かぐや様?雪仁様にもお可愛らしい時代があったのですね……。さ、私、着付けて差し上げましょうか?」
「ええ、お願いするわ。」急に意気投合したように見える、鋭利とメイドの2人を訝しげに見ながら、かぐやは、お嬢様兼お姫様らしく、腕をTの字に開くと「さあ」と言って、身を任せてきた。
「橘様?」「ん?」「んっタチバナサマ?んっ、オホン…」
「あ、ああそうかそうか!スミマセン。着替えですよね?僕は退出しましょう!ここからは、女性2人で、どうぞ、ごゆっくり。じゃ、かぐやちゃん?また夜のディナーの時にね!」
明らかにホッとした様子の鋭利が部屋を出ていこうとする……
……と同時にかぐやが「待ちなさい!」と強い口調で遮った。「えいりは、すぐ外で待っていなさい!……で、着替え終わったら……わたしと、子供の頃のゆきひとと、どっちが可愛いかジャッジしなさい!」
「そ、そりゃ、か、かぐやちゃんの方に決まってるだろ……?」
かぐやは、それでもまだ不満そうに、眉間にしわを寄せると言葉を続けた。
「じゃあ、この風船メイドとどっちが可愛いか決めなさい!」
「かぐや様??」と女中が目を白黒させて顔の前で手をバタバタとさせる。「い、いい加減にしてください?!かぐや様?お、大人をからかわないでください!!」「なあに?風船メイド?まさか……あなたの方も、えいりのことが気になってるの??……あらあら、あなたってば、いやらしいのは体だけじゃないのね?!とんだ、穢漏女慰奴じゃない!えいり!気を付けなさいよ?このメス、いっちょまえにあなたを狙ってるわよ?アハハハハ……」
その言葉と同時に、まだ若い女中は、「いい加減にしてください!!!」と大きな声を出すと、「かぐや様?昔の浴衣はですね、インナーを着ないんですよ?肌襦袢と裾よけだけで!いやらしいのは、あなたです!!」と叫ぶと、
……一気にかぐやのワンピースをひっぺがし、まだ、上を身に着ける必要のない幼い上半身を出してしまったかと思った矢先に……
目を閉じた女中の両手が、かぐやの下布を掴んで、一気に下に引き下ろした。「あらやだ、かぐや様?丸出しにして!恥ずかしい!」と言って女中が笑う。
咄嗟に鋭利は、腕で目を覆いながら顔を背けた。
フン、とかぐやは鼻を慣らし、全部剥き出しになった自分の身体を見下ろしていた。
何かの呪術を行う部族のように、脇と太ももの付け根だけをリング状に白く残した小麦色の肌。それらを隠す素振りもなく堂々と立つかぐやは、……冷たい目でメイドのことを見つめていた。
やがて、かぐやは「あなた……。こんなことをして。ただで済むと思わないでね……。」と言い、
「丁度いいわ。あなた……、ここで今すぐ全部脱ぎなさい。」と冷たく言い放った。
「お、お許しください……」女中は、急にガタガタと体を震わせながら、蹲っていった。
「丁度いいじゃない?あなた、えいりのことが好きなんでしょ?さ、えいりに、そのいやらしい体を見せてあげなさいよ?」
かぐやは、彼女のウェーブのかかった柔らかい髪を一纏めにして手荒に掴み、無理矢理顔を上げさせた。
女中の涙の溢れた目に入ってきたのは……、少女の恐ろしく、そして無垢な、マリアナ海溝のように暗い深淵だった。そしてそれは少し、清潔ではない臭いがした。
「かぐやちゃん、やめなさい!」
腕で目を覆ったままの鋭利が、前が見えないままの状態で近寄ってくる。
そして、もう片方の手で、手探りで女中を見つけると、かぐやとの間に入って、彼女を後ろに庇った。「かぐやちゃん……やめなさい。」
かぐやは、ぼんやりとした目を、鋭利の方に向けた。
「かぐやちゃん、……落ち着いて。君は、感情をコントロールする術を、学ばないとね……。落ち着いて。さあ……」と言いながら、鋭利の手が、かぐやの剥き出しの肩に肌襦袢を優しくかける。彼の目は、まだギュッと閉じたままだった。「……かぐやちゃん……、君は……無垢で、綺麗な、……朗らかで、優しい、さみしがり屋さんなんだ………。だから落ち着いて………。ね?」
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涙の溜まった瞳の奥に光が戻り、グリーンのニットと、ベージュのカーゴパンツを合わせたコーディネートに身を包んだ宍戸かぐやは、
指に鋏の柄が触れるのを感じ、いつの間にか暗くなっていた部屋に、自分が戻ってきていることを悟った。
……思い出は尽きない。
かぐやは、まだ現実に戻るのは早いと思い、再び、遠い日の記憶をここへ引き戻そうとするのだった。
次回、『かぐやと世奈』




