井72 戻ってきた日常
「聞いた!?」井上咲愛が、興奮して斉藤水穂の机に、手をバンと置く。
「お、おはよう、な、なによ?」と水穂が読んでいた占いの本を閉じながら言う。
「剃髪魔が捕まったって!!」「マジ??あ~良かったあ~」と水穂はそう言うと脚を突っ張って、背もたれに体を押し当てた。
「それがさ!ヤバいのよ!」咲愛の声が小さくなる。「……双葉さんと高嶺真愛が襲われたらしいのよ……」
「ちょっと、その話、詳しく聞かせて…」
いつの間にか咲愛の後ろに、美少女学級委員、赤城衣埜莉が、淡い栗色のストレートの髪をふわりと光らせて、微かに青みを帯びた瞳をこちらに向けて立っていた。
「「衣埜莉ちゃん!」」2人の取り巻き少女が嬉しそうに声を上げる。
最近、衣埜莉は忙しそうで、全然2人に構ってくれない為、
水穂と咲愛は、ここぞとばかりに彼女らのボスを囲って、興奮して喋り始めた。
「ヤバいみたいよ……、高嶺真愛を庇って、双葉さん、髪を丸坊主にされたらしいわよ……」と咲愛が言うと、「マジで??高嶺真愛はどうなったの?」と水穂が小声で囁く。
「どうやら、血まみれだったらしいのよ。顔をぐしゃぐしゃに潰されて、鼻と前歯を折られていたんだって……2人とも救急車で運ばれたそうよ……」
「……それ、どこから仕入れた情報なの……?」と衣埜莉が、心なしか震えているような声で言った。
「え?1組の進藤綾香ちゃん。犯人が捕まった公園のすぐ近くに住んでるから、警察が来てからずっと見てたらしいよ。」
「……やば。双葉さん、可哀想……。」と水穂が言う。
そこへ青ざめた顔をした村田知佳が飛び込んできた。「う、うそだよね??そ、そんな……だ、だって、和歌名ちゃんが………うそだよね?真愛ちゃんが…そんなは、は、はずない……!」知佳は前髪にあるタータンチェックの髪留めを手で押さえながら叫んだ。知佳は目からぽろぽろと大粒の涙を溢れさせながら、
咲愛の腕を掴んで無茶苦茶に引っ張っていた。
「な、なに?やめてよ!!」と咲愛は知佳のことを引き離そうとするが、
知佳はわあわあと泣き喚きながら、咲愛の袖を離そうとしなかった。周りの生徒達もこのニュースに、どう反応していいか分からず、不安そうに、近くにいる者と顔を見合せている。
赤城衣埜莉が、知佳の背中に優しく手を添え、「信じたくないわよね……」と言って、自分も涙を溜めた瞳で水穂のことを見た。
水穂は、衣埜莉がそんな表情を見せたことに驚き、……また、そんな表情をさせた双葉和歌名という存在を、……改めて不快に思い…….、丸坊主か……と、秘かに優越感に似た感情を覚えていた。
と、その時、教室の前の扉の方で、ワアッと歓声が上がり、生徒達がそちらへ集まるのが見えた。
衣埜莉がちらっとそちらの方を見やり「は?なによ……」と言うと、水穂と咲愛のことを、やれやれといった顔で見て、「じゃ、わたし、席に戻るわね」と言ってスタスタと歩き去っていってしまった。
水穂と咲愛も教室の前の方に出来た人だかりの方を見る。首までびろんびろんに伸びた咲愛の上着を引っ張りながら、知佳もそちらを見る……。
……そこには、生徒達に囲まれた双葉和歌名と、高嶺真愛がいて……、
和歌名は、バンダナのように額に巻いた包帯の上から、はみ出させたくせっ毛をポリポリと掻きながら、真っ赤な顔をして笑っていた。
真愛は、鼻の上に一文字に絆創膏を貼っていて、艶やかな黒いツインテールを、ぴょんこぴょんこと揺らしながら、「我らが英雄わか様のお通りだあ!さあ道を開けい!!」と叫んでいた……。
「和歌名ちゃん!!真愛ちゃん!!」
村田知佳は、ほとんど躓きながら走り出したが、すぐに人混みに遮られて立ち止まってしまった。
「あ、知佳ちゃん!」と和歌名が言うと、
さっ、と生徒達は道を開け、
満足そうに真愛が頷いているのが見えた。
「あ、さっそく髪留めしてくれたんだね?」と和歌名が言うと、
知佳はその場でまた泣き出してしまった。
「し、しんぴゃい、したよお……わきゃなちゃぁぁん………」
「ご、ごめんね……?知佳ちゃん。心配した?」「大丈夫!和歌ちゃんは不死身よ!」と真愛が誇らしげに親友の顔を見る。
その時、教室の後ろの扉がガラッと開き、
松葉杖をついた早川雄大が入ってきた。
「早川くん?もう大丈夫なの?」
と和歌名が声をかける。
「聞いたぞ、双葉。お前ら大活躍だったみたいじゃないか?」
「そうよ!アンタがおうちでおねんねしている間に、和歌ちゃんは、大事件を解決したばかりか、……犯人まで捕まえちゃったんだからね!探偵団のリーダーが聞いて呆れるわ!」
「真愛ちゃん?」と和歌名が怖い顔をして睨んできて、真愛は、知佳のことを見ると(いっけね……)と後ろへ下がった。
「……今そこで聞いたよ……。」と雄大が急に真面目な顔をして言う。
「犯人は、柿本先生だったって……。おい、双葉、本当なのか?」
生徒達がさわめく。
「早川!アンタなんでそれ、言っちゃうのよ?バカなの?」真愛が青ざめながら言う。
和歌名も表情を失い、……血まみれの柿本先生の、髪が所々剥げた痛々しい姿を思い出していた。
そこに「ほら、皆さん静かに!」と、
低く透る声が響き渡り、教室に東三条先生が入ってくる。
「さあ、いったん席について……!」と、大きな手をパンパンッと叩き、教卓の両角に手を置いて教室を見渡す。
……わらわらと生徒達は自分の席に散っていき、
チャイムが鳴る前に、全員が席についていた。
東三条先生が、すうっと息を吸い込む。
「……皆さんも、もう話には聞いていると思いますが……、」東三条先生が、厳かに、または少し怒ったような顔をして、ゆっくりと話し出した。「うちの学校の生徒2名が、……今回の連続剃髪犯の逮捕に協力したと聞いています。」
前の席で、真愛がえへんと、絆創膏のついた鼻を上に向けて満足そうに微笑んでいる。
「確かに、勇気のある行動でした……。しかし、です。同時にこれは大変危険なことでした。うちの生徒には……二度とこんなマネはしてほしくありません。とても残念です。2組の牧田さんも、幸い軽い怪我で済みましたが、……心に残った傷を思うと……、先生は悲しくて仕方ありません……」
和歌名も真愛も、シュンとして俯いてしまう。
「まあ、何はともあれ、無事でよかった……ただ、残念なのは……あの、柿本先生が、事件の犯人だった……ということです。
当然、私達教員は、このことを生徒に知らせない、ということも考えました……。しかし、うちの学校に当事者がいるかぎり、このことが噂話として拡がっていく可能性を考慮し……
それならば、先にきちんと事実を伝えておくべきだと考えたのです。 」
ざわつく教室内。
「今後もニュースなどで、今回の事件の詳細は明らかになっていくでしょう。……それでも、皆さんが、きちんと事実に向き合い、噂や嘘に惑わされないように、先生としてもお手伝いしていくつもりです。……早く日常が取り戻せるよう、私達教員側も全力を尽くすつもりです。」
そこで予鈴が鳴った。
「さて。」と東三条先生が手の中に持ったファイルの角を、教卓の上でトントンと揃えて、少し明るい顔になって言った。「皆さんの心のケアと、私自身の仕事の補佐も含めて、今日は、新しい教員業務支援員の方を紹介したいと思います……。」
和歌名と真愛。咲愛と水穂。雄大と知佳らは、自分の席で体を捻って、顔を見合せた。
「どうぞ、入ってください!」東三条先生がそう言うと、
緩やかな、コットンレースのクラシックなロングワンピースを着た女性が、ふわりふわりと歩いて入ってくる。
その、まるでマタニティードレスのような服の中で、大きなバストとヒップを揺らし、パーマをかけた亜麻色に近い、柔らかそうな髪を鈍く輝せて、手の甲でふわさっと、後ろに跳ねのける。自信に満ちた笑顔……その反面、彼女のほっそりとした首や腕は、女性の重たそうな身体の部分を支えられるのか、心配になるくらいに華奢で、頼りなく見えた。
「皆さん、おはようございます。……うちは、いえ、私は、橘華雅美と申します。ここにいらっしゃいます東三条先生とは、古くからの知り合いでして……、しばらくの間、主にこのクラスの教員業務支援員を務めさせていただきますので………どうぞ、宜しくお願いいたしますう。」
クラスの女子達は、思わず、彼女の規格外の胸に注目し、男子達は赤面して目を逸らした。
学級委員の赤城衣埜莉は、フン、と彼女を見下すような目で軽く確認し、
すぐに手元の教科書に目を落とした。
「うちは、実は高校までしか卒業してへんの。」すぐに華雅美は砕けた様子で自己紹介を始める。「だから本当の先生ではおまへんから、皆さんは……うちのことを『橘さん』、とでも呼んでくださいね?」
……あ、あの人、田丸運輸で東三条先生と一緒にいた人じゃ……。あの時……わたし、意識が朦朧として……、よ、よく覚えてないけど……。
と知佳は眼鏡の中で目を細めて、彼女のことをじっと見つめた。
……目が合うと、華雅美は(その節は……)といった感じでニコッと微笑み返してくる。
慌てて知佳は俯いて目を逸らしていた。
「早く、みんながな、平穏な日常に戻れるよう、うちも目一杯協力させてもらいます。きばりまっさかいよろしゅうたのんますう……」
……に、日常って……。うちのクラスの日常……情報量が多すぎる……。
知佳は今日の朝だけで起こった出来事を考え、目の回る思いをしていた。
……そこで、教室の前側の扉が三度……ガラッと開いた。
静かに入ってきたのは……
黒いサロペットスカートから伸びたサスペンダーを、淡いクリーム色の長袖ブラウスの肩から吊り、大きく編んだ2本の三つ編みを胸の前に垂らした、愛らしい少女だった。
フリルのついた大きめの襟の中央から長い黒いリボンをお腹の辺りまで垂らし、ラッパ状に膨らんだ袖口から細い指を少し見せ、
リボンの形を整えている。
ランドセルは茶色。スカートは長めの膝下で、白い簡素な靴下をくるぶしまで履き、その上に少女は卸したての真っ白な上履きを履いていた。
え?こ、この期に及んで転校生?……情報量の多さに、完全にキャパオーバーしながら、知佳は少女の顔を見つめ………、
し、宍戸さん?!
と唖然として…、すぐに周りの反応を確認しようと、みんなの顔を見回した。
「さやかちゃん!!」真愛が嬉しそうな声を上げる。
赤城衣埜莉も、さすがに驚いた顔をして、口をあんぐりと開けている。……そんな自分に気付いて、慌ててマスクをした。
和歌名も、泣きそうになってる自分に気付いていた……。
……さやかちゃん……、ようやく戻ってきたんだ……。良かった。本当に良かった……。
東三条先生は驚いた顔をして、体を固くしている。
新任の橘華雅美は、ぎょっとした表情で、思わず東三条の袖を掴んでしまっていた。
……宍戸さやかが、感情の乏しい顔を東三条先生の方に向ける。
「オ、オホン……」と東三条先生が取って付けたような咳払いをして、「お、おかえり……」と言った。
さやかは、生徒達に背を向けて、2人の大人だけに向かってニッコリと微笑むと、すぐに真顔になって、自分の席に戻っていった。
「さやかちゃん、……おかえり。」と、隣の席に座る和歌名が声をかける。
「……ありがとう……。ねえ、双葉さん。」「なあに?」「その……、柿本先生、どんな様子だった……?」
和歌名は何と答えようか、一瞬迷ってからこう言った。「……もうね。別人みたいだったよ……。あれはもう柿本先生じゃない。別な人……。だからね……わたし、みんなが知ってる頃の、柿本先生の思い出だけに…しておくのがいいと思うの。」
その答えに、宍戸さやかは、どこか満足そうに頷き、
「そう。」とだけ呟くと、東三条先生の方に向き直るのだった。
次回、『セカンドライブ』
次が楽しみだな、と思ってくださったそこのあなた!
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