井82 かぐや姫の花
「港川!大変!……あのピンクの可愛いハートのついた花が枯れてしまったわ!」
「サフィニアですか?」
宍戸家の専属庭師、|港川紀之《みなとがわ
としゆき》は、小学生の少女、伍代かぐやに裾を引っ張られて振り返った。
「そうですか……まだまだ花を咲かせられると思っていたんですがね……梅雨はうまく越えられたのに、……水不足でしょうかね?ペチュニアよりも簡単に育てられるから、あの子は、かぐや様にはおすすめだったんですけどね……」
港川は、この幼い少女に引っ張られるまま、彼女に割り当てられた花壇の方に向かっていった。
「元に戻して!!」強い口調で、かぐやが言う。
「おや、焼けてしまってますね。」港川は、花壇にしゃがみこみ、枯れた葉と、萎んだ白い花を確認し始めた。
「……ふむ。」根周辺の土を摘み、親指と人差し指の腹で擦り合わせると、
それを鼻先に持っていって、臭いを嗅ぐ。
「……なるほど。わかりました。」
「治る?」とかぐやが、ちょっと心配になったような顔をして、上目遣いにこちらを見てくる。
港川は、そんな少女を見て微笑みながら軽く溜め息を吐いて言った。「……かぐや様……、ひょっとして、あなた、……これに直接肥料をかけませんでしたか?……それも、ほぼ毎日……。」
「かけたわよ?それが何か?」
「それは、あまりよろしくありません…」港川は額を押さえて、軽く首を振った。「普通、肥料は直接かけないものなのです。……それに……毎日は多すぎます。ひと月に2回くらいでいいです。」「わたし、聞いてないわ……そんなこと。」
かぐやは口を尖らせて港川のことを睨んだ。
「まあ、確かにそのままでも、アンモニアは細菌の働きで窒素肥料になりますが…、あまり高濃度のままですと、逆に植物を焼いてしまうと思います。……なので、通常は寝かせてから使用しますね……」
港川は、花壇の奥に、丸めて捨てられたティッシュの固まりを見つけ、……うやうやしく指で摘まむと、ポケットから出したビニール袋にそれを入れた。
夏の生暖かい風に乗って、近くから別な臭いが漂ってくる。
「かぐや様?これは……」港川は、鼻をくんくんと鳴らし、困ったような表情をしながら、その臭いの先に向かって歩き出した。
そこは、彼の主人、宍戸雪仁が使用している畑だった。
青々とした、太いきゅうりが、だらんとぶら下がり、そのうちの多くは強く反り上がり、艶のある光沢を放っている。
新鮮な青臭い香り。表面に不規則に並んだ尖ったいぼが、この若いきゅうり達を少しばかり恐ろしいものにも見せている。
普段であれば、かぐや様のような小さい女の子が、ここに来ることはないだろうに……と港川はちらっと思い、臭いの発生源を探し始めた。
「ゆきひとが、よく、ちくわにきゅうりを挿したのを食べてるから……」と、かぐやが言う。「あれ、おじさん臭いし、どこが美味しいのかも、よくわからないけど……、ゆきひとが喜ぶなら、…ちくわの内側が裂けるくらいに、大きくなるのを…手伝ってあげようかと思って。」
港川が茎を掻き分けると、……そこにはまだ柔らかそうな、新しい堆肥が小さく重なり合うようにして置かれていて、上にはケーキのデコレーションのように、白いティッシュが差してあった。
驚いた蝿が、堆肥の表面から飛び立つ。
「……かぐや様。これも直接畑に撒いてはいけません……。寄生虫を蔓延させることになります。」「そうなの?」「……これも、きちんと発酵させましょう。」
港川は裏返したビニール袋を手袋にして、それを掴むと、形を崩さないようにそっと掴んで、素早く袋の口を縛った。
「では、私はこれで……。後で枯れたサフィニアはもう一度見ておきますから、……かぐや様はシャワーでも浴びてきてください……。この土には回虫や、ぎょう虫だっているかもしれません。……今後は庭に直接肥料を撒かないようお願いいたします……。」
「……ゆきひと、怒るかしら?」
「……いえ。あの方は怒りはしません。むしろ……いえ、何でもありません。さ、行ってきてください。汗も流せますよ。」
かぐやは、鼻の下に吹いた玉のような汗を手の甲で拭き取り、「わかったわ……。ねえ、港川?」と小さな声で言う。「はい、なんでしょう。」「このことは、ゆきひとには内緒にしておいて!」「かしこまりました。」
かぐやはそのまま、ピューっと駆け出していき、避暑地のお嬢様のような、襟の大きな白いワンピースと黒い髪ををはためかせて、港川の視界から消えていった。
**************
クーラーの効いた邸宅内を、かぐやはぶらぶらと散策していた。
今日雪仁は、橘鋭利と何か用事があるらしく、ここにはいなかった。
二人は前日に、演劇だか、舞台だかの予行練習を行っていて、「十分勝てる戦いだ。」とか、「向こうの証人はここを突かれると、しどろもどろになるぞ、その時雪仁は心象を良くする為に……」とか、……鋭利が大張切りで雪仁に演技指導(?)をしているところを、かぐやはちらっと見かけていた。
「なんのイベントか知らないけど、明日の本番頑張ってね。…ところで、その舞台にはお客さんが一杯来るの?」とかぐやが聞くと、鋭利が「明日はそうでもないかな。でも、負けたら損失もでかいし……今回ばかりはさすがの雪仁も、緊張してるみたいだね」と言って、「ねえ、かぐやちゃん?雪仁の緊張をほぐす為に、あいつになんかしてやってよ……」とウィンクをした。
かぐやは、お安いご用と、雪仁の肩を揉んでほぐしてやり、他にほぐしてほしいところはないか?と聞いた。
それに対し、雪仁が、じゃあ、はぐしてほしいかな、と言ってきたので、「はぐって何よ?」とかぐやは答えた。
横から鋭利が「ハグってのは、ギュッとすることだよ。」と言い、「Gyu-toe?」とかぐやが再び聞き返す。
もういいよ、と雪仁が笑いだし、「なによ?英語なんか使って!!二人してわたしのことバカにしてるんじゃないでしょうね?」と、かぐやが怒り出す。
毎日のように、宍戸家に通うかぐやは、今日もまた特に用事はなかったのだが……、ここに遊びに来ていて、
雪仁が帰るまでの間、広大な庭や建物を見て回っていた。
雪仁は、ここにあるものは、全て好きにしていい、とかぐやに伝えていた。
なので、かぐやは言われた通りに、好きにしていたのだが……
大抵の部屋には鍵がかかっていて、自由に見られる場所は限られていた。
そんな中で、かぐやが出入りを許されていたのは、主に、お風呂、御手洗い、そしてプールだった。……全部、水関係ね。なんなら池に入ってあの鯉たちを捕まえてやろうかしら……。
結局かぐやは、港川に言われた通りに、お風呂に入ることにした。……でも、あのおっきいお風呂、どこだったかしらね……。こうも広いと標識が必要よね……とかぐやは思い、あちこちの曲がり角を、一つ一つ確かめていた。
あ、あったわ。……あれ?ここじゃないみたい。……でも、ここもお風呂みたいね。なんかここの方が小さくて落ち着くわ。
あら、温度も丁度いい……。いいわ。ここに入りましょう。
かぐやは、一度汗の乾いてしまった服を素早く脱いでいき、少し段差になった木の台座にそれらを綺麗に畳んで乗せると、
浅めの浴槽に、ざぶんと飛び込んだ。
あ~~、ぬるめのお湯が気持ちいい……。
腰の辺りまでしか浸かれない、細く浅い浴槽のお湯の中で、かぐやは体育座りになって頬を赤く染めて目を閉じていた。
日焼けした身体に丁度いい温度。……かぐやのスク水焼けは、手足の境い目だけを白いリングのようにして残しながら、後はこんがり全身が焼けており、かなり上級者向けのボディペイントになっていた……。
その時、突然「か、かぐやお嬢様?!」と驚いたような若い女性の声があがり、かぐやが(なによ?)とそちらへ顔を向けた。
……そこには、まだ若そうな女中が立っていて…、胸の前に抱えたタオルを、怯えたように抱き締めている姿が目に映った。
「……なによ?」「かぐや様……」「だからなによ?」
「そこ、足湯です……。」
**************
女中に替えの洋服を持ってきてもらった かぐやは、早速それに腕を通しながら言った。
「なに、この服?えらくレトロな雰囲気だけど、誰の服?この家にわたしくらいの女の子がいるの?」
「いいえ、かぐや様。そちらは、雪仁様が幼少期に着ていたものだそうです。」
「……………え?それ、どういうこと?」
まだ慣れない様子の新人メイドは、濡れたかぐやの髪をドライヤーで乾かした後、後ろ側で丁寧に三つ編みにして、
彼女の水玉模様のワンピースの背中に付いているチャックを、ジィィィ…と上に上げた。
かぐやは黒いベルトのお腹側に付いた、大きなリボンを指で引っ張ってみる。「これを……ゆきひとが着てたって……どういうこと?」
「はい、なんでも宍戸家の男児は、7歳までは女の子の格好をして過ごすという風習になっているそうで……。」「なんでよ?」「…さあ。私も何でかまでは存じ上げません。ただ、雪仁様は、和装を好まれたそうで、そのようなお洋服は滅多に着なかったそうです。今、メイド長より、この服は、サイズも丁度いいので、かぐや様の着替えとして、雪仁様より申し使っている旨を聞いて、預かってまいりました。」「ふうん……。」
かぐやは、この若い女中をじろじろと観察していた。
彼女は、その、……凄い迫力のあるお胸と、お尻をしていた。顔は……まあ、可愛い方ね。…えいりが好みそうな顔だわ……。
「ところであなた、これ、ゆきひとが着ていたって言ったわよね?」「はい」「……スカートよね?これ。」「はい」「……ゆきひとは男よね。」「はい、それは間違いないかと。」「……その、体の下の出っ張りは、どのように収納されていたの?」「は、はい??か、かぐや様?」「ほら、男の人って、付いてるでしょ?あれ、普段はどうやって収納されてるの?スカートだと、さすがにわかっちゃうでしょ?」
「わ、わたくしが……そ、それを知っているとお思いですか………?申し訳ございません。ぞ、存じ上げません……。」若いメイドは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「そう?まあ、そうね……。あなただって、その恥ずかしい体を全然隠しきれていないものね。」「か、かぐや様……?も、申し訳ございません。」
ふん、とかぐやは鼻を鳴らし、「ねえ、ゆきひとは、下着も女の子のものにしていたの?」と言った。
「すみません……それも存じ上げません……。」「あなた、何も知らないのね?……もういいわ……。あっちへ行って。仕事に戻りなさい。」 かぐやがそう言うと、若いメイドは「……はい。」と言ってお辞儀をして、逃げるように足早に退出していった。
かぐやは、もう一度鼻を鳴らすと、
おもむろに、自分のスカートを捲り上げ、
おへその下を覆う、あの風船メイドが持ってきた薄ピンクのハートの柄が入った白い下布を見つめていた。
……これって、ゆきひとが履いていたやつかしら……。
………もぞもぞ……。
かぐやはそれを一度脱ぎ、ゆきひとが履いていた痕跡がなにか残っていないか、……裏返してみながら、顔を近付け、あちこちを見てみた。……よく見ると、裏地の中央が少し擦れて毛羽立っている。……これは確実に中古ね。
……このハートの柄、なんだかあの枯れちゃったサフィニアと同じ模様みたい…。かぐやはそう思うと、なんだか可笑しくなってきて、
あのサフィニアは、わたしとゆきひとの共通の思い出の花ね……、と考え、不思議と心が温かくなるのを感じていた。
港川は確か、肥料は寝かせて使えと言ってたわね。それって、おね〇ょってこと?わたし、もう4年生よ?
昼よりも夜にあげた方が効果があるってことかしら……。港川の言うことはよくわからない。……とにかく、あのお花はこれからも大切にしよう。
かぐやは手に持った二人のサフィニアを嬉しそうに見つめ、……なんか、これも汚したくないわね……、と綺麗に折り畳み、ワンピースの腰の部分にあるステッチ付きのポケットに、捩じ込んだ。
そして、その場でぴょん、とジャンプをすると、スカートの内側に風を孕ませて着地し、次にくるりと、傘のように体を回転させ、太ももの根元ぎりぎりまで、裾を舞い上げた。
後ろの桃太郎姫を半分覗かせたかぐやは……、ふわんと広がった服を両手で萎ませ、
やがてクスクスと笑い出すと、廊下へ飛び出し、彼女の花壇の方へ走っていくのだった。
次回、『宍戸の華麗なる1日』
星評価お願いいたします!




