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井71 正義の味方


双葉和歌名(ふたば わかな)は、昔から、よく男の子に間違えられた。


彼女は同年代の子供達よりも背が高く、肩幅も広い。それに加えてくせのある短い髪は、手入れを怠ると、外国の少年のようにくるくるとした巻き毛に近くなってしまう。

そのせいで和歌名は、『古い少女漫画に出てくる美少年』みたいなシルエットをしていたが、

反面、目は切れ長で、眉も細く、

その点は、どこかヤンキー漫画の登場人物のようにも見えた。

この自分の細い目が、和歌名は大嫌いなのだが、

他人が見れば、意外と長い睫毛のおかげで、案外目の細さは気にならないし、

……くだらないジョークに対してたまに見せる冷たい目線は、他者をどきりとさせるに十分な魅力があった。

だが和歌名本人にとってこの睫毛は、奥二重のせいで、いつも目に入る悩みの種でもあった。


彼女の鼻は大きくて、細長くて高い。唇は薄く、頬骨から顎にかけてのラインは精悍で、そのギリシア彫刻のような(言い過ぎ)左右対称の顔は、クラスの女子達を赤面させるパワーを持っていた。


なので和歌名が、校外で、市営プールや御手洗いに行く時は、

……必ず二度見された。見知らぬおばさんに「ここは女性用よ!」と叱られたことは数知れず。説明するのが面倒な時は、泳ぐのを諦めたこともあった。


だが、本当に困るのは御手洗いの方だ。


最近は、高嶺真愛(たかね まな)とほぼ毎日行動を共にすることで、その問題は解決できていたのだが、

逆に真愛が一緒にいる時にしか御手洗いに行けないので……近頃は、真愛ちゃんがいないと、御手洗いに行く気にもならなくなってきちゃったよ……と和歌名は考えながら、……これってパブロフの犬状態かな、と若干不安にも感じていた。

……御手洗いに行きたい自覚がない時に、ふと真愛ちゃんに出会ったとする。そうすると…、その……、真愛ちゃんの髪のシャンプーの匂い?それともお洋服の柔軟剤の匂い?はたまた真愛ちゃん自身の、女の子の匂い?で、急に和歌名は手を洗いたく(▪▪▪▪▪▪)なってきてしまうのだ。

真愛ちゃんもそれに気付いているのか、いないのか……よく私の顔を見るなり、「和歌ちゃん、御手洗い行こっ」と誘ってくる……。


……まあ、でも、これは共生?的な側面もあるんじゃないかしら。蟻とアブラムシのように……。あれ?どっちが蟻で、どっちがアブラムシ…?


……真愛ちゃんは小さい頃、ちょっといじめられていた。…多分、肌の色が違うから。なんのかんの言って、こういう差別?仲間外れ?みたいなことは、結局存在するし、世の中からはなくならないのだろう。

比較的小さい頃からわたしは、そういうことが悪いことだと知っていたから、真愛ちゃんとも友達になることに抵抗がなかったけど、

幼稚園はすでに、偏見と仲間意識とプライドと嫉妬の巣窟だったように思う。


わたしは、真愛ちゃんのことで、他のおともだちとよく喧嘩をした。まあ、真愛ちゃんも加わって、どっちかって言うと真愛ちゃんの方が暴れていたけど……。

とにかくわたしは、真愛ちゃんの味方になることが多かった、…のかな?


そのうちに真愛ちゃんが大きくなってくると、別な意味で彼女を守る必要が出てくることになった。


真愛ちゃんは……、めっちゃ(▪▪▪▪)可愛かったのだ(▪▪▪▪▪▪▪)


寄ってくるのは男子だけではない。女子だってわさわさと近寄ってきた。

真愛ちゃんは、口では強いことを言っていたが、……いつもわたしの後ろに隠れて、袖をぎゅっと握ってきた。


真愛ちゃんは、のっぽの私を、防風林(▪▪▪)か何かだと思っているのだろう。

真愛ちゃんの小さな身体が風に飛ばされないように、わたしがヌボーッと立っていてあげれば…、

真愛ちゃんがわたしを御手洗いに連れていってくれる……。見事な共生関係だ……。


***************


団地の下で、和歌名と真愛は、

村田知佳(むらた ちか)への誕生日プレゼントを手渡していた。

「おめでとう。」と和歌名は、ギンガムチェックの包装紙に包まれた箱を差し出し、

知佳がそれを開けると、

スコットランド風のタータンチェック柄の前髪クリップと、同じ柄の手帳とペンのセットが出てきた。「探偵コーデだよ。」と和歌名が言うと、知佳は照れ臭そうに笑った。

「わたしは……」と真愛が出したのはランドセルにパンパンに詰めてあった緑色の包み紙で、(それ、クリスマスの柄じゃ……)と和歌名は思ったが黙っておいてあげた……。

「ありがとう。」と知佳が言い、「開けてみて?」という言葉に促され、この包装紙も破かないように慎重にあけていくと、

中からスケッチブックと色鉛筆のセットが出てきた。「フランス製よ?」と誇らしげに真愛が言う。

「村田さんのイラスト、可愛いから、また今度見せてね?」……こくり、と知佳が(うなず)く。……何度か描いているうちに、知佳の描く御手洗(みたらい)さんはキャラ化(▪▪▪▪)していき、いまや彼ら(?)秘密少年探偵団のマスコットキャラクターになりつつあった。真愛は、あれ商品化してほしいわあ、と大真面目に考えていた…。


「じゃあね。……あ、早川くん、早く元気になるいいね?」と和歌名が言うと、

知佳は「ん」と恥ずかしそうに(うつむ)き、(これ、マジだわあ……)と真愛が眩しそうに彼女を見ていた。


***************


双葉和歌名と高嶺真愛は、川沿いの道をまわって、帰路についていた。

もう他の地区の集団下校班の生徒達の姿も見えず、

あの事件の影響で、外で遊ぶ子供の姿もなく、逆に通学路も人気(ひとけ)がなくなり、より危険になったようにも思われた。


「児童館もお休みだって。」と真愛が言う。

「早く捕まってほしいね」と和歌名が言い、遠くを走る救急車の音に耳を澄ませた。

「警察もパトロールを強化してるって言うし、すぐに捕まるよね?」と真愛が近くに寄ってきて、和歌名のジャンパーの裾を掴む。

……真愛の、甘い女の子の匂いが鼻腔をくすぐり………。


………。


……やば。なんか御手洗いに行きたくなってきちゃった……。

……ん~と。……やば、我慢できないかも……。


「和歌ちゃん?どったの?」


和歌名は川沿いの広場にある子供広場のことを頭に思い描いていた。


……あそこなら、いつも赤ちゃん連れのお母さん達がいるし、ひらけているから、見通しだっていい。……お正月は凧上げできるくらいだし……。


「真愛ちゃん?ちょ、ちょっと第2子供広場に寄ってこ??」

「え、でも寄り道は駄目だって、東三条先生も言ってたよ。早く帰ろうよ」

「ごめん、ちょっとだけ!」と言って和歌名は真愛の手を掴むと、強引に走り出していた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


……ふう。


あ、やっぱりベビーカーがいっぱい来てる。砂場にもママ達がいっぱいいるし、大丈夫……。

和歌名は「真愛ちゃん、御手洗い行こ?」と言って、コンクリート造りの四角い建物へ向かっていった。

「和歌ちゃんて、最近、御手洗い近いよね?」と真愛は言い、「アハハいいよー、わたしがいないと和歌ちゃん痴漢で捕まりかねないからねー」と、親友の肘辺りに腕を回すと、

嬉しそうに2人で連れだって、直方体の入り口をくぐっていった。


ーーーーーーーーーーーーーーー


「あ、和歌ちゃん、ちょっと待っててね」

と言って真愛はハンカチポーチを(あさ)りながら、個室に入っていく。

「どうかしたの?」手を拭き終えた和歌名が声をかける。

「えーと、その、和歌ちゃん、あれ(▪▪)だよ、……その、鼻血!」

あ、そうか……。と頷き、和歌名は「わかった、じゃ、外で待ってるね。」と言って「そっかー、だよね~」と(つぶや)きながら外へ出ていった。


……外に出ると、

いつの間にか子供連れのお母さん達はいなくなっていて……、急に暗くなってきた空に対応して、広場に立つ街灯に明かりが灯り始めていた。


忘れられた緑色のプラスチックのシャベルが、砂場に転がっていて、……今しがたまで遊ばれていたブランコがまだ少し揺れているのが見えた。


「真愛ちゃん?」


「ねえ、真愛ちゃん?まだ?」


「早く帰ろ…」


「真愛ちゃん?聞こえてる?」


……胸騒ぎがした。


違和感。


わたしは……


何かを見て、何かを見落とした……。


壊れた洗面台の鏡。


違う。


床に落ちた缶ジュース。


違う。


個室……3つ並んだ個室の


向かい側の列……一つだけ!閉じていた!

「真愛ちゃん!!」



和歌名は無我夢中で、脚をもつれさせながら走った。


……閉まっている個室!あれ!?真愛ちゃんの入った所は空いてる!でもさっきの所は閉まっている!!


和歌名は三段跳びで格子状の細かいタイル模様の床を蹴り、一気に洗面台に飛び乗ると、

バキッと台を(へこ)ませながら、高く跳躍した。


そして、ぎりぎり壁に足を引っ掛けながら、個室の上の空いたスペースにしがみつき、「真愛ちゃん!!」と叫んだ。


……そこでは、口にハンカチを噛ませられた真愛が鼻血を流しながら、上を見上げ、

今にもバリカンを持った()の手が、真愛の髪を刈り込もうとしている瞬間だった。

電動バリカンが唸りを上げ、真愛の額の生え際を襲う。「真愛ちゃん!」和歌名の声を聞き、真愛が縛られた脚を使って精一杯の力で女の腹を蹴る。


それを合図に、和歌名は勢いよく狭い個室に飛び込んだ。そして、驚くべき冷静さで、女の顔の中央に向けて踵を叩き落とした。そのまま追い討ちをかけるように、膝を女の顎に向かって蹴り上げる。

女の最後の抵抗で、バリカンを持った腕が振り上げられ、和歌名の側頭部を削った。

和歌名の髪の毛が、真愛の体の上に飛び散る。「………!!」真愛が目を血走らせて暴れまわり、(もが)き続けて、

(ゆる)んで外れたハンカチの下から「…コロス……!!!」と叫ぶと、女の耳に噛みついた。


……和歌名は平然とした顔で、自分の頭の横を指で触ると、生温かい血を感じ、指に赤いものが付くのを確認した。

和歌名は改めて女の手を踏み潰し、御手洗いの中にバリカンを蹴り入れた。


そこで、始めて真愛が、女の耳を食い千切りそうになっていることに気付く……、

そして「真愛ちゃん……もう大丈夫だよ」と優しく声をかけていた。


和歌名は、自分がこんなにも冷静なことに驚いていた。

悪いことはしちゃいけない……、小さい頃からそう思っていた。

幼稚園の頃から……真愛ちゃんのことを守るのが……当然だと思っていた……。

守るって言ったって、現実にそんな機会は、……ほぼない。でも、何故か、その時(▪▪▪)が来たら、わたしは、真愛ちゃんのことを、守れるような気がしていた。

特に根拠はない。

ただ、絶対に守れるとだけわかっていた。それだけだ……。


血まみれになった耳から、真愛ちゃんを優しく引き剥がし、和歌名は脱ぎ捨てた自分のジャンパーで、ほとんど抵抗する意志を失っている女の手をきつく縛り上げた。

真愛ちゃんは、泣きながら鼻血を流し、和歌名はそんな幼馴染みの、縛られた手足の縄をほどくと、「大丈夫だよ…」と胸の中にぎゅっと抱き締めた。


「でも、でも……和歌ちゃんの……、髪が……」しゃくりを上げながら真愛が、和歌名の頭に手を伸ばす。

「ん?ああ、へーき、へーき。わたしは真愛ちゃんみたいに綺麗な髪じゃないし…」

和歌名がそう言うと、真愛はいっそう大きな声で泣き出してしまった。


……真愛を抱き締めながら、和歌名はこの剃髪(シェイブ)魔のことを見返していた。そして、個室のロックを外して、まだ少し警戒しながら後ずさる。


………。


和歌名は、この、耳と口から血を流すバンダナを(▪▪▪▪▪)巻いた(▪▪▪)女のことをじっと見つめた。


「え?」


和歌名が声を上げたのを聞いて、鼻にティッシュを差し込んだ真愛も顔を上げる。


「「柿本先生?!」」2人が同時に声を出す。

女のバンダナがするりとほどけて床に落ち、まだらに、いくつもの大きな円形脱毛症が出来て痛々しく剥げた聖羅(せいら)の頭部が(あらわ)になった。


「……ふざけるな……なんで、なんで……私ばかり、こんな目に……」


あの明るく朗らかだった、担任の柿本聖羅(かきもと せいら)先生が……、変わり果てた姿で、縛られた手を和式便器の中に突っ込んで、がに股になって臀部を床に付け、洋服を自分の血で真っ赤に染めていた。

「全部、全部、お前らが悪い……、お前らみたいなガキに付き合った…私がバカだったんだ……」そう言うと、聖羅は、壊れたようにクスクスと笑い出した。


和歌名は、床に落ちていた、画面の割れた彼女のスマホを拾い上げると、見よう見まねで、ロック画面を無視して、緊急通報を(おこな)った。


その後、和歌名と真愛は手を繋いで立ち上がり、警察が来るまでの間、かしいだ洗面台に水を流し、顔についたお互いの血を洗い流し合うのだった。

次回、『戻ってきた日常』

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