井63 ワールド・ツアー
「みなさん、こんにちは。
私は今、来年3月31日にオープン予定の、サリー・ホッパーワールドに来ています。
ここは、本国イギリスにあるサリー・ホッパーファクトリーよりも、ずっと大きくて、
なんと、投球ドーム約2個分の広さになるんです。 ……多分、全部見て回るには半日、いえ、丸一日かかりますね……。私、のろまだから、いつもの3倍速でいかなくちゃ……。あ、でもみなさんは、この動画、3倍速で見ちゃイヤですからね?
では改めて、今日の案内役を務めさせていただきますのは……来年の4月16日サリーの誕生日から開演する舞台『サリー・ホッパーと勇気の壺』のルーラ・ローラ役、真咲瑠香です。今後も他のキャストさん達が、カウントダウンしながら案内役を引き継いでいく予定ですので、サリー・ホッパーと勇気の壺公式アカウントのフォローをよろしくお願い致します!では、いきますよ~……」
真咲瑠香は羽織っていた緑色のローブから、バイオリンの弓を取り出して、お馴染みのポーズ『二の腕のところで見えないバイオリンを弾く仕草』を取り、「スコルダトゥーラァ…」と優しく唱えた。すると……
映像編集で加えられた安っぽい特殊効果の光がキラキラと彼女の周りで残像を描き、ルーラ・ローラの姿がポンと消えた。
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「はい、ここは、サリー達が学ぶホロワースト学園の第3校舎、旧中等教室です。まずは、教室に入る扉を開けて……」
ガタン!
『おっと、上に挟まっていた黒板消しが落ちてきましたね!新学期早々、ミランダ先生がチョークの粉だらけになるところです。……こういったところ、イギリスも日本も、かつては共通の文化があったんだ、って、ちょっと嬉しくなりますよね!……では次はサリーの席を見てみましょう。」
瑠香はマホガニー色の教室の床を横断し、窓際の一番後ろにある席に向かった。
「こちらも、古今東西、物語の主人公はここに座る、と決まった席ですね。古くはラーマヤーナの時代から確認されている物語の理の一つです。」
瑠香はそのまま、まっすぐ一番前まで進み、「はい、これもお約束。私ことルーラ・ローラの席には、きちんとお花が飾られてます。ここも原作再現度が高いです。」
瑠香はプラスチックで作られた百合科の花をほっそりとした白い指で優しく撫で、
「お花が大好きなルーラちゃんのために、クラスメイト達が、このアタランテーの花瓶に黄色い百合を挿す場面、いつ見ても心が温かくなりますよね?私も大好きなシーンです。みなさんはサリーの物語の中でどのシーンが好きですか?
それを語り合うのもきっと楽しいですよね。じゃあ、次、いきますね。スコルダトゥーラァ……」と瑠香が優しく自分の身体を奏でると…、
次は、大きな図書館の手摺に、背をもたれさせたルーラ・ローラが、
片手に開いた本から顔を上げ、
『シーッ』と唇に人差し指をあてた。
……ここからはナレーションが被さる。
『はい、みなさん。ご存知の通り、ここ沈黙の書庫では、喋ることは許されていません。この千葉サリー・ホッパーワールドでも、そのルールは健在です。』
ルーラは本を静かに閉じると、高い天井を仰ぎ見て、ぎりぎりまで聳え立つ本棚と、そこに架けられた細い梯子を怖々とした様子で見上げていた。
『そのルールを知らず、お喋りなサリーがペラペラペラペラペラペラペラペラ……とやり続けた結果……』ルーラは声を出さずに、人差し指を鉤の形にして、口の前でクスッと笑う仕草をして、
『……即、懲罰室へ直行でしたね?さあ、私達も嘆きの懲罰室へ行ってみましょう。それ!』
場面が変わると、そこは暗い懲罰室。ここには窓がなく、家具も照明も、敷物も、何も置かれていない。
ただ、部屋の隅の床には直径20センチほどの穴が空いていて、そこには木で出来た蓋がしてあった。
また、奥の壁の中央には指が1本入るくらいの小さな穴が空けてあり、そこから微かな光が洩れて、部屋をわずかに照らしている。
「この壁の穴から、サリーは監視されていたんですよね。こっち側から覗くと、赤い目が覗き返してくる……。どれどれ……キャッ!」
瑠香は後ろに飛び退いて、やがてクスクスと笑い出した。「こ、怖すぎて……なんか、笑っちゃいました……。と、いうことは、じゃあ、あっちの丸い木の蓋の下は……。あ、これ以上言うとネタばれになっちゃいますよね?後はオープンした後、是非みなさんの目で確かめてみてください!
……とは言いつつ気になりますよね?……え?いいんですか?あ、木の蓋の方は?やっぱり?ダメ?はい、わかりました。でもこっちの方はオーケー?はい。了解です。」
「では、」と、瑠香は反対の方の壁に歩いていき、「本邦初公開、懲罰室から繋がる……、地下の拷問部屋です!」と言って、壁についた血の手形を押し込んで、隠された扉を開いていった……。
「すごい作り込みですね。」編集でいつの間にか LEDの蝋燭を手にした瑠香が、つるつるとした螺旋階段の壁に手を添えながら降りていく。
「ここはホロワースト学園の伝統が息づく、恐ろしい拷問部屋です。原作にも登場した、数々の拷問器具を見てまいりましょう。」
瑠香はどこか嬉しそうに、地下に開けたこの空間で、リアルに作られたセットをひとつひとつ見て回った。
「原作の中で私が特にお気に入りの器具は、これです。」
瑠香が指差したのは、『魔女の椅子』と呼ばれる拷問装置だった。それは、鉄製の御手洗いのような形をしていて、穴の開いた座面の真下に蝋燭が置かれると、それが座った者の臀部を徐々に炙る仕組みになっていた。
焼かれた者は、見るも無残な姿に成り果てて、二度と立つことも、座ることも叶わない体にされてしまう。
悪魔崇拝者に囚われたサリーは、持ち前の勇気を発揮し、読者があっと驚く機転をきかせて、下の火を消火することで難を逃れたのだが、
その名場面は、何故か映画版ではカットされ、マリー・ウェンズデーが助けにくる展開に差し替えられていた。
「私、マリーとサリーの友情もすごく好きなんです。勿論、ルーラはいつでもラペルちゃんが最推しですけど、……みなさんはどのお友達関係が一番好きですか?サリーの物語って、友情が大切なテーマだと思うんです。それは人生でも最も大事なことですよね?
舞台サリー・ホッパーと勇気の壺のキャストも……、みんな固い絆で結ばれています。特にラペル役の早見恋歌ちゃん!私、昔から大ファンだったんです!私なんかがお友達を名乗るのは図々しいのはわかってますけど、今はとっても仲良くしてもらってます!舞台の外では『闇の煉獄ちゃん』、なんて呼ばれてるから、本人は否定すると思うけど……、恋歌ちゃんて、すっごく優しいんですよ!」
簡単な百合営業トークを終わらせた瑠香は、続けて「フラウタンド。」と軽やかに唱えて、音楽室に場所を移していた。
「この音楽室は、白魔術、黒魔術問わずの、魔女の弓の展示場となっています。」
瑠香は、両手を拡げ、ショーケースにしまわれた沢山の弓の前で「ソーティエ!」と唱えた。
「これらは全て、今では採取することを制限された木材、フェルナン・ブコ材で作られています。特に、このサリーの弓はモンタルティアの白馬の尾で出来ていて、柄のラッピング部分はアマガミクジラのひげが巻かれています。
私が持っているルーラの弓は、舞台用に3本ありますが……、残念ながらどれもプラスチックで出来ていますね。それでも、サリーやマリーが持っている小道具の中には、スネークウッドで作られた本格的なレプリカもあるんですよ。」
そう言うと瑠香は、ラペル・サラマンダーの弓が展示されたショーケースの前に移動し、
「フェルナン・ブコ材とスネークウッド材の違いですが、腕のよい職人に加工されたものですと、正直見分けがつきません。」と続けた。
「でも表面を拡大すると、密度の違いがわかります。また、フェルナン・ブコ材の方がオレンジ色が強く、木目に格子状の模様が入っているところも、見分けるポイントとなります。
あとは、柄の反り、ですかね。」
瑠香は自分のプラスチックの弓の先を指で摘み、ひゅんっと音を立ててしならせた。「よい仕上げのフェルナン・ブコ材は反ったままで戻りが少ないです。……いたずらなサリーがぺんぺん、とよく叩かれてましたよね。」と瑠香はクスッと笑った。
サリー・ホッパーシリーズのこの魔女の弓は、ファン達を魅了してやまない、物語に不可欠な小道具だった。
くびれのある女体を奏でる官能的な弓の動き(『ぐすん。』byひみこ)。バイオリンの奏法に合わせたそれぞれの魔法詠唱。特にマリー・ウェンズデーの長い髪を使った「デタッシュ」は、その情熱的な振り付けにより、ファンの妄想を掻き立てる人気の詠唱魔法だった。
瑠香が一通り弓を見て回っていると、スタッフから「休憩で~す」との声がかかり、
「お疲れ様ぁ」とマネージャーが側に寄ってきて、彼女の手から弓を預かった。
「瑠香ちゃん、休憩室は3階のバックヤードのを使うといいわよ。2階のは運が悪いと空いてる個室が和室だけになっちゃうから。」とマネージャーが言い、「あ、喉渇いたでしょ?はい、どうぞ。」とお茶のペットボトルを手渡してきた。
「茜さん、ありがとうございます。」と瑠香は言い、
……う~~んと伸びをすると、ローブをマネージャーに預けて、階段の方へと歩いていった。
踊り場の途中で、辺りをちらっと確認すると、瑠香はぐびぐびとペットボトルの中身を一気に飲み干して、今度はそのまま、2階の休憩室への階段を登っていった。
……さっきのマネージャーの話だと、2階の方が人気がないってことでしょ、……つまり混んでないってことよね。……て言うか誰もいないじゃない。と彼女は思い、さっそく個室の一つに入っていく。
瑠香は扉のロックをかけると、この小さな和室の中心に対して、わざと身体を少し後ろの方にずらしてしゃがみ込み、
急に大人びた顔をだらしなく歪ませて、
カルキ様が、幼稚園の頃から使っている、くまさんとうさぎさんが型押しされた黄色いプラスチックケースの中にパンパンに詰まっていた、緩い、あぶらねんどを、床一面に撒き散らしていた。
カルキ様は、抑制の効かない子供じみたねんどを、散らかすだけ散らかすと、無表情な顔を近付けて、中に何か動くものが混入していないかを確かめ始める。
……その結果に満足したカルキ様は、特に水を流す様子も見せず、外の気配に耳を澄ませた。
誰も来ないことを確信したカルキ様は、空になったペットボトルを、再びお茶で満たし、
それを手に持ったまま、なにも流さずに個室から出てきた。
カルキ様は、休憩室を出たところにある自動販売機の前に立つと、近くに設置された監視カメラの死角を確認する。
カルキ様は、新しいお茶を1本購入すると同時に、手に持っていた生温かいペットボトルを、商品受け取り口へ戻して、新しいお茶だけを回収した。
……休憩を終えた真咲瑠香は、にっこりと微笑みながら、マネージャーの元へ戻ってきた。
そして、洗っていない手でローブと弓を受け取ると、飲まなかったお茶を彼女に返し、少しおどけて「スコルダトゥーラァ」と唱えて、再びサリー・ホッパーワールドへ戻っていくのだった。
次回、『忍び寄る魔の手』




