井74 会合
……その女性が着ているごわついた黄色のワンピースは、
弥生時代から出てきたかのような、粗い麻の生地で織られていて、腰の所はきつく縄のベルトで絞られていた。
それでも、彼女の履く黒いストッキングと、この黄色いワンピの組み合わせはとても鮮やかで、
これを、きちんとした現代的なファッションに見えさせることに成功していた。
女性の胸元には、青い勾玉の首飾りが提げられて、指には貝殻をくり貫いて作られた白い指輪を。耳には二枚貝のイヤリングを付けている。
痩せた細い首。彼女の化粧っ気のない顔の中で、細く黒い眉だけが、剃られた天然の眉の上に、唯一人工的に描かれていて、それはどこか呪術的な入れ墨のようにも見えた。
顔は整っているが、特別美人というほどではない。ただそのかんばせには、長い間、人の目に触れる仕事をしてきた人間の、ある種の毅然とした美しさがあった。
彼女は髪を流行りのたまねぎヘアのポニーテールにしていて、糸のように細い前髪をおでこの上に散らしている。
そして彼女は、意識的に微笑みを絶やさないようにしながら、……かと言って誰に対しても微笑みかけていない雰囲気を醸し出しながら…、どこか超然とした風情で、21階立てのビルディングに入っていった。
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パンドラプロダクションの17階にある応接室のソファで、彼女は腰を下ろしながら、最新号のミコ☆ポチのページを捲り、どこか退屈そうに飛ばし読みをしていた。
「あ、あの……失礼ですが……」
急に声をかけられて、彼女は雑誌から顔を上げる。
……彼女の目の前には…、
四段重ねのピンクのティアードスカートの上に、銀糸が織り込まれた(プレゼント梱包材のような素材の)白いセーターを着た、
栗色に近い長い髪の少女が立っていた。
この少女は……何故か顔におかめのお面を被っていて、…その両端には小さなレースのリボンを帯状にぶら下げている。
「あの、突然、声をおかけして申し訳ごさいません…。さきほど貴女を廊下でお見かけしまして……。失礼ですが……水守 らいか さんでいらっしゃいますか? 」
話しかけられた女性は、始めこそ驚いた顔をしていたが、やがて(ああ)と目を見開き、
「ええ、そうよ……、そういうあなたは、もしかして……天埜衣巫ちゃん?」と言って立ち上がった。
「はい。わたし、パンドラプロダクション所属アイドル、天埜衣巫と申します。あの……、わたし、永久のディーヴァが昔から好きで……。」「あら、私こそ、うふっ。今話題の歌姫にお会い出来て光栄だわ。……でも、あなた……。見たところジェネシス推しっぽいけど……、」水守らいかと呼ばれた女性は自分の体を見下ろした。「ラビリンスの中の人で良かったのかしら?」
「い、いえ、そんな……」と衣巫はお面の下の首を真っ赤にして、顔の前で手のひらをブンブンと振った。
「うふふ。意地悪言ってごめんなさいね……。でも、ホントよ。あなたって、すごくジェネシスっぽいわ。……正直、アニメの外で、ここまでジェネシスっぽい女の子なんて見たことないわよ?おそらく、永宮もそう言うんじゃないかしら?」ユグドラ・ラビリンス役声優水守らいかは心の中で、……顔見せなしで、この美少女オーラ……。パンプロの最終兵器はただ者ではないわね……と考え、衣巫のことを感心したように見つめていた。
……でも、なにか……。この子、グラウンディングが揺らいでいるような……。どうやら宇宙との繋がりが弱くなっている部分があるようね……。強いオーラを持っているようだけど、アストラル体が歪にも感じられるところがあるわ……と、水守らいかは目を細めて考えていた。
「きょ、今日は、永宮さんも来てるんですか…?」
「あら、ごめんなさいね。今日は私だけなの。……この前ね、ディーヴァのお仕事の後、如月ひみこちゃと約束してね。……今日はあの子にプライベートで会いにきたのよ?」
……この前の声録りの仕事の後、ひみこちゃんたら、若いのにエナジードリンクをガブ飲みして荒れてたわね。仕事の悩みを愚痴ってたけど、あれは、きっと…それだけじゃないわね……エネルギーフィールドの色が弱くなっているだけじゃなく、あの子の場合は、カルマも関係しているのではないかしら。……にしても、あれね。約束の時間を随分過ぎたみたいだけど……ひょっとして忘れられてる?!
あの子、相当飲んでたから……。
「あ、水守さん。それでしたら、わたしも先輩と約束していたので……呼んできましょうか?」と衣巫が言う。あの……ひな先輩……、わたしも時間過ぎてますが……。て言うか、ここで待ち合わせって、水守さんとの約束と被ってませんか??失礼過ぎやしませんか?
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スマホを鳴らすこと数分。
如月ひみこがパンプスからパタパタと音を立てながら、入室してきた。
「ス、スミマセン……水守さん!遅くなりました……」
「お早う、如月さん。」「ひな先輩?お早うございます。」
ちょ、ちょっとイヴちゃん?真名で呼ばないでくれる……。
ひみこは、ちらっと衣巫の顔を伺うと、おかめのお面が笑顔のままじぃ~っとこちらを見ているのがわかった。
……ヤバ。これは相当怒っていらっしゃるわ……。ひみこは背中に冷や汗をかき、助けを求めるように、水守らいかの方を見た。
「いいのよ。ひみこちゃんは忙しいでしょうから。……でも、どうする?……衣巫ちゃんも、今日は一緒にお話する?」と、らいかが微笑みながら言う。
「お話って……、先輩?今日は水守さんと何かお約束をしていたんですか?」衣巫がそう言うと、「ええーっと……」とひみこが目をさ迷わせながら言う。
「今日はね。」らいかが、自分は立ったままで、2人の少女に向かって座るように促しながら言った。
「ひみこちゃんが、よりイキイキとしたアイドルになれるよう、私、お手伝いしにきたのよ。ほら、やっぱりトップアイドルともなると、他の人達ではぶつからないような壁や、普通の人では決して気付くことのないような悩みなんかがあるでしょ?……この前、ひみこちゃんとお話ししている時に、私はそれを強く感じたの。……だからね?何か困っていることがあれば、相談に乗りましょうか?て聞いたら、ひみこちゃんが是非に。と言うので……、
今日はここに会いにきたってわけ。」
……そ、そうだったかしら……?ひみこは居心地が悪そうに、衣巫の横でお尻をもぞもぞとさせながら、どさくさに、おかめのお面の少女の横顔を盗み見ようとしていた。
衣巫は、「そうなんですか……。あの、先輩?」「は、はい?!」「わたしも一緒に、水守さんのお話を聞いても宜しいですか?」「え?……べ、別にいいけど……、水守さんさえ良ければ……」
水守らいかは、ニコッと笑うと、今までやんわりと少女達から外していた視線を、「じっ」とこちらに向けてきて、「ええ、構わないわよ。…衣巫ちゃん?……あなたも、何か困っていることや、本当になりたい自分、……これからやりたいこと、何か不安に思っていることなんかがあるのなら……私、聞くわよ?」と言った。
「……私はね。ヒーラーなの。」
「………はい?」ひみこが思わず裏声で返事をする。
「高次元な自己実現のためにはね、私達は肉体に対してアチューメントしないといけないの。そのお手伝いをするのが、私達のようなヒーラーの役目。」
「そ、それってディーヴァ用語か何かですか……?」恐る恐るひみこが、手を挙げながら質問すると、
(違うわよ…)と衣巫が、冷たい目線をおかめのお面の下から送ってくるのを感じた。
「うふふ。まあ、でもね、私達の棲むこの世界はディーヴァの世界と似ているところもあるかもしれないわね?」と、らいかが言う。
「そうなんですか?」と衣巫が前のめりになって聞いてくる。
「そうよ。ディーヴァの世界は、原作者のママレード犬さんが、アカシックレコードにアクセスして書いたとしか思えない、精神的な考察で満ち溢れているわ。……私なんかはね…それを読み解き、視聴者に伝わるように演じていくのが、声優の務めの一つだと思っているのよ。」
おおっと……。これ、大丈夫かしら…?ひみこは隣に座る天埜衣巫の袖をつんつん、と引っ張った。
「なんですか、先輩?」
「いや、その……、アンタ、大丈夫かな?って…」
衣巫が少し肩を落として「……実は……、あんまり大丈夫じゃないんです……」と小さな声で言う。
自称ヒーラー、水守らいかは「あなた達にいいことを教えてあげる。…自分の人生はね?自分自身の内なる力を使ってしか変えることは出来ないの。自分のエーテルを導くのは、あなた自身なのよ。」と言って笑った。
しきりに袖を引っ張ってくる先輩を無視し、衣巫は、「その……自分を変えるには…どうすればいいんですか?」と聞いた。
「そうね。それにはまず、自分が何を望んでいるのかを把握することね。そして、それを言葉にしてきちんと外に出すの。これは、アファメーションって言ってね、自分の運命を引き寄せる大切なやり方なの。……あなた達も、自分の望みを口に出して言ってご覧なさい?」と、らいかが、ソファに座る少女達に優しげに声をかける。
………。少女達は顔を見合せて、黙っていた。
「……まあ、そう簡単には自分の悩みや、弱点をさらけ出すことは難しいわよね?だからこそ、なの。それを克服した自分の姿をきちんと具体的な言葉にして、エーテル体に理解させるの。インテンションを提示することで、あなた達は世界を変える力を獲得することが出来るのよ。」
らいかの言葉を聞いて、衣巫はじっと考え込んでいるようだった。
「ひみこちゃん?」「は、はい!?」らいかに話しかけられて、ひみこはソファから飛び上がった。
「あなた、前に話した時、『大人の女性になりたい』って言ってたと思うけど…」……やだ、なに?私、そんなこと言ってたの……。
「それは、第一チャクラと関係していると思うわ。ひみこちゃん、あなた、第一チャクラ周りで最近何かなかった?……だとしたら、きっともうすぐよ。あなたの望みはきっと叶うはず。今やっていることを信じて続けなさい。」
第一チャクラってなによ……。
ひみこはそう思ったが、後程、部屋に帰って検索し(※)、赤面することになる……。
※ご存知ない方は検索してみてください。ただしスピリチュアルに耐性のない方もいらっしゃると思いますので、自己責任でお願いいたします……。
「ひみこちゃん、あなたはもしかしたらプレアデス星人なのかもしれないわね。」
………。もう、帰っていいかしら……。
「あなたは、人とうまく馴染めないんじゃない?それは、あなたが遠い宇宙の出身で、地球のルールにうまく馴染めないからかもしれないのよ。……でも、あなたはいつも楽観的で前向きな性格よね。あなたの悩みは、人から本当の意味での正しい評価を欲しているけれど、それを得られず苦しんでいる、ということ。……違うかしら?」
そりゃ、当たっているって言えば当たってるけどさ……。
「……わかるわ。あなた達の年頃じゃ、素直になれないものよね。それなら、……私がいいことを教えてあげるわ。
さっきまで私が説明していたようなことは、本来、長い時間の勉強と、自己研鑽が必要なことだから……なかなか一朝一夕に、てわけにはいかないものなの。そんな、あなた達に!朗報があるの!これがあれば簡単に!誰でも第一チャクラ、別名ムーラダーラチャクラからの気の流れを身体に循環させることが出来るの!」
こ、これって、マズイ流れじゃ……。何を売りつけられるの?
壺?ペンダント?謎の石?磁気ネックレス??
イヴ!騙されちゃダメよ……!!
焦るひみこの目の前に、水守らいかが、自分のバッグから取り出したのは………、
……白い紙コップだった。
なにそれ?
2人の少女はそれを手渡され、指先で恐る恐る側面や裏側を観察し、内側と外側に目盛りが印刷されているのを、不思議そうに見つめていた。
「こ、これは?」衣巫が、少し震える声で尋ねる。
「あら?見たことない?……そうね、あなた達の歳なら、これを見たことないとしても無理はないわね。……うふふ。お姉さんくらいになるとね、これは毎年、健康診断で見るお馴染みのコップなのよ。」
「で?」ひみこは嫌な予感に眉をしかめながら、思わずタメ口で聞き返した。
「つまりね。第一チャクラから放出された生命エネルギーをそこに溜めた後、再び口から取り入れて循環させるのよ。そうすることで、あなた達の身体の中心を通るコスモストリームが滞ることなく流れるようになり、それを何度か繰り返していく中で、あなた達は、本当の意味で自分をコントロールすることが出来るようになるの……。」
おおっと!?それ、ひみこも危うく騙されかけたやつ、(て言うか自分で誤った民間療法を信じただけだけど……)
と、とにかく思い出すと死ぬ、あれと同じやつじゃ?!
実はあれから何度か相談に乗ってもらっていたドラッグストア店員、片山沙吟さん(27)曰く……、ハンドクリームのにょう素は、自家製だとダメらしいんですよ!奥さん!私、それ聞いて死にかけましたよ、ホント!
民間療法って怖いですねー!!らいかさん!あなたの話も、それとおんなじやつじゃないですか?!
……らいかさん?あなたわかってますか??ユグドラ・ラビリンスの声で言われると、説得力が凄いんですよ??大丈夫?私達、ミラージュ・ディメンションされてません?
ひみこはアハハハ……と笑いながら、いやあ、ありがとーゴザイマスゥ……と紙コップを受け取ってみせたが、
横に座った天埜衣巫のどこか真剣な様子を見て………
ま、まあ、あれよね。これって、自己責任だしね……。しーらないっと。
と、目を逸らし、…え~っと……私がなに星人ですって……と密かに配信用のネタを考えるひみこであった。
次回、『ウルズの水』
次回が楽しみで仕方がない時は、
プレアデス星団に祈りながら、そこの星マークをタップしてみて下さい!




