井76 決戦前夜
パンドラプロダクション社長、雨宮世奈は都内某コンサート会場で、舞台の上に立ち、
最終確認を行っていた。
「ミカミッチ、そこからはどう見えてる?」
真っ暗な観客席の一番前にいる三上クリスティーヌが、手に持ったサイリウムをピンク色に光らせて左右に振る。
「世奈ちゃ~ん?よく見えてるわよ~!」
世奈がヘッドセットのマイクを指で摘みながら「じゃあ、照らして!」と言う。
ガチャン
と、音がして世奈の背面の大型スクリーンが真っ白に光り、
世奈の体が逆光に包まれて、真っ黒な影に切り替わる。
「どう?ミカミッチ?」
「いいわよー、全然見えなくなったわよー」
……緊急時にはこれで衣巫の体を見えなくすることが出来る。
万が一のことを考え、今回の衣巫の衣装は、すぐにでも着替えられるものになっていた。
これは、衣装を汚してしまった時に瞬時に交換出来るというだけではなく、
2曲目から3曲目にかけての、早着替えを劇的に早めるという副次的な効果を生んでおり、
更に、服の下に仕込まれた翼が開く仕組みと合わせて、
今回のライブのクライマックスとなる予定だった。
紙マスクの装着を断固として拒否する天埜衣巫をサポートする体制は、他にもバッチリ整っていて、
もし、彼女が服を濡らしてしまった際も、プロジェクションマッピングで、衣巫の身体を追いかけ、上から別な色でカバーすることも出来るようになっていた。
前回のライブでの、会場の熱狂を考え、
オーディエンスの飲み物の持ち込みは可とする。今、クリスティーヌが持っているようなサイリウムは持ち込み禁止。……あのお調子者を会場から摘まみ出して……。
……100人の女性ファン達は、あれからよく働いてくれたわ。
ファーストライブでの出来事を口外せず、尚且つ何が起こったのかを匂わせつつ、天埜衣巫を、文字通りトップアイドルに祭り上げてくれた。
彼女らの入場料は、今回すべて無料にした。グッズの販売は行わない。
歌うのは3曲。次回公演の予定の発表はなし。
天埜衣巫は年末ライブへの参加をしない予定だが、何も言わないと、参加への期待が高まり過ぎて、
衣巫の出演がなかった後の年末ライブの評価を下げてしまう可能性も高い。
そこはクリスティーヌとも、かなり話し合ったが、年越しは、如月ひみこや振琴深海に任せてみよう、ということで一応の意見の一致をみた。
特にひみこは、世奈達の狙い通り、衣巫をライバル視してくれているので、……放っておいても頑張ってくれるだろう。あの子は自身をプロデュースする能力にも長けているから、
来年もまた面白いことをやってくれそうな気がする。
今はとにかく心配なのは天埜衣巫の方だ。彼女の神話は、扱いを間違えると、いとも簡単に崩れてしまう可能性だってある。偶像が堕ちるのは一瞬。それまでに築き上げてきたものが、どんなに大きかろうと、崩れる時は本当に一瞬なのだ。あ~胃が痛いわ。
ところで衣巫は、ある日を境に、急に自信満々に戻って、1曲目のトラウマをはね除けたようだった。あれほど水分を取るな、と注意していたにもかかわらず、
どうやら、歌う前に高級紅茶を飲むことで、恐怖を克服出来たらしい。まあ、それでもこっちは心配だから万全を期すけれどね……。
雨宮世奈は、背面にプロジェクションマッピングで映された、踊る衣巫の残像を見ながら、祈るような気持ちで自分の腕にしたお守りに手をあてがうのだった。
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「ねえ、イヴ?」
電話口で如月ひみこは、生まれたままの姿に魏志倭人伝《改》式の絆創膏を、おにぎりの海苔のように貼りつけ、
リラックスした気持ちでソファに深く腰掛けながら、左手で髪の毛をくるくると巻いていた。上側のひみこちゃんずは、隠す必要もないさりげないものなので、今はそのままにしている。
「……アンタさ、少し前までなんか自信のないような雰囲気だったけどさ……、ライブ前までにはきちんと仕上げてきたみたいね?」
「ひな先輩、心配してくれてたんですか?ありがとうございます。」
……なんか電話の向こうにいるのに、いい香りがするような気がするわ。この子、お面越しに表情を伝えたり、顔なしで美少女認定させたり……これっていったいどうやっているのかしら……。
「ご心配かけました!でも水守さんから教えてもらった方法を試したら、一発で解決しちゃいました!先輩は試されました?」
「はい??今、なんと……?」
「え?ですから水守さんから教えてもらった……」「ちょ、ちょ、ちょ…………っ、ア、ア、アンタ、あれを試したの?!」
「ええ。やっぱり、一番最初のは濃くて、香りもキツかったですね。」
「………。」
「色も綺麗なオレンジ色で。白いコップに映えて、目でも楽しめましたね。」
「………。」
「実際飲んでみると、少し麦芽みたいな?カラメルに似た甘さというか、香ばしさがありました。」
「……なんか美味しそうなんですけど……。」
「まあ、正直、美味しいとか、そういう感じではなかったですかね。私なんかにはまだ早いというか……、でも、凄くリラックスできましたよ!」
「そ、そうだよね??お、美味しいわけないよね?」
「う~ん、そうですね。私達みたいな子供には、ちょっと合わないというか……、やっぱりミルクを入れたりした方が、ずっと美味しいらしいですよ?」
「ミ、ミルクを入れるの?そ、それはちょっと……。」
「じゃあ、先輩はストレート派ですか?大人ですね。」
「ま、まあね。私くらいになると…ミルクみたいな子供っぽいものは卒業してるって言うか?で、でもイヴ?そんなの飲んで、ざ、雑菌とか心配じゃないの??」
「雑菌?……ああ、先輩って結構、潔癖症ですか?きちんと煮沸してますから、そこは心配ないと思いますよ?」
……そこは抜かりないのね……。「に、しても!!イヴ?!アンタ、ホントに飲んだの?潔癖症ってなによ?そういうレベルの話?!」
「嘘を言ってどうするんですか。」
「ちょっと待って!アンタ、私を騙して飲ませようとしてない?そんな簡単に……あれが…飲めるもんですか!」
「ウフフ、先輩、そんなに難しくないですよ?コツは勢いよく注ぐことと、後は2~3分蒸らすことですかね。」
む、蒸らすの?……オエッ。
「わかりました。じゃあ、ひな先輩?
ライブが無事終わったら、私が飲ませてあげます。」
「…………。」
「……先輩?」
「の、飲ませるって……。飲ませてくれるの……?」
「ええ。先輩、初めてみたいだし、ご馳走しますよ。」
「で、でも、こ、こういうのって……、自分のやつじゃないと、効果が…ないんじゃ……。(小声)」
「え?そうなんですか?……でも、なんか先輩の入れたものより、私の方が美味しく出来るような……」
「し、失礼ね!!……な、なんなら、そう!そうよ!わ、私のも飲んでみなさいよ!!」
「(クスっ)はいはい、わかりました!じゃあ、決まりですね?今度2人で飲ませ合いっこしましょう。……あ、そうだ、ひな先輩?ちゃんと練習しといてくださいよ?私も、次までにはもっと美味しく淹れられるように研究しておきますから!」
……。
電話を切ると、ひみこは眩暈がして、ソファの上に横になってしまった。
……いいの??これ、ホントいいの?
私、新しい扉を二、三枚開いてやしまっていませんか??
…………。
さてと……。
練習、しなきゃね……。
べ、別に、直接ってわけじゃないでしょうから……、この、ひみつのひみこちゃんを…見られる心配はないはずよね……。
で、でも、念のため……、か、かつらが必要かしら……。じ、自分の髪の毛をこっちに移植するとか………。いやいや、ダメね。ここの毛って、みんなチリチリだって言うし……。ま、まあ、とにかく、まずは……一度、飲んでみないことにはね………。マジで?……私、大丈夫?
あ、そうだ。しばらくはエナジードリンクも飲まないようにしなきゃ……。真っ黄色なのは、ちょっと恥ずかし過ぎる……。そうだ、さっきあの子、綺麗なオレンジ色とか言ってたわよね……。
……私は上品な琥珀色を目指すわ……。
泡立つのも恥ずかしいから、水分を適度に取って、食生活も改善しなきゃね……。
なになに………。アンモニアの分解を促すには、肝臓機能を向上させると良い、と。芳ばしい香りを付与する為には、直前にコーヒーを飲むってのもありね……。
ひみこは、ネットの宇宙で、検索スピードを加速させていた。
とにかく運動、睡眠、ストレス管理ね。あとバランスの取れた食事が必須ね。
ひみこはドラッグストア店員、片山沙吟(27)にメールを送り、
……早速、肝機能向上の為のアドバイスを受け止っていた。
①質の良いたんぱく質を摂る
魚、卵、大豆製品
②ビタミンB、C、E、ミネラルを摂る
野菜、果物、海藻、きのこ
③糖と脂は控える
④8時までには夕食を食べる
⑤有酸素運動
ウォーキングがおすすめ!
⑥少なくとも11時までには寝る
⑦ストレスを溜めない!
う~ん。⑥と⑦が難しそうね……。でも、ひとまず他のは今日からすぐにでも取り組めるわね……。
………。
……………。
…………水守さん……、あなた、あながち間違っていないようね……。これを全部、心がけたら、心身共に、超健康になりそうなんですけど………。
これで、私のエーテルだかオーラだかは、バッチリ宇宙と調和出来るんじゃない……?
……でも、ホント飲むの??マジで?
飲んだ途端にミラージュ・ディメンション!とかは、ホント勘弁だかんね?!
……オホン。と、とにかく。今はまだいいわ……。生活を改善してからでも遅くないわ……。
それにしても天埜衣巫……恐ろしい子……。あの子のなら、ひょっとしたら美味しいかも…って思わせるところがまた何とも………。
如月ひみこは、冷蔵庫を開け、ズラリと並んだエナジードリンクを見た。
……このうちの何本かは深海ちゃんにあげよう。後のはサリーの現場にでも差し入れしよっと。
これを期に、もうエナドリはやめるわ……。とひみこは、
謎のプレアデス星人だか、ふれあい精神だかに固く誓うのであった。
セカンドライブ開幕詐欺でした。
次、開幕します。
次回、『天国と地獄』
衣巫「さよなら少女」
ひみこ「Kaimetsu☆Sensou!」お楽しみに!




