井66 少年探偵団再始動
ピンポーン
1度目のチャイムには反応がなく、
2度目に鳴らしたチャイムの後、錆びた青い扉の向こうで、微かに人の動く気配を感じた、その矢先、
鍵をガチャリと外す音がして、扉がこちらに向かって開いた。
「は、早川くん?!」村田知佳が驚いた顔をして首を出すと、すぐに玄関にあったサンダルを突っ掛けて廊下に出てきた。
「ど、どうしたの?あれ?他の…みんなは?」
「ああ、双葉達は帰ったよ。」「どう、…したの?」と知佳が自分の体を見下ろしながら言う。
「え?ああ、俺もよくわかんないんだけどさ、その……村田、ちょっといい?」
「え……」「あのさ、……外、寒くてさ」「うん…」「……手洗い、借りていい?」
**************
御手洗いから水が流れる音がし、早川雄大が、遠慮がちに洗面台で手を洗っているピチャピチャという音が、扉の向こうから聞こえてくる。
知佳は、気にしないようにしながらも、耳を澄ませてしまっている自分に気付き、顔を真っ赤にしてかぶりを振り、ほとんど涙目になりながら、必死に耳をウェットティッシュで冷やそうとしていた。
「サンキュー」雄大がまだ湿った手のひらを自分のズボンで拭きながら出てくる。知佳は目を逸らしながら「……そ、それで、は、早川君は……うちに御手洗いを借りにきただけなの……?」と言った。
「ああ、違う違う。そういうわけじゃないんだ。あのさ……村田……」「は、はい……!」知佳は思わず背すじをピンと伸ばして食卓の椅子の背もたれに、背骨を押し付けていた。
「……その……、お前さ、なんか、あった?」
「……」「……」
2人の間に沈黙が広がる。知佳のうちにある秒針の音がはっきり聞こえる壁掛け時計が、
カチッカチッカチッ……と時を刻む。
「……ほら、なんのかんの言ってさ、お前、仮団員とはいえ、貴重な秘密少年探偵団の団員だろ?」沈黙を破って雄大が口を開く。
「もしさ、なんかお前が困ってることがあるんならさ……」雄大は人差し指で頬を掻く。「遠慮せず、言いなよ。俺、相談に乗るぜ。……だいたいさ、探偵ってのは元々人の依頼を解決するのが仕事だしな……て、おい?!」
雄大の目の前で、知佳はぽろぽろと大粒の涙を溢して泣いていた。
「早川くん………。」「おい、おい、なんだよ?泣くほど辛いことがあったんだったら、我慢すんなよ、で、どうしたんだよ?」雄大は戸惑いながら両手を差し出したが、置場所のない手のひらを空中でふらふらとさせると、諦めたようにまた自分の膝の上に戻した。
「で?なにがあったんだよ。またHに何か言われたか?」知佳がふるふると首を振る。
「じゃあ、高嶺に何かキツいことでも言われたか?」知佳は首を振り続ける。
「じゃあ、その……斉藤とか井上に意地悪されたか?俺、知ってるぜ、あいつらがお前のことをいじめてんの……。まあ、でもあいつら誰に対しても意地悪じゃん?……あいつらのボス、赤城以外には。だから気にすんなよ。なんなら、俺もいじめられてるくらいだ……。」
「違うの……」今の雄大の一言で、知佳はマスクの下で少し微笑みながら言った。
知佳は息を吸い込むと、指で眼鏡の下の涙を拭って言った。
「わたし……どうしていいかわからないの…。お母さんの友達で……と、とても怖い、お、お、男の人がいるの……、その人が……、あの、女の子を……襲ったのかも、しれないの。」
「え?村田、お、お前……その男に、な、な、なにかされたのか?」
雄大は急に、体の底から、今まで感じたことのないような感情、……怒り?悲しみ?恐れ?(だが、やはり根っこにあるのは怒り?)が湧き出してきて、思わず知佳の肩を掴んで、強く揺すぶっていた。
「痛い!痛いよ、早川君……」知佳が声を上げる。「ご、ごめん…」雄大が手を離す。
「わ、わたしね、多分、その、なにかされかけたのかもしれない……。でもその時はお母さんが助けてくれたの……。」「なんだ……良かった……。で、警察には言ったのか?」「……お母さんがダメだって。その……お、お母さんが逆にその人を怪我させたから……」「それって、正当防衛だろ」「でも、わたし、何もされてない……。も、もし、今、お母さんまでいなくなったら……わたし……どうしたらいいか、わかんないよ……。」また泣きそうになる知佳を見て、雄大は「わかった」とだけ言った。
「その男の名前を教えてくれないか、あと、そいつがどこにいるかも教えてほしい。」
「………え?ダ、ダメだよ、早川君、……あ、相手は大人だよ……。こ、こ、こ、殺されちゃうかもしれないよ……」
「…安心しろ。俺もそこまで馬鹿じゃない。ほら、俺たちの探偵団には頼れる顧問の先生がいるじゃないか。」「………。え?え、Hのこと言ってるの?あ、あの人はダメだよ……」
「まあね、あの先生、セクハラ気味なとこあるのかもしれないけどさ、なんかしらないけど俺のこと買ってくれていて、
……あれからも俺、H先生から色々頼まれごとをされてさ、何個か秘密任務を遂行していたんだぜ!」
「え……」知佳は絶句して、雄大のことを見つめる。
「H先生はいい人だぜ。村田のマスクの件だって、きっと冗談で言ってたんだよ。最近、また風邪でも流行ってんのか、あの赤城衣埜莉だってマスクしてんじゃん。多分さ……、その……、(小声で)俺がそう思ってんじゃないからな?勘違いすんなよ?……H先生はさ、ほら、女子がマスクなんかして、あれだよ、女の子が可愛い顔を隠したりしてるから、からかいたくなっただけなんじゃねーの……て、お、おい?!」
知佳が茹で上がった蛸のように顔中を真っ赤にして、食卓の机に額をガンガンとぶつけ出していた。
「ただいまー……て、あれ?誰か来てるの?知佳??まさか、あんたが?え?お友達??」村田真理亜が、かけもちでやっている仕事先から、持ち帰ってきたコロッケを手に、食卓に入ってくる。
「ええ?!」
……ち、知佳が……、お、お、お、男を連れ込んでいる……?!し、しかも、なかなか可愛い男子……。嘘でしょ……。
「あ、お、おじゃましてます!おれ、いや、僕、早川雄大っていいます。村田さんとは同じクラスの同じ班で、グループワークも一緒です!」
……し、しかも、しっかりしてて頭良さそう……!!
真理亜は、自分の男運の無さに対してふつふつと込み上げてくる怒りをぐっと我慢し、この少年に笑顔を向けた。
「お、お母さんね、これからお夕飯の支度をするから……あなた達、知佳のお部屋に行ってなさい。……後でおやつを持っていってあげるわ……。」
知佳は優しい母親の様子に驚きながら、雄大に向かって「こっち」と言って部屋を案内した。
**************
雄大は居心地が悪そうに、女子の部屋を見回していた。
知佳の部屋にはライムの香りのする消臭剤が置かれていて、
雄大は父親の会社のサッカーチームの、ロッカーの匂いを思い出していた。
知佳は咄嗟に部屋の角にある屑籠を背中側に隠して立ち、「……そ、それで、さっき言ってた…H先生の秘密任務って……?」と言った。
「え?ああ、それは秘密任務だから明かすわけにはいかないけどさ、まあ、……見習い団員だから少しは教えてやってもいいかな……。」
知佳の表情が真剣になる。
「…詳しくは言えないけどさ、Hは俺にSSの調査を依頼してきたんだ。SSとリコーダー盗難事件の関わりをね。」
SS……?知佳は心の中でクラスメートの名前を思い返していた。
「SSのジュース事件には、どうやら仕組まれたふしがあるんだ……おっとこれ以上は言えないかな。あと、七不思議関連では、四つ目の『幸せの黄色い蝶々』と関係があると考えられる、黄ばんだ●●●……いやいや、これも口止めされてたんだった……」
知佳は「………」と雄大を見つめ、「……こ、このことで、H先生が助けになってくれる、ってホントに思ってるの……?」と聞いた。
「まあな。ああ見えてH先生、俺にさ、『村田のことは任せる。一緒に遊んでやってくれ』とか言ってさ。結構、生徒のことも考えてるみたいだったぜ。ほら、言っちゃ悪いけど、少し前までお前、あんま友達いなかったじゃん?それが、今やどうだ?俺に双葉に高嶺。そして、これからもどんどん増えるぞ!……わが少年探偵団は!」と言って雄大は両手を広げた。
知佳は何だか混乱してきて、必死に考えていた。……あれ?東三条先生が悪い人だっていうのは……わたしの勘違い……?……そう言えば、保健室で『いじめの力になる』って言っていたような……。マスクをした女の子が……可愛い?早川君、わたしのことを可愛いって言った?……い、言ったよね??
……御手洗いに、カメラを仕掛けたのは、七不思議の解明のため……?
……今ならわかる。七不思議は……とても、興味深い。
大人の人がミンゾクガクでロンブンを書けるような題材だ……。あれ?なんの話してたんだっけ?
……早川君のパソコンで見た映像は……本当に、御手洗さんの呪いだったのかも……。少なくとも、早川君は、そう信じている。……それなら、わたしも、信じても、いいかも……。
「心配するなよ。」雄大が声をかける。「御手洗さんの一件の時、約束しただろ?お前を危険なことに巻き込むような真似はしない。ただ……、俺が心配なのは、今、現に、村田はその男のせいで危険に晒されてるような気がするってことだよ。
明日にでも2人でH先生に相談しにいこう。これは俺の直感だが……H先生は、この事件に食い付きそうな気がするんだ。」
ガラッ
「おやつ、出来たわよ~」真理亜がお皿に、ホットケーキミックスで作った簡単なカップケーキを持って入ってきた。
さっ、と雄大と知佳は距離を離し、お互いそっぽを向いた。
「…あら?お邪魔だったかしら……?」
「じゃ、お邪魔虫は退散するわね…あ、ケーキの紙屑は、そこの角の屑籠にでも捨てておいてねー。」「お、お母さん?!?」知佳が顔から湯気を爆発させながら、慌てて母親の背中を押して部屋の外へ追い出す。
……おほほほ、知佳、あんただけ幸せになろうったって、そうはいかないからね……。
「い、いいからね!早川君、ゴミは屑籠に入れなくて、いいからね?!」
「……なんなんだよ、お前んちって。ゴミは屑籠だろうが。郵便受けも満杯だったぞ……。なあ、ほっといたらゴミ屋敷になるぞ、お前んち……。そこらへんの上着とかも押し入れにしまった方がよくないか?村田って案外だらしないとこあるんだな?」
……は、早川君にそう思われるのは、心外だけど……、押し入れの中は紙マスク大容量パックが占領してるの……。そ、それは死んでも見せられない……。
「そういえばさ、村田?」「は、はい?」「お前、カップケーキ食べる時はやっぱりマスク外すよな?給食の時も手で隠してるし……俺、正直あんまし、村田の顔ってちゃんと見たことないかも。」
「………。」
「………。」
………無理。……無理です。
知佳は恥ずかしさが限界に達し、「ま、また明日の朝迎えに来てね!ほら、早川君も遅くなると危ないから早く帰って!」と言って、雄大の背に手をあてて玄関まで押していった。
「ちょ、ちょっと、カップケーキは?!」「おみやげに持ち帰って!」と知佳は言い、いつも紙マスクを捨てる時に包んでいるビニール袋にケーキを入れると、
雄大の手に押し込んで「じゃあね!」と言って追い出してしまった。
真理亜がニヤニヤした顔で、娘に近寄ってくる。
「あなた、明日、迎えにきてもらうの?
……朝、枕を濡らしてたら、私、ベランダで枕カバー干すからね……」と言って、料理で濡れた手のまま、知佳のことを肘でつついた。
「……そろそろ紙マスクを卒業しなさいよ…」
そう言われた知佳は、赤い顔を今度は青ざめさせて、「お願い……それだけはやめて……」と言うのだった。
次回、『Hの手助け』




